小説 3
誘惑のタキシード・前編 (大学生・阿←三)
控室のドアを開けたら、黒のタキシードを着た阿部君が、ソファに仰向けで眠っていた。
黒革靴を履いた長い脚が、ソファから堂々とはみ出してる。
あれ、さっきまで起きてたのに珍しい。よっぽど疲れてるのかな?
「阿部君……?」
呼びかけても返事がない。
オレは、ドキドキしながら、そっとドアの内鍵を締めた。
オレと阿部君は高校に引き続き、大学でも同じ野球部に入って、バッテリーを組んでいる。
男同士なのにおかしいって思われるかも知れないけど、オレ、阿部君のことがずっと好きだった。勿論、オレの片想いだし……言うつもりとか、ないんだけど。
精悍な顔立ちの阿部君は、無防備に寝てても格好いい。
似合うだろうなって思ってたけど、黒のタキシードがすごくよく似合ってる。
ちなみにオレも、白のタキシード姿なんだけど……どうしてこんな格好かというと、バイトだったから、だ。
モデルのバイト。
といっても、そういうプロの雑誌のとかじゃない。
三星デザイナーズカレッジの、デザイン科の、卒業制作のお手伝い、だ。
もうじき卒業する生徒さん達が、自分で作ったウェディングドレスを着て写真を撮ることになって。で、どうせなら新郎役の男の子と撮ろうよ、って話になったんだって。
それで、オレが呼ばれたんだ。
なんでかっていうと、この学校の校長が、うちのお父さん、だから。
最初はね、ちゃんとしたモデル事務所の、新人モデルさんとか頼むつもりだったんだって。でも、スタジオを借りて、カメラさんとか照明さんとかにプロを頼んじゃったら、何か、予算オーバーで。
『日給1万円出すから。頼むよ、廉〜』
そう言って、連日電話かけて来るもんだから、もう、断り切れなかったんだ。
『1人がヤだったら、お友達誘ってもいいからさ〜』
って言ってたし。
それで、阿部君を思い切って誘ったんだ。今度の練習休みの日に、バイト手伝って貰えませんかって。
だってね、1人がイヤだったのは勿論だけど――ちょっと見たかった。阿部君のタキシード姿。
絶対格好いいと思った。絶対似あうって。
そして、その通りだったんだけど……。
オレ、もう後悔で胸の奥が真っ黒だ。
はぁー、と大きなため息が出る。
今すぐ暴れて、阿部君を撮ったネガとか、全部無茶苦茶にしてやりたい。
だって、悔しかった。
阿部君を相手に選んだ子達、みんな可愛い子ばかりだった。
みんな、手作りの自慢のウェディングドレス着て、阿部君に手を絡めたり、肩を抱いて貰ったり。お、お姫様抱っこして貰ってる子もいた!
オレも、頼まれて何人かに、お姫様抱っこしてあげたから分かるんだ。女の子って、すごく軽い。細くて、柔らかくて、そして可愛い。
やっぱり阿部君の隣には、こういう女の子達の方が似合うんだ。
今のところ阿部君は野球に夢中で、特定の誰かはいないみたいだけど――でも、モテるし。いつかは彼女ができちゃうよね。
今日だって、モテてた。
「格好いいーっ」って、聞こえよがしに言われてた。
阿部君はいつか、今日みたいにタキシード着て。ウェディングドレスの女の子と、結婚式を挙げちゃったりするんだろうか?
オレ以外の、誰かと。
――そんなのは、イヤだ。イヤだよ。
でも……。
オレは男だから。ウェディングドレスなんか着れないし、阿部君と結婚もできないし。その前に、好きになっても貰えない。
キモいよね。分かってる。
分かってるから、告白だって、するつもりない。
するつもりない、けど。
「阿部君……」
オレはもう一度、小さな声で名前を呼んで、じっと様子をうかがった。
タキシードに包まれたたくましい胸は、呼吸でゆったりと上下してる。まぶたはしっかりと閉じられてるし、眉はキリッと凛々しいままだ。
眠ってる。
ひとつ深呼吸した後、寝顔から目を離さないで、ゆっくりと近付く。
足音を殺し、息を潜めて……静かに、そっと。
「ふっ……」
音を立てないように頑張ってるのに、心臓だけがドキドキうるさい。
これ、この音で、阿部君起きちゃうんじゃないか? そんな気がするくらい、心臓、うるさい。
ゆっくりとソファに屈みこむと、阿部君の顔に、オレの影が映った。
オレが今から、彼にしようとしてること――もし気付かれたら、怒られるかも知れない。
軽蔑されるかも。嫌われるのかも。
でも、それでも。
告白する勇気さえないオレだから。今だけ。一度だけ。
――阿部君。
オレは、ソファにそっと両手を突いて、阿部君にゆっくりと顔を寄せた。
(続く)
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