小説 3
仇花・4
昼過ぎまで寝ていたかったが、あいにく今日は夜会がある為、午前中に見世を出た。
「あの」
見送りの時、オレのそでを引いて、三橋が上目遣いに言った。
「またすぐに来ておくんなんし」
白い首筋や着物から覗く胸元には、オレが付けた幾つもの痕が浮かんでる。髪はすっかり乱れ果て、柔らかく背中に垂らしていた。
オレは薄茶の長い髪をひと房つまみ、紅のはげた唇に軽く口接けた。
「誰にでもそう言うんだろ」
囁いてやると、三橋はひぅ、と小さく息を呑んだ。オレのそでを引いた手が、びくんと離れる。
眉を下げ、大きなつり目でオレを見上げる三橋は、何か言いた気に口をはくはく開けている。
なんだ、これくらいの意地悪は、遊びの内だろうに。そこは笑って「旦那様だけでありんす」とか言うべきだろ。そんなふうに泣きそうにされっと、本気で慕われてるように錯覚すんじゃねーか。
オレはため息をついて、ポン、と三橋の頭を軽くなでた。
「じゃあ、今夜、行けたらな。他の客、取んじゃねーぞ」
三橋は顔を輝かせ、「あい!」と元気に返事した。
「お待ちしておりんす」
朝日の中で初めて見た笑顔は、眩しいくらいに明るかった。
外務大臣の屋敷で行われた夜会には、多くの貿易商も招待されていた。扱ってる商品が違えば、あまり接点はないのだが、それでも知ってる顔は随分といた。
泉孝介の顔もあった。
「昨日だったんだぜ、水揚げ」
オレはわざわざ泉に近付き、親切に教えてやった。
「あいつ、泣いてたぞ」
泉は持ってたグラスを落とし、オレのネクタイをぐいっと掴んだ。
「お前は廉を、どこまで貶めれば気が済むんだ!」
「何のことだ。オレは優しくしてやったぞ。あいつだって善がってたし、大体、それが三橋の仕事だろうに」
「お前はっ……!」
泉は、黒目がちの端正な目元を赤く染め、ぎり、と歯を食いしばって言った。
「なら、庭に出ろ。教えてやる。お前がどんな卑劣な人間なのかって事、イヤってくらいにな!」
オレが卑劣な人間かって?
そりゃ、真っ当じゃねーって自覚はあるけどさ。
でも、そこまで悪し様に言われる筋合いはねーと思うぜ?
オレ達はテラスから中庭に出て、薄暗い木立の奥で向き合った。
「群馬の三星家に覚えはねーか?」
いきなり泉が切り出したのは、そんな事だった。
「群馬……あー、落ちぶれた伯爵家。でもありゃー5年も6年も前の話だろ。それが何だ?」
あの頃オレは18歳かそこらで、親父の秘書をしながら、仕事を勉強してたっけ。
「三星伯爵を陥れて、財産全部奪ったのは、お前ら親子の仕業だろ? 伯爵は好きで落ちぶれたんじゃねぇ、お前らがそう仕向けたんだ!」
泉が、吐き捨てるように言った。
「冷血商人!」
ああ、まあ確かにそういう事もあったかも知んねー。けど、多少のあくどい事はみんなやってっし、善意だけじゃ世の中回らねーし。必要悪って事じゃねーの?
「随分、伯爵家に同情的だな」
皮肉を込めて聞いてやると、真っ当な貿易商である泉屋は、伯爵家の御用達だったらしい。よく可愛がって戴いたのだと、泉は言った。
「ここまで言って、まだ思い出さねーのかよ?」
「はあ? 何を?」
思わせ振りな泉の問いに、うんざりと返事する。
「伯爵には、当時10歳になる孫がいた!」
泉は言った。オレの胸倉を掴み、オレの目を見つめ、はっきりと。
「それが廉だ」
泉は伯爵の屋敷によく出入りし、廉少年の遊び相手になってたらしい。少年も泉によくなつき、「孝介兄ちゃん」と呼んでいたそうだ。
けれど三星家の没落を助けられる程、当時の泉家には力がなかった。
「廉を花街に売り飛ばしたのは、お前らじゃねーか。財産奪って、祖父も両親も自殺に追いやって、苦界に落として。その上、あいつを………っ」
唐突に、古い記憶がよみがえる。
薄茶色の、ふわふわの猫毛をした少年の手を引いて、石畳の道を歩く自分。
――これからどこに行くの?
――お前の新しい家に行くんだよ。
――そこに父様や母様はいるの?
――両親はいねーけど、新しい兄弟はいっぱいいるぞ。
――優しくして貰えるかな?
――どうかな、お前は美人だから、やっかまれるかも知んねーな。
少年が、ふひっと笑う。笑うとこじゃねーだろと思う。オレはポケットから飴玉を一つ出し、少年に与えた。少年はそれを光に透かして………。
宝石みたいでありんすなぁ。
「そんな、まさか………」
オレはふらふらと、後ろの木にもたれた。
「三橋は、この事を?」
「勿論教えたさ、手紙でな!」
泉は言った。怒っていた。泣いていた。
昨夜、三橋が焼いてた手紙は……その手紙だったんじゃねーのか?
なんで三橋は震えてた?
なんで三橋は「怖い」と言った?
なんで三橋は泣いたんだ?
親の仇に抱かれて。
なんであいつは、幸せそうに笑ったんだ?
(続く)
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