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5 三橋君、お酌する
 キレイな石が、キレイに伸ばされた爪の先でキラキラ光る。オレの為にビールを注いでくれてる、先輩の指先を眺めながら、鉛筆も持ちにくそうだな、とぼんやり思った。
「はいっ、三橋君」
 笑顔でグラスを渡されては、一口でも飲まないではいられなくて、オレは苦い炭酸に口を付けた。
「ダメだよ、三橋君。ビールは舌で味わうんじゃない、喉で味わうの! じゃないと苦いだけで、美味しくないよ」
 そう言うピンクベージュの唇よりも、飾られた指先の方を見てしまう。

 中学から男子校だったせいで、あまり女の人には免疫が無い。薬学部は女子のほうが多いけど、席順まで決まってる教科なんて殆どないし、隣の席に座ることなんて滅多に無い。
 せいぜい、実習のグループ分けとかで一緒になって、「精製水取って来て」とか「20%希塩酸200ml作って」とか言われるくらいだ。
 最近は、「カービー」とかあだ名付けられて、学食とかで会っても、「カービー、何食べるのー?」なんて色々声掛けられるようになったけど。それでもオレの方から、積極的に会話しようなんてできなかった。

 けど、今日のオレの仕事は幹事だ。お客さんじゃない。苦手でも、先輩や新入生に愛想良くしなくちゃ。
 オレは必死に会話を探し、そして結局、飾られた指先を見た。
「爪、キレイですね」
 思わず呟くと、弾んだ声で「ありがとう」と言われた。
「でもこれ、フェイクなんだよ」
「フェイク?」
「つけ爪。ホントにこんな長かったら、実習とかできないじゃん」
 さっき、鉛筆も持てなそうだと思ったのを思い出す。
「そ、そっか」
 そういえばバイト先の薬局でも、化粧品コーナーにいっぱい置いてあった気がする。

「三橋君は、女の子のマニキュアとか、気にならない方なの?」
 別の先輩が訊いた。
 気になるって、イヤかって意味だよね? それとも気付くかどうかって意味なのかな?
「えっと……」
 オレは先輩のグラスにビールを注ぎながら、ちょっと考えた。考えて喋らないと、どもりぐせが出る。大抵の人は、勢い切って返答しなくても待ってくれるんだって、大学に入って判って来た。
「してたら可愛いと思うけど、イヤじゃない、です。オレも、トップコートなら使ってました、し」
「へえー。あ、三橋君、甲子園行ったんだったね。ピッチャーでしょ? ピッチャーって、トップコート使うんだ?」
「う、と、爪が欠けたら、いい球が投げられなくなったりするんです」

 ふひ、と笑って、自分の右手に視線を落とす。まだまだタコは残ってるけど、すっかり手入れは怠ってる指。もう野球を、あきらめた指……。

 甲子園、と聞いて興味が沸いたのか、次々に先輩達が寄って来る。
「テレビ見たぞー、群馬代表!」
「ダブルエース」
「じゃあ、今、野球部?」
「応援してたよー」
「何回戦まで行ったっけ?」
 次々と話しかけられて、返答に困る。手持ちのビール瓶も空になり、オレはキョドって言葉に詰まった。
 すると、先輩達の向こうから、声がした。
「3回戦負けですー。すいません、ちなみにオレも甲子園行ったんすけどー」
 畠君だ。口の開いたビール瓶を4本、器用に持ち、オレに目で合図した。オレはその4本をまず受け取り、空瓶を4本、畠君に渡した。
 これで先輩達にお酌ができる。

 先輩達の半分は、畠君に注目した。
「キミはポジションどこ?」
「え、キャッチャー? じゃあ三橋君と組んでたの?」
 畠君は適当にうなずきながら、空のビール瓶を返しに行く。畠君は注文を取ったり、空いたお皿を下げたりと忙しい。幹事の仕事って、ああいうのを言うんだと思う。けど畠君は、オレに裏方は期待してないって。先輩や新入生の接待をやってくれって……そう言ったんだ。
 薬局のバイトで、不特定多数のお客さんと話すからかな。人見知りと赤面症は、だいぶなくなってきたみたい。まだ一ヶ月しか経ってないのに、自分でもスゴイと思う。
 畠君は、そういうとこ見ててくれたみたいで、今のオレなら接待係もできるだろって思ったみたいなんだ。
 嬉しいな。中学のときの険悪さが、嘘みたいだ。やっぱり高校で、百恵監督に出会って、マウンドを譲ることの大切さを教わったからかな。もう一人のエース、修ちゃんと、3人でバッテリーできたからかな。

 今でも三星大学で、野球を続けてる修ちゃん。
 自分が継ぐべき大学の、学生になりに上京したオレ。
 投げられればなんでもいいって。どこでも野球はできるって。割り切ったハズなのに……やっぱり、修ちゃんの事を思い出すと胸が痛む。

 オレはここで何をしてるんだろう?

 壁掛け時計を盗み見る。
 金曜日の午後8時。ホントなら重井堂で、カウンターに立ってる時間だ。
 そしてホントなら……もうすぐ阿部さんが現れる時間だ。


 少し垂れ目気味の、精悍な笑顔を思い出す。
 ズキン、と胸が痛いのは、何でかな。


 オレは愛想笑いを振りまきながら、先輩のグラスにお酌した。


(続く)


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