小説 3
事件です、若旦那・4
門の外まで榛名達を見送ると、榛名に小さな声で訊かれた。
「浮気されたって?」
「はっ?」
三橋が聞き返すより早く、肩をぐいっと抱かれる。
「お前もすればイーじゃん。し・か・え・し」
そして手馴れた様子で、榛名の左手が三橋の胸をちょいっと撫でる。
「ぎゃああっ」
三橋は一飛びで、5メートルくらいぴょんっと逃げた。両腕を交差させて、がっちり胸をガードする。
「ぺったんこだなぁ」
にやにや笑いながら、榛名が言った。
当たり前だ。
胸なんかあってたまるか。
三橋は、そう怒鳴りそうになったけれど、何とか思いとどまった。
代わりに、赤い顔で「サイテー! だっ!」と叫んだ。
「隆也のテクをもってしても、デカクなんねーの? ホントに女?」
「わ、若旦那の、テク、て、……」
三橋は大きなつり目を、ますますつり上がらせて、榛名を睨み上げた。
「ああ? そんなハズカシー事、オレ様の口からぁ言えねーなー」
榛名はいやらしく笑いながら、三橋を見下ろしている。三橋は一応聞いてみた。
「浮気って。あの死んでたって女の人の事、ですか?」
結局若旦那は、あの女と何をしていたのか、話してくれなかったのだ。
若旦那は遊び人だが、三橋と暮らし始めて一年、浮気なんて(多分)したこと無かったし、質問にはいつもちゃんと答えてくれてた。
けど昨夜も、今朝も……ちょっとイヤな顔をして、「色々事情があんだよ」と言ったきりだったのだ。
「何かご存知、なら、教えて下、さい」
三橋は榛名を上目遣いに見つめ、上等の羽織をキュッと掴んだ。
少女にしては長身だが、実のところ、三橋は少年としては小柄な方だ。若旦那も背が大きいが、この榛名はさらにデカイ。20センチも差があるんだから、三橋なんかはさぞ子供に見えるんだろう。
「まあ安心しろ。隆也を一人にゃしねーからよ」
意味深なことを言いながら、榛名は大きな手のひらで、三橋の頭をポンポンと叩いた。
眼鏡男は何も言わず、ただ柔和な笑みを浮かべたままで、三橋に軽く頭を下げた。
榛名は絶対何かを知っている。
セクハラばっかりの遊び人だが、嘘を完璧につき通せる程、腹黒の悪人ではないだろう。
三橋は確信を持って、若旦那を問い詰めようとした。
何を隠しているのか、と――。
けれど。
三橋が榛名達を見送った、わずかな隙に。
若旦那は姿を消していた。
「バカ旦那ぁぁっ!」
三橋は一声叫んで、裏木戸に向けて走った。
たった今、誰かが通った証拠に……。木戸はキィキィと、小さく揺れていた。
昼の西浦の街を、三橋は走った。
向かうのは飲み屋街ではなく、鯉ヶ淵。
昨夜の女が死んでいたのは、どの辺だったのか。もう警官たちは引き上げてしまっていて、見当もつかない。
ただ、ロープが張られて、近付けないようにはなっていた。
ロープの外には、野次馬が集まっていた。死体を見た者でも喋っているのか、わいわいと騒がしい。
三橋はその輪には入らず、少し離れたところから、それを眺めた。
若旦那はいなかった。
はあ、とひとつため息をつき、屋敷に戻ろうと向きを変える。と、ふと、側に立っていた娘から声をかけられた。
「困った事になったよね」
「ふえ?」
振り向くと、三橋と同じか、少し年上の少女だった。
メイドのような格好をしているが、スカートが黒じゃなくて水色だ。どこかのカフェーの店員かも知れない。
「あんたも売りに来たんでしょ? 隠さなくていいよ。あたしもだし」
少女は三橋の腕を取り、ぐいぐいと引っ張って、路地裏に連れて行った。
「あ、それとも買いの方だった? どっちにしろ、残念だよね」
売り? 買い? 何のこと?
三橋は曖昧にうなずきながら、必死にぐるぐる考えた。
偶然にもその場所は、昨夜、あのプロとぶつかった場所だった。
(続く)
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