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3 三橋君、買収される
 二時間目の授業の終わりに、微生物学の教授が言った。
「Y2の学生は、この後すぐ微生物学教室に寒天培地を取りに来ること。各自で空気中のカビの採取をしてもらう」
 教授は見本のシャーレを掲げ、手順を説明した。
「カビの漂っていそうな場所を探して、水平に1時間放置。蓋をして、午後の実習時に持参。以上」
 Y2の学生って、オレ達のことだ。これはクラスを指していて、Yは薬学科、2は2組のこと。クラス編成は五十音順になってるから、同じ薬学科の沖君は、Y1にいる。
 うちの大学は単科大学だから、1学年にクラスは4つしかない。薬学部薬学科2クラスと、薬学部製薬学科2クラス。ちなみにこの二つの学科、2年生の時点では、違いはあんまりないみたい。

「三橋ー、微生物学教室ってどこだった?」
 水谷君が、講義室の階段をパタパタ降りながら聞いてきた。
「う、多分、南棟の2階……?」
 オレもちょっとあやふやだ。一緒に行こうと誘われて、喜んで付いて行く。
 まだ2年生のオレ達は、講義室のある本校舎と、実習室のある実験棟くらいしか使わない。教授の部屋と、その教室、つまり研究室のある専門棟になんて、滅多に行く事がなかった。

 北側にある本校舎に比べて、南棟は随分明るかった。オレ達は助手の先生に名前を言って、一人に一つずつ寒天培地を受け取った。
「カビのいそうな場所って、どこだろうね?」
「湿ってる、とこ?」
 水谷君と話してた時に、やっぱり同じクラスの畠君が、「三橋ー」と声を掛けて来た。
「ちょっと話があんだ、昼メシ一緒にいいか?」
「う、うん」
 珍しいなと思いつつ、うなずく。畠君は寒天培地を指差し、にやっと笑った。
「お前のアパートの風呂場に置いとけ。絶対スゲーいる」
「し、失礼だな。は、畠君のアパートだって」
「あー? じゃあ定食賭けるか?」
「か、賭けるよ!」
 オレ達の話を聞いてた男子学生が、オレもオレもと言い出して、結局カビが一番取れた人に、みんなで賞品を出そうとかいう話になった。

 昼休みは90分だし、みんなこの近辺の学生アパートに住んでるから、一旦帰って培地を設置できる。オレも一旦帰って、シャーレを置いて、畠君と校門前で待ち合わせた。
「ゲロリアンでいいか?」
 畠君が言った。ゲロリアンは、ホントの名前をグロリアンっていう、オシャレな定食屋さんだ。基本的においしいんだけど、たまにハズレがある、らしい。二人一緒に日替わりを頼んでから、畠君が話を切り出した。

「け、県人会?」
 オレはびっくりして聞きなおした。そんなのがあるなんて、初耳だった。
「あるんだよ、群馬県人会! そんで今度、新歓コンパ。オレ達幹事だから」
「えええええーっ!」
 オレは思わず叫んじゃった。だって、仕方ないと思う。
「オレ、新歓コンパ、やってもらってない、のに?」
「来なかっただけだろ?」
「呼ばれてない、よっ!」
 畠君はちょっと黙って、声をひそめた。
「そりゃー敬遠されるって」
 今度はオレが黙る番だった。畠君は、オレの正体を知ってる一人だ。つまりオレが、この大学の理事長の孫だって。
「とにかく、一緒に幹事やるんだぞ!」
 黙ってると、更に言った。
「ここ、奢るから!」
 オレは500円で買収された。

 カビを採取した寒天培地は、週末の間に教授が培養しておいてくれるんだって。だから、オレ達の勝負は来週の月曜まで持ち越しになった。



 今日は阿部さんは、ドリンク剤じゃなくて、胃薬を買った。
「昨日飲み会だったんだけど、今朝からずっと食欲無くてさ」
「大変ですねえ」
 栄口さんは穏やかに言って、たくさんの胃薬の中から、一つ選んでカウンターに置いた。
「こちら、食前にのむタイプです。今度からは、飲み会の前に液体胃腸薬とか、飲んでおかれるといいですよ」
「そうか、じゃあ今度から、飲み会の前にここに寄るよ」
 阿部さんはお会計をした後、オレに言った。
「悪ぃ、水一杯くれる? もう今すぐのみてー」
「は、はい」
 オレは調剤室の奥の冷蔵庫から、ミネラルウォーターを出して、小さな紙コップに注いだ。その水で阿部さんが胃薬をのんでいる……その様子をつい眺めてしまった。
「サンキュな」
 紙コップをカウンターの上に置いて、阿部さんが言った。
「お、お大事に。ありがとう、ございました」
 オレは慌ててお辞儀をして、その紙コップを……。

 ゴミ箱に捨てられなくて、そっとポケットに入れた。

 ……おれって、キモイかな? 

(続く)



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