小説 3
廃王子は夜に啼く 1 (キリリク・魔法使いパロ・シリアス注意)
地下牢に一歩足を踏み入れて、思わず呟いた。
「ひでぇ……」
足元を、数匹のネズミが駆け抜けていく。
陽の光も差さない通路は、じめじめとイヤな感じに湿っていて、低い天井からは水滴が落ちている。床には、そこかしこに汚い水溜りがあって、もうずっと掃除もされてねーんだって、よく解った。
最悪の衛生状態。
ここに入れられた者が、いつ病気になっても、いつ死んでも、まるで構わねーんだろう。
かつては国賊や重罪凶悪犯なんかを収監してたこの地下牢に、現在入れられてるのは、たった一人だ。オレはそいつの檻の前に立ち、黒檀の細い杖で錠前を叩いて、鍵を開けた。
「おい、出ろ」
声を掛けたが、返事はない。
代わりに、石でできたベッドの上の、まるまった毛布の固まりが、もぞっと動いた。
「聞いてんのか!」
毛布を掴んで引き剥がすと、チィチィ鳴きながら、ネズミたちが飛び出した。そして、牢の主が目を開けた。
痩せこけた少年だ。つり上がった大きな瞳が、ガラス球のようにオレを映す。そして、力なく笑った。
「やっと、殺す気になった、の?」
一瞬ギョッとして、言葉も出なかった。
「違う、迎えだ。立て、牢を出るぞ」
「ムリだ、よ」
少年はゆっくりと首を振った。
「ムリじゃねぇよ」
オレは、床を駆け回るネズミを一匹、尻尾を踏みつけて掴まえた。
「ほら、こいつを身代わりにすっから。そこをどけって」
「身代わり、ネズミが? ……ふふ、そっか。オレは、その程度の価値しか、ないんだ、ね」
少年はそう言って、また石のベッドにうつ伏せた。
「もういいよ、出てって、くれ」
ムカッとした。こいつ、オレの話を全然聞いてねぇ。
「どけっつってんだ! さっさと立て!」
胸倉を掴んで、石のベッドから引き摺り下ろす。けど、床に足を着いた瞬間、そいつは「ギャウッ」と叫んで崩れ落ちた。それを見て、ようやく気付いた。
「お前、足が……」
両足が折られてた。変な方向に向いている。
ひでぇ。
「だから、ムリだって、言ったんだ」
床に転がったまま、少年が大きな目でオレを見た。
「悪ぃ」
オレはベッドの上にネズミを置いて、杖を向けた。呪文と共に、ボン、と煙が出て、ネズミが少年そっくりに変わる。
「スゴイね、キミ、魔法使いなんだ、ね」
少年は薄く笑って言った。
「うらやましい、な」
「そうか?」
オレは少年に背を向けてしゃがみ、おぶさるよう促した。少年はためらってたけど、恐る恐るオレに触れ、オレの背中に身を預けた。
立ち上がって、またぎょっとした。
軽い。
こいつ、身長はオレと同じくらいなのに、なんて軽いんだ。人一人おんぶしてるとは思えねぇ、存在感がまるで無ぇ。
「行くぞ」
牢を出て杖を振り、元通りに鍵をかける。地下牢の入り口には、魔法で眠らせた看守が、まだ眠ったままで座り込んでいた。
月はまだ、頭上高くに輝いていた。
オレ達はそのまま闇に紛れ、王城の北にそびえる、守護の森の中に逃げ込んだ。
しばらく木立を抜けると、小さな泉が見えてきた。オレはそこで少年を降ろし、泉で体を洗わせた。
「バチが当たる、よ。王の泉で、体なんか、洗ったら」
足を折られた少年は、泉のふちに座り込んで、弱々しく笑った。
「うるせーな、臭ぇーんだよ、お前。それに、バチなんか当たる訳ねーだろ。だって……」
だって、お前こそホントは王じゃねーか。
言いかけて、口ごもる。
そう言ってやる資格が、オレには無かった。
少年は、大きな目でオレを見つめ、しばらく黙った後、ふひっと笑った。
泉に映る月が、波紋を受けて小さく歪む。廃王子のガリガリにやせ細った裸身は、痛々しいほど白かった。
(続く)
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