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ハートの日
開店前に納入されるケーキの中に、今朝はハート型のムースが入ってた。いつも四角とか三角とかの素っ気ない形ばっかだから、珍しい。
「うおっ、ハート、だっ」
オレの肩越しに覗き込んでたレンが、嬉しそうな声を上げた。
「パイナップルのケーキと、カボチャのモンブラン、ラズベリームースでーす」
ケーキ屋のバイトの説明によると、このハート形のはラズベリーのムースになるようだ。
「ハート、可愛い、ね」
レンの言葉に、「でしょー」って笑うケーキ屋のパシリ。
「なんでハート?」
2人の間に割り込むようにして訊くと、パシリはちょっと肩を竦めて、
「今日はハートの日ですよ〜」っつった。
「ハートの日?」
そう言われてみれば、確かに今日は8月10日。ゴロ合わせでハートなのかも知んねぇ。けど、わざわざケーキまでハートにしなくてもいいだろう。
「ハートのケーキ型、買ったらしいんスよー。作ってみて良かったら、もっと仕入れようか、って」
「なんだ、試作品かよ」
「そうでもないっスよ〜」
ケーキ屋のパシリの言葉にツッコむと、パシリは空になったパッキンを畳んで、へらへら笑って帰ってった。
キッパリ否定しねーところが、やっぱ試作品っぽくて呆れる。
ケーキ型の仕組みとかはよく知らねーし、分かんねーけど、やっぱ焼き加減みてーなのが違ったりするんだろうか?
けど、そんな裏舞台の事情なんかは、レンには関係ねぇらしい。
「ハート、可愛い、ねー」
ケーキケースを覗き込み、にこにこしてる恋人を見て、ふっと和むのは当然のことだ。
「お前の方がカワイーよ」
肩を抱き寄せ、ちゅっと頬にキスしてやると、レンはいつものように「もおっ」とむくれて、それからにへっと笑顔になった。
ハートの日、っつーのに触発されたのか、レンも今ある食材でちょっとだけ、店にも導入しようとしてた。
ラテアートのハートは2個になり、クマとネコにもハートがついた。リンゴをハートに飾り切りして、パフェにさり気に添えたりもしてた。
「見て、ハート」
って、得意げにリンゴのハートを見せてくんのがすげー可愛い。
ハート以外の部分も使うため、今日のパフェはいつもよりリンゴ率が高かったみてーだけど、そんな日もまああるだろう。
オレもリンゴの果肉を賽の目に刻んで、砂糖水に浸ける手伝いはした。
ハートの日だ、っつって大々的には言ってなかったけど、常連客の何人かは気付いたみてーで、「ハートだ」っつってる声も聞こえた。
「リンゴ、可愛い〜」
って、嬉しげに笑う女の客もいた。
そういう声は、厨房の奥にまで聞こえねぇ。仕方ねぇことだけど、こんな時は時々勿体ねぇなと思わなくもなかった。
けど、オレらの「ハートの日」は、営業を終え、家に帰ってからが本番だった。
晩メシのメニューは、レンがサッと作ってくれたオムライスと、サラダとスープ。そのオムライスの卵の上に、レンがケチャップでハートを描いて、「どーぞ」って出してくれたのが最高だった。
照れながら「どーぞ」っつってる、その顔が可愛い。ケチャップでハートっつーのが可愛い。
店を出るとき、「今日、オムライス、作るっ」って張り切ってたの、これかって感じ。じゃあ一体いつから計画してたのか……そういうとこも可愛かった。
よく見りゃ、サラダに入ってたパプリカもハート型になってて、いつの間にってちょっと驚く。
「これ、ランチプレートでも出せばよかったな」
くくっと笑いながら、愛情籠ったハートのオムレツをスプーンですくうと、「だ、め」って可愛く否定される。
「こっ、このハート、は、オレとタカだけの、だから」
じわーっと赤面しながら照れ臭そうに言われた瞬間、魅了されて不覚にもくらっとした。
明日も営業日だっつーのに、オレにどうさせてーんだろう?
立ち仕事だけど、立てなくさせてやってもいいんだろうか? いいのか? 臨時休業もアリだろうか?
『バリスタ急病のため、本日臨時休業』
そんな看板を描くところを思い浮かべ、いいかも知んねーな、と恋人の顔をじっと見る。
愛情オムライスを食い終わるまでに、この昂ぶりが収まるのか――それは、もはや賭けなのかも知れなかった。
(きょっ、今日はダメッ)
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