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2 三橋君、一滴たらす
 ※冒頭、解剖実習です。ホントにさらっと流してますが、ほんの少しの描写もイヤ! という方は、お戻り下さい。






 オレは何か夢中で手作業してるとき、よく口が開いてるみたい。メール打つときも、野球部でボール磨きしてるときも、よく開いてるって笑われた。

 そして今日……解剖実習中にも、やっぱり口が開いてたみたいなんだ。ハサミで切り開いたラットの上に、ポタリと一滴、よだれが落ちた。
「怖い! 怖いよ、三橋!」
 ペアを組んでた水谷君が、大げさに仰け反って言った。
「なんか危ない人みたいだよ!」
「う、お……」
 そう言われると、ちょっとショックだ。オレが落ち込んだのが分かったのか、水谷君が肩を抱いて、フォローしてくれた。
「うそ、うそ、冗談。三橋はいい子だもんねー」

 水谷君は同じクラスで出席番号も並んでるから、実習で同じ班になることが多い。オレは要領が悪くて、手順なんかも手間取ることが多いんだけど、水谷君は逆に、「どうすれば早く終われるか」って考えるのが得意みたい。
 だからオレは、水谷君のことスゴイっていつも思うし、あんなふうになりたいなって、尊敬してるんだ。


「ねぇ三橋、バイト探すっつってたけど、見つかった?」
 実習の片付けをしながら、水谷君が言った。
「あ、うん。見つかったよ。事務課の掲示板で、薬局のバイト」
 オレが答えると、水谷君が手を止めて、小さな声で聞いてきた。
「もしかして、地下鉄N駅の、重井堂って薬局?」
「う、そうだけど。水谷君、知ってるの?」
 すると水谷君は、水で濡れた手のまま、オレの肩を掴んでガクガク揺らした。

「ダメだよ三橋! もう採用されちゃった?」

 何でそんなことを言い出すのか分からず、オレはきょとんとしてしまった。一体何がダメなんだ?
「もう、一週間になる、よ」
「一週間!?」
 水谷君はちょっと涙目になって、オレの両手をギュッと握った。

「三橋、オーナーには気を付けるんだよ? あそこ、『至ゲイ道』って噂されてんだよ? 可愛い男の子のバイトばっかり集めて、セクハラ三昧って聞いたよ? 手とか握ってこないの?」
 確かにオーナーのセンセーは、事あるごとにオレの手を握ってくるけど……。
「でも、水谷君だって、今オレの手、握ってる、よっ」
 オレが冗談めかして言うと、「もうこの可愛い子はっ!」って言って、肩をぎゅーってされた。

 オレは、中学から親元を離れて、親戚の家や寮なんかで暮らしてきたから、こういうスキンシップが好きだ。恥ずかしいから自分からはできないんだけど、してもらうのは大好き。水谷君も、サークル仲間も、そしてセンセーにも。

「水谷君、心配してくれて、ありがとう!」
「何か困ったことあったら、いつでも相談してよ」
 うん、水谷君っていいひとだなー。
 オレは水谷君に手を振って、部室棟に向かった。

 部室棟は二階建ての建物で、1階が運動部、2階が文化部の部室になってる。オレは野球部だから、一階だ。
 Tシャツとジャージに着替え、軽く準備運動をする。ストレッチが終わる頃、同じ2年生の沖君が現れた。沖君とはクラスが違うから、実習の教科も違う。オレは今日は微生物学で、沖君は有機化学だったみたい。
 沖君の元気が無いので、迷ったけど訊いてみた。
「どしたの? 元気ない」
 すると沖君は、前屈しながら「はああーっ」と大きなため息をついた。
「この間買った靴、さ……」
「うん」

 オレは思い出す。この間の日曜日、練習試合の後で一緒に靴を買いに行ったんだ。バイト先で履き替えられるように、キレイなスニーカーを置き靴しなさいって、栄口さんに言われたから。
 沖君は、オレの用事に付き合ってくれただけだったんだけど、そこで格好いい革靴に一目惚れしちゃったらしくて。一万円位したけど、「えいっ」て気合入れて買ってた。すごいって思ったよ。
 さっそく毎日履いて来てたの見たけど、あれがどうかしたのかな?

「さっき実習で、濃硫酸使ってさ……」
 沖君はため息交じりに、ぽつりぽつりと話してくれる。
 実験では、希硫酸や希塩酸より、濃硫酸や濃塩酸を使うことが多い。濃硫酸はラベルを上向きにして使わないと、液垂れしたら炭化して黒くなって読めなくなったり、扱いが難しい。無色透明だから、普段使ってると、ホントは怖い薬品だって事忘れそうになる。そんでノートとかうっかり焦がして、ギョッとしちゃうんだ。
 沖君もそうだったみたい。背中を丸めてこう言った。
「スポイトから一滴、濃硫酸がさ……一滴、一滴だけど、靴めがけて落ちちゃってさ……」
「えっ、大丈夫だったの?」
「オレの足はね。でもあの靴には、キレイな穴が開いちゃったよ……」
 しくしく、って形容がぴったりな位、沖君が心で泣いてる。気の毒だな。自分が悪いって判ってるから、余計に後悔、だよね。1万円なのにね。

 練習の後で見せてもらった革靴には、本当に1cmくらいのキレイな穴が開いていた。



 今日は栄口さんに、ポップカードの書き方を習った。商品の値段のほかに、簡単な説明も入れて、見やすく目立ちやすくアピールする、プライスカードみたいなもの。スーパーでも本屋でも、よく見かけるよね。
 キレイな文字の書き方にも特徴があって、”8”って数字を書くのに4画いったりするんだって。
 今日は数字の書き方を教えてもらって、それで行楽シーズン用の、乗り物酔いの薬の新しいポップを、実際に書いてみることになった。
 初めてのポップだから、熱中しちゃって。やっぱり口が開いてたみたい、よだれが一滴、カードに落ちた。

 ぶはっ。

 吹き出し笑いと一緒に、ドリンク剤が目の前に置かれる。慌てて顔を上げると、口元を押さえて肩を震わせる、阿部さんが立っていた。
 見られた!
 真っ赤になってるオレの目の前で、まだ阿部さんは笑ってる。オレは照れ隠しにお会計をして、「五百円です」と言った。
「いや、悪ぃ。笑うつもりじゃなかった……」
 そんなこと言いながら、阿部さんは笑っちゃって、ドリンク剤すら飲めないでいる。
「濃硫酸よりマシですよ!」
 怒った振りをしながら、オレは阿部さんに、気の毒な沖君の話をした。

 阿部さんがこんな風に笑うのは、初めて見た。


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