小説 3
仇花・6 (完結)
三橋の身請けを申し出ると、桐青屋の主人は「冗談じゃねぇ」と言った。
「あの子には、これから稼いで貰わなきゃなんねーってのに。こんな早い内から身請けなんざ、させられっこねぇですよ」
勿論、そう言うだろう事は分かってた。
でもオレだって、真っ当な商売の人間じゃねぇ。
オレは札束の代わりに、手榴弾を主人の懐にねじ込んだ。
「金は幾らだって払うっつってんだ。ごたごた抜かすと、店ごと吹っ飛ばすぞ」
そう言って、店主の手にダイナマイトを握らせた。
卑怯な手かも知れねぇ。
こんな事したって、三橋は喜ばねぇかも知れねぇ。
誰からも褒められるやり方じゃねぇ。
けど、もうこれ以上、三橋に辛い思いをさせたくなかった。
前代未聞の、水揚げ直後の身請け話。オレに提示された額は、オレの年収も、店の年商も、軽く越えるものだった。
オレは店をたたみ、抱えてた全ての在庫を売り払い、骨董宝石を質に入れ、土地不動産を処分した。それでも少し足りなかったが、その分は泉が出すと言ってくれた。
花魁が身請けされるときは、盛大に見送られるという。けど三橋は誰にも見送られず、ひっそりと見世を去ることになった。
ただ一人、高瀬太夫だけは、選別に櫛をくれたんだそうだ。
「笑いなんし」
高瀬太夫はそう言って、座敷から三橋を見送った。
三橋は振袖をくるぶし丈に着て、帯を後ろで結び、町娘のように髪を結い上げて、現れた。その髪には、オレが贈った簪が一本、名残のように飾られている。
迎えには、オレと泉が並んで行った。
三橋はオレ達の顔を見て、笑って二人の手を取った。
そして、三人でゆっくりと、泉の店の前まで歩いた。
オレは泉屋に預けてた旅行鞄を受け取った。泉は店の中に入り、束の間、二人だけにしてくれた。
三橋は、まだ何も気付いていねーようだった。
無邪気に笑って、オレを見上げる三橋を、これが最後と抱き締める。
そして、軽く唇を重ねた。
「幸せにな」
囁いて、突き飛ばす。
三橋が悲鳴を上げて転ぶ。
オレは後ろも見ねーで走り去る。
「隆也様っ」
叫び声が聞こえる。泣きそうだって分かる。
きっと眉を下げて。唇をわななかせて。廉は泣くのだろう………優しい泉の胸の中で。
財産は失ったが、後悔はしてなかった。この先も後悔しねーよう、がむしゃらに前に進むつもりだ。オレはまだ若いし、人脈まで失くした訳じゃねぇ。必ずまた這い上がってやる。
泉孝介は、あれ程オレを憎んでたくせに、餞別にといって、アメリカ行きの船のチケットをくれた。
向こうでチャンスを掴めという事か。
……それとも、廉の前から消えて欲しかったか。
オレは旅行鞄一つを持って、横浜から船に乗り込んだ。
港には、同じ船に乗る客の為に、たくさんの見送りが来ていた。紙テープが何本も船から放られ、船と港とを繋げていた。
出発を告げる汽笛の音。
見送る人々の万歳三唱。
見送られる予定もねぇオレは、甲板に用も無かったけど、それでもやっぱ名残惜しくて、たくさんの手の振られる港を眺めた。
期待してたのかも知れねぇ。
廉が、泣きながら見送ってくれる事を。
バカバカしい。
オレは苦笑しながら、手すりにもたれた。そして、驚きに目を見張った。
泉がいる。
端正な顔で、こちらを睨みつけている。
「そんな睨むなよ」
オレは呟いた。ちょっと期待したけど、泉は一人だった。当然か、あいつが廉を、オレに近付けるハズねーもんな。
手すりを掴んで、目を伏せる。
思い出す、儚げな笑顔。手首を掴んで覗き込んだ、美しい顔。恥らった顔。情事の最中の、夢見るような顔。朝日の中で見た笑顔。
好きだった。いつの間にか、愛してた。
「廉………」
一度も呼んだ事の無い、彼の本名を呟いた。と、後ろで、声がした。
「はい」
振り向くと、ふわふわの猫毛の少年が、短い薄茶の髪を風になびかせ、立っていた。
上品なこげ茶色のスーツを着て、化粧っ気の無い、さっぱりとした顔で、オレの横に歩いて来る。
「オレ、も、一緒に、行き、ます。オレ、外国、行ったこと、ない、から。孝介さん、が、一度行って、来いって。隆也、さん、と一緒なら、安心だから、って」
たどたどしく言って、廉が、ふひっと笑った。
慣れない言葉遣いで、自分の事を「オレ」と呼ぶ廉は、郭の美しさとはまた、別の魅力を持っていた。
オレは港に目を戻した。
遠ざかる港で、泉が小さく手を振った。
オレの横で、廉が大きく手を振っている。
目の前がかすんで、よく見えねー。
港も、泉も。廉も。
「隆也さん?」
廉が心配そうに声をかける。
細い指が、オレのそでを引く。
愛してる。
汽笛が高く、大きく鳴った。
(完)
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