小説 3
阿部君のプロポーズ・前編 (キリリク・社会人・切ない)
「近い内に、プロポーズしようと思ってんだ」
ざわついた居酒屋の店内で、阿部君がそう言ったのがハッキリと聞こえた。
ギョッとしたけど、振り向けなかった。彼や彼の周りの人が、じっとオレを見てる気がした。
ショックは見せたくなかったけど、ショックだった。
別れてから1年も経つのに――オレはまだ、やっぱり阿部君のコトが好きだったみたい。
ドクンドクンと心臓がうるさく騒ぎ、耳の奥でザーザーと血流の音を聞く。
そのせいで、阿部君に誰がどう返事したのかは聞き取れなかった。
目の前がふらついたけど、今もし目を閉じれば、きっと倒れちゃうだろうなって。そんな予感があったから、意地でも目を開けとこうって思った。
少なくとも、醜態だけは晒したくなかった。
5分か、10分か。しばらくの間ぼうっとしてたら、いつの間にか耳鳴りは収まってた。
のろのろと息を吸い込み、静かに長く吐く。
深呼吸を繰り返してから顔を上げたけど、誰とも目は合わなかった。
ホッとした。
そうだよね、皆がオレを見てる気がするなんて――自意識過剰だった、よね。
勇気を出して振り向いて見たら、阿部君は花井君と楽しそうに談笑してた。
今日でもう10回目近くになる、野球部の同窓会。10人全員揃ってる訳じゃないけど、いつもの気安いメンバーだ。
この中の一体何人が知ってるのかな、オレと阿部君が去年まで付き合ってたコト?
確実にそれを知ってる田島君は欠席で、でもオレはちょっとホッとしてる。
今は、「元気出せ」とかも言われたくなかった。
阿部君と別れたのは、今年の1月の末のことだ。
原因とか理由とか、明確に「これ」って言えるものはない。ただ、色々と限界だった。
大学時代からずっと同棲してたから、色んな線引きが曖昧だったせいもあると思う。優先順位とか、約束事とか。
オレが口下手なのが悪かったのかも知れない。
阿部君に「自分勝手だ」って怒鳴ったけど、オレの方こそ勝手だったのかも。
殴り合いにはならなかったけど、言い争いするよりは、そっちの方が良かったかも知れない。
それまで何度も何度もケンカを繰り返して、その度に謝って仲直りして来たけど――その時は、もうどっちからも謝ったりできなかったんだ。
何年も一緒に暮らした「家」から、結局オレが出て行って11か月。
その後、阿部君がどうしたのか聞いてない。
もう新しい部屋に引っ越したかな? それともまだ、あの部屋に暮らしてたりするのかな? オレと暮らしたあの部屋に……誰かと一緒に住むのかな?
ビール片手にぼうっとしてる間に、1次会はお開きになったみたいだ。
「三橋、移動だって」
栄口君に肩を叩かれて、ハッと我に返った。
皆はもう席を立って、コート片手に移動を始めてた。
「酔っちゃったの?」
顔を覗き込まれて、慌てて「酔ってないよ」って否定したら、おかしそうに笑われた。
「うん、顔赤くないもんね」
見透かしたようにそう言われたら、逆にじわっと顔が熱くなってくる。
阿部君の姿は、とうにない。
前は、さり気なくオレを待っててくれたけど……そうか、もう恋人じゃないんだなぁって、しみじみ実感してしまう。
栄口君と並んで居酒屋の外に出ると、風がすごく冷たかった。
「二次会、行くでしょ?」
当然のように誘われて、曖昧にうなずく。
これ以上一緒にいたら、また阿部君のプロポーズの話を聞かされることになるかも知れない。
でも、1人暮らしのアパートには、当たり前だけど帰っても誰もいなくて――今は、まだそこに帰りたくなかった。
栄口君は、オレ達のコト知ってるのかな?
ネオンの瞬く道を、皆の背を眺めながらのろのろと歩く。
見覚えのないコートを着て、楽しそうに誰かと話しながら先を歩いて行く阿部君は、オレの知らない人みたいだ。
ほんの十数メートル、その距離が遠い。
と、突然視界が青い布で塞がれた。
ビックリしてその布を触ると、ハンカチみたいだ。
「三橋……」
心配そうな栄口君の声がする。
ああ、オレ、泣いてたんだ。他人事みたいにそう思った。
「……帰る?」
オレの目元にハンカチを当てたまま、栄口君が静かに訊いた。
その声を聞いて、何となくだけど、彼が全部知ってるって分かった。だって優しいし。
こんな風に気を遣われるくらいなら、最初から来なきゃよかったのかも知れない。甘かった。
平気だと思ってた。吹っ切れたと思ってた。けど、それは勘違いだったんだ。まだオレ、阿部君のコトが多分好きだ。
でも、オレは静かに首を振った。
「か、えりたく、ない」
我ながらみっともない涙声。鼻水が出そうになって、慌ててすする。
足が止まったまま動かない。
帰りたくない、でも行きたくない。なんてワガママなんだろうって、自分でも呆れる。栄口君だって、呆れるんじゃないのかな?
そう思ったけど――。
「……そっか」
栄口君は静かにそう言って、それから誰かに電話した。
「あ、もしもし、オレ〜。あのね、オレと三橋、離脱するから。……うん、……うん、そう〜。ごめん。また連絡する〜」
一瞬、意味が分からなかった。
え? 離脱? オレと栄口君と、で? なんで?
ハンカチを外して隣を見ると、彼はにこにこといつもの笑顔を浮かべて、グイッとオレの肩に腕を回した。
「奢るから、パァーッと飲もう!」
そう言ってぐいぐいとオレを、皆とは違う方向に連れて行く。
栄口君は優しい。
阿部君よりも優しい。オレよりも。
オレは「うん」とうなずいて、借りたハンカチをまた目に当てた。
しばらくは外せそうになかった。
(続く)
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