小説 3 盛夏恋・10 (にょた・完結) 「あれ?」 キョトンとした顔で、シュンさんに不思議そうに言われたのは朝食の後だった。 翌朝。 汗をシャワーで簡単に流し、服を着て階下に降りると、もう朝食が用意されていた。 お姉さん達が用意してくれたんだろうか? 手伝えなかったのを申し訳なく思うけれど、いざその中に入っても、てきぱきと動けたかどうかは自信がない。 小学生から料理は得意だったけど、調理実習で活躍できたことはなかった。 食卓に並んでいたのは、ほうれん草とトマトの入ったオムレツに、キャベツたっぷりのお味噌汁。そして、大皿に盛られた、大量のボイルドソーセージだった。 取り皿を渡され戸惑っていたら、隆也さんがさり気なく数本取り、渡してくれた。 こんな風に、いつも見ててくれて嬉しい。 お兄さんやお姉さん達がわいわいと食事する中、やっぱりちょっと疎外感みたいなのを感じたけど……隆也さんと一緒だと思うと、すっと気持ちが楽になった。 お姉さん達は、片付けするのも早かった。 食後のコーヒーを飲んでる間に、ざざっと食器を集めてしまい、飲み終わったカップすら、テーブルに置いたと同時に持ち去られてしまった。 何も手伝えずにおろおろしていると――。 「気にしなくていいよ」 そう、シュンさんが言ったのだ。 「オレら、お昼には出るからさ。それで、皆で掃除を……」 にこやかに笑いながら、そこまで言いかけて。 「あれ?」 シュンさんが、私の胸元を二度見したのだ。 胸元の大きく四角に開いたカットソー。いきなりそこをじっと見られて、その理由も分からなくて、私は余計にうろたえた。 「三橋ちゃん、それ……」 言いながら、シュンさんが私の胸元に指を伸ばす。 ビクッと身を引いたと同時に、後ろからぐいっと肩を抱かれた。 慣れた感触に、ホッとする。 勿論……隆也さんだ。 「馴れ馴れしく呼ぶなと言っただろ」 隆也さんは、少しきつい声でそう言って、伸ばしかけだったシュンさんの手をパシンと払った。 「え、で、でも、それ、さ……」 シュンさんは、まるで私が慌てた時みたいにドモッている。 そして、「それ……」と言ったきり、真っ赤になってしまった。 そんな様子の弟さんを放置して、隆也さんは私の肩を抱いたまま、階段の方に行こうとする。 と、後ろからシュンさんもついて来た。 ゴトンゴトン、と板張りの階段が3人分の靴音を立てる。 赤い顔で、シュンさんが訊いた。 「じゃあさ、昨日オレがそっち行ったの、もしかして知ってた?」 何が「じゃあ」なのか、私には分からなかった。 けれど、ノックと言われたら、イヤでも思い出してしまう。昨日の夜のノックのこと。そしてその時……私達がしてたこと。 じわっと顔が熱くなる。 でも、隆也さんは顔色も変えないで「ああ」と答えた。 「取り込み中だったから、出なかったけど」 そう平然と言って、今度は逆に問いかける。 「何の用だったんだ?」 「いや、用っていうか……」 シュンさんは、しどろもどろにそう言ったけど、隆也さんはふんと笑って。 「様子を見に来たんだと正直に言え」 と、弟さんを軽く睨んだ。 「お前が何を気にしてたのか知らないが、邪魔だということは分かっただろう」 それは図星だったのだろうか、シュンさんはぐっと言葉に詰まり、それから立ち止まって「悪かったよ」と言った。 「てっきりさー、8年前からずっと平行線のままだと思ってたんだ。兄さん優しくないし、自分にも他人にも厳しいし、愛想ないしさー。恋愛向けじゃないじゃん?」 「悪かったな」 低い声で、不機嫌そうに言う隆也さん。でも、怒ってないって、何となく分かる。 それに、シュンさんも……隆也さんのこと、やっぱり怖がってはないみたいだった。 「いつもの調子で冷たいコト言って、三橋ちゃん泣かしたりするんじゃないかなって、これでも心配したんだよ?」 シュンさんはきまり悪そうに、ここに先回りした理由を話した。 「だから、オレらがいたら、人の目を気にして、さすがの兄さんも優しくするんじゃないかって思ったんだ」 って。 大勢を連れて来たのは……他の部屋を占拠して、私達に同じ部屋を使わせようとするためだ、って。 「昼間の海での様子見て、あれーっとは思ったんだけどさぁ。まさか、ここまで杞憂とは思わなかった」 シュンさんがそう言って、また、私の胸元をちらっと見た。胸元が……一体なんだというのだろう? 「じろじろ見るな」 隆也さんが冷たく言った。 さり気なく背にかばわれる。 「えー、それ、オレらに見せようとしてつけたんじゃないのーっ?」 シュンさんは照れたように大声でわめいたけれど、隆也さんは、ふんと笑って、「考え過ぎだ」と返事した。 廊下の奥の主寝室まで、私の肩を抱いて、大股で歩く。 ゴツゴツと響く足音は、私と隆也さんの2人分。 寝室の戸を開け、私をまず中に入れながら、隆也さんが廊下を振り向いた。 そして、そこに立ったままの弟さんに、少し声を大きくして言った。 「所有印つけるのに意味なんか無いだろ。つけたかったから、つけただけだ」 そして、ぱたん、と戸を閉めた。 カチャンと内鍵の音がする。 「あ、の」 私は隆也さんを見上げ、シュンさんの前で訊けなかったことを訊いた。 「私、何かついてます、か?」 かゆくなかったから気にしなかったけど、確かに朝起きた時、胸元が数か所、虫刺されみたいに赤くなっていた。 でも、見せるとか、見るなとか……意味が分からなかった。所有印とか。 すると隆也さんは「ふふっ」と笑って、私にちゅっとキスをした。 唇へのキスの後は、首筋にも。 でも、いつものように柔らかいキスじゃなくて……強くそこに吸い付かれ、やがてちりっと小さく痛む。 満足そうな顔で笑いながら、隆也さんが言った。 「ここ、鏡で見てみて下さい」 そういって、さっき痛みが走った場所を、指先で軽く触れられる。 意味が分からなかったけど、彼の言う通り、ドレッサーの鏡を覗き込んだ。すると、イヤでも昨日の……ここでのことを思い出し、カッと顔が赤くなる。 赤面しつつ鏡を覗き、私は「あっ」と声を上げた。 だって、さっき彼にキスされた場所に――痛みを感じた首筋に。小さな朱い跡が残ってた。 ハッとして胸元を見る。 道理でかゆくないハズだ。虫刺されじゃなかった。 勿論、覚えてる。昨日……ベッドの中で、さっきと同じように、あちこちに吸い付かれたこと。同じように、ちりっと痛みを感じたこと。 「これって……」 所有印、と隆也さんは言ったけど。 端正な顔を振り仰ぐと、余裕の顔で微笑まれた。 「キ、スマー……ク」 言いながら、ついつい真っ赤になってしまう。 だって、こんなものを付けられて、そのまま下に降りてしまうなんて。 これに気付いたの、きっとシュンさんだけじゃないと思う。皆、口に出さないだけで――。 もう。 赤い顔のまま、精一杯彼を睨みつけると、文句を言う前に唇をふさがれた。 「んっ」 とっさに声が漏れる。 かすかにコーヒーの味の残るキス。 こんなので誤魔化されないんだから、とは思うけれど。でも、それは長くは続かなくて。 舌を差し入れられ、絡められ、それと一緒に抱き締められて。そうしたら私は、もう何も言えなかった。 ゴトンゴトンと足音が響いて、また昨日の夜みたいに、戸がトントンとノックされた。 「兄さん?」 シュンさんの声。 でも、私も隆也さんも、それに応じるどころか返事すらできなかった。 だって、ベッドの上だった。 その後、シュンさんがどうしたのかは分からない。 昨日と同様、声を殺しつつ激しく愛されて……気が付いた時には、もうお昼になっていた。 私の体にはキスマークが増え、そして別荘には誰もいなくなっている。 「シュン達なら、後片付けして帰りましたよ」 隆也さんが、優しく私の髪を撫でながら言った。 「え、いつ、ですか?」 「あなたが寝てる間に」 そう言われて、赤面する。 もう、絶対皆にバレてると思う。私達が朝からここで何をしたのか。シュンさんにも、お姉さん達にも、お兄さん達にも。 「ご、挨拶、できませんでし、た」 私がそう言うと、隆也さんは他人事みたいに「気にしなくていい」と言った。 「また会えますよ」 って。 じゃあ、さっきのノックは、別れのご挨拶だったのだろうか? もう、知る由もないけれど。 「これで、ようやく2人ですね」 優しく髪を撫でられる。 隆也さんは下に服を着ていたけれど、私はまだ、裸のままで。 肩を押されると、簡単にベッドに転がってしまう。 でも……今はお昼だし、それにせっかくの海だから。 「あの、また泳ぎたい、です」 そうおねだりをすると、隆也さんはため息を一つつき、「分かりました」と言って――。 そして。 私を、裸のままで横抱きにして、海の方に駆けて行った。 勿論、誰も見てはいなかったけれど。 恥ずかしくて、心臓が止まるかと思った。 (完) [*前へ][次へ#] [戻る] |