小説 3
メダリオン・4
階段の先の鉄扉は、昨日は気付かなかったけど、下が格子状になってた。
そこから入れてくれたんかな、果物が幾つか置かれてた。あと、チーズと牛乳、ワイン。火絶ちだからか、焼いて作るパンは入ってねぇ。
りんごや何かは懐に入れ、左手に牛乳とワインのビン、右手にチーズとぶどうを持って、上がったばかりの階段を降りる。
燭台がねぇから足元は不安だが、上の鉄格子からも光が差してるし、下の方もほの明るいから、昨夜みてーな恐怖はねぇ。
階段を降り切って、洞の中央に出ようとした時、ちゃぽんと水音がした。
ぞっとした。
水面には波紋が広がってる。「何か」いる。
オレはできるだけ背中を壁に付け、油断なく海面を見張りながら、昨日眠った場所に戻った。
天井から差し込む光で、洞全体がぼんやりと照らされてる。
明るいとほっとする。
オレは大きくため息をついて、砂砂利の上に腰を降ろした。
やっぱ、腹ペコだからイライラすんのかも知んねーし、何でもねぇモンが怖かったりすんのかも知んねー。
牛乳を飲み、チーズを齧る。りんごやオレンジを取り出して食べる。
腹一杯にゃ遠いけど、取り敢えず口が満足して、少しずつ恐怖が薄らいで来た。
ふと思いついて、チーズを少しちぎってみた。
パンの方が食うんだろうけど、とか思いながら、立ち上がって、海面に向かって投げ入れる。
ゆっくり10を数える頃……水面に、何かがちゃぷんと顔を出した。
さすがに身構えた。だって、魚じゃねぇ。でかい。
とっさにりんごを掴み、いつでも投げられるように右手に握って、オレは一歩前に進んだ。
すると、向こうもどうやってか、同じだけ下がった。
もう一歩進むと、また同じだけ下がる。
……なんだ。
そう思ったら、ちょっと肩の力が抜けた。
だって、相手はオレを怖がってる。
オレのこと怖がってる敵に、怖がる必要はねぇだろう?
思い切ってりんごを投げ付けたら、相手はりんごがぶつかる前に、慌てて水中へと姿を消した。
りんごはドブンと音を立てて、けど、すぐに浮かんで来た。そのまま背後の岩壁まで流されて、そこで止まって揺れる。
海のほうも、ぐるっと岩壁に囲まれてるみてぇだ。
そっちまでは天井の光も当たらねぇから、海面が真っ暗に見えるんだな。
神官も「深い」つってたし、さっきの奴みてーなデカイのが潜んでんだから、やっぱ相当深いんだろう。
けど、デカイったって、オレを丸ごと食える程じゃねーよな。生贄を欲しがる海神は、もっとデカイのか。
そんなのが、ここにいんのか? まだいねーのか?
2週間待つ意味って何なんだ?
もしかしたら、底の方で外に繋がってんのかも知んねーけど……と、頭の中で地図を思い出そうとしたが、よく分かんなかった。
どんなになってんのか、ちょっと覗いて見てぇ気もする。
けど、身を乗り出した途端、海中に引き摺り込まれたりとか、冗談じゃねーし。
いや、だったらむしろ、逆に……。
オレは白装束を脱ぎ、その帯紐を細く裂いた。そしてそれに、さっき食べたりんごの芯を結びつけ、海に放った。
自分でも、バカバカしい事してると思う。
変なバケモノ呼び寄せちまって、どうすんだって。
けど、それで死期が早まったって、2週間。それならオレは、恐怖の元を減らしてぇ。
しばらく待ったけど、りんごの芯はお気に召さなかったらしい。水音すらしなかった。
今度は、オレンジの皮で試してみる。
その次はブドウ。
ブドウの房に刺したチーズ。
祠にあったロウソク。……けど、どれもダメだった。
他に何もねぇよな、と諦めかけたところで、首飾りに気付いた。
魚の骨と、鮫の牙と、貝。
最後に、試してみるか。
オレは首飾りを外して、紐に結んだ。万が一にも、ほどけて落ちて失くさねーよう、厳重に縛る。
そしてそれを、真ん中辺りに投げ入れた。
やがてすぐに海面が揺らいだ。
あ、と思う間も無く、くん、と軽く引っ張られる。
今だ!
「おらっ!」
思わず大声で叫びながら、力任せに紐を引き寄せる。
首飾りを掴んだ指が―― 指が? ――離れるより先に、水からそいつを引き摺り出した。
黄金の尾が、びちびちと跳ねた。
白い体が畏れにわななく。
薄茶色の髪は濡れて張り付き、琥珀色の瞳が、怯えたようにオレを見つめた。
薄い唇が、はくはくと、空気を求める魚のように開く。
呼吸すら忘れて見とれた。
人、でもない。魚でもない。
これは……。
見とれ過ぎて、つい力を緩めてたんだろう。
突然、そいつがオレの手を振り払い、海に逃げ込もうとした。
けど、当然、オレの方が素早い。
「待て!」
オレはそいつの体に飛びつき、馬乗りになって組み伏せた。
「逃がすかよ」
思いっきり凶悪な顔で言ってやると、そいつは……人魚は。
「殺、さない、で」
と懇願した。
(続く)
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