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4 三橋君、誘われる
 小講義室での語学の後は、大講義室で授業だ。オレはドイツ語の教科書や辞書をスポーツバッグに詰め込み、急いで移動しようとした。休み時間は10分しかないし、3階の端から2階の端までは結構ある。
 パタパタと階段を降りていたら、「よ、カービー」と声を掛けられた。教室が入れ替わりになる、製薬学科のクラスの人だ。顔は知ってるけど、学科が違うと接点がないので、名前まで分からない。けど、月曜にオレが見事頂戴した、有難くないあだ名は広まってるらしかった。階段を前後して降りていた、同じクラスの人も笑ってる。畠君なんか、笑いすぎだ。

 そんな中、「三橋!」と律儀に名前で呼んでくれる人がいた。同じ野球部の花井君だ。
「あ、何?」
 階段の踊り場で立ち止まる。
「三橋、誕生日いつだっけ?」
「あ、17日、だよ」
 オレが答えると、花井君は「おっそうか。じゃー飲みに行こうぜ」と手を振って、大股で階段を上がっていった。その長い足を見て、いいなあ、と思う。花井君はオレより10cmくらい背が高い。オレもあれくらい身長があれば、まだ野球を……。

 いや、野球なら続けてるじゃないか。エースまでやらせてもらって。
 オレはブンブン首を振り、次の講義室に向かって走った。次は、わりと好きな生化学だ……。



 オレのアパートの浴室から出たカビは、教授にすごく褒められて、クラスの代表菌としてみんなのシャーレに分けられ、また培養されている。
 教授から褒められても、「三橋はほら、よく食べるから」とか水谷君にフォローされても、例え女の子が付けてくれたあだ名でも、「カービー」とか呼ばれるのは嬉しくなかった。

「カービー、顕微鏡あいたよー」
 同じ班の女の子に呼ばれ、「うう」とうめきながら、ノートを持って移動する。
 今日の実習はグラム染色だった。ブドウ球菌と大腸桿菌、2種類を染色して考察をまとめる。染色液で染まるってことは、染色液で死ぬってことなんだって。だからグラム染色で赤く染まる黄色ブドウ状球菌より、染まらないO-157みたいな大腸菌の方が、やっかいなんだって。

 左目で顕微鏡を覗きながら、右目でノートを見て書き写す。オレはなかなか上手にできないんだけど、水谷君は器用にこなしながら、話しかけてきた。
「そういえばさー、三橋って、もうすぐ誕生日なんだって?」
「へ? う、うん。どうして?」
 オレは顕微鏡から顔を上げた。水谷君みたいに観察しながら、書き写しながら、喋るなんてできない。
「いーなー、二十歳でしょ。誰かと呑みに行くの?」
「う、あ、さっきS2の花井君に誘われた」
 へへ、と笑ってると、後ろから畠君が言った。

「その前に、オレが誘ってるぞ」

「は、畠君のは、県人会の幹事だろ。幹事って、食べてる暇ないじゃないか」
「そこは呑んでる暇、って言っとかねーと。まあ大丈夫、お前に裏方は期待してねぇ」
 じゃあ何を期待してるんだ。聞きたかったけど、なんか怖くて聞けなかった。





 重井堂は薬局だけど、化粧品コーナーもある。夕方5時ぐらいまで、各化粧品会社のお姉さん達が、派遣されて来てるらしい。でもオレは7時からのバイトだから、まだ一度も顔を見たことがなかった。
「ああ、そういえば歓迎会がまだだね」
 栄口さんが言うと、センセーもオレの手を握って、「そうね、まだ顔合わせもしてない子もいるわね。みんなに紹介しないとね!」と言った。
「お酒はもう呑めるの?」
 今日はよく聞かれるな、と思いながら、大きな声で答えた。
「17日で、二十歳、です」

 すると、後ろから「若いなー」と声がした。
「あ、いらっしゃいませ」
 栄口さんが穏やかに挨拶する。
「一本頂戴」
 阿部さんに言われて、オレは阿部さんがいつも飲んでるドリンク剤を、ストッカーから一本取って来た。
「い、今、飲まれますか?」
「うん、開けて」
 バーコードを通してから、蓋を開ける。その間に栄口さんが、「500円です」とお会計をしてる。

「あー、オレが二十歳のときって、何してたかなー」
 そんなことを言いながら、阿部さんはドリンク剤をぐっと飲んだ。
「確かに、ほんの数年前なのに、随分昔な感じがしますよねぇ」
「そうそう、弟が今年二十歳だから、って思うと、五つしか違わねーのにな」

 オレは黙って、栄口さんと阿部さんの会話を聞いていた。

 阿部さんは五つ年上なんだ。

 そんな事が聞けただけで、嬉しかった。


(続く)



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