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お客の気分 (水谷視点)
※バイトの水谷視点です。


 長かった定期試験がようやく終わって、お祝いにケーキを食べに行くことにした。
 まだレポート提出が2科目分残ってるけど、提出期限まであと5日あるし、きっと大丈夫。それより今は、お祝いだ。
 美味しいケーキの店というと、パッと思いつくのは自分がバイトするカフェだ。ケーキは外注で、近くのパティスリーから卸して貰ってるんだけど、ハズレがない。
 やっぱり、ご褒美といえばケーキだよねぇ。
 パティスリーでケーキを買って、自分ちでゆっくり食べるのもいいけど、たまにはバイトする店に行って、客席に座ってみるのもイイ。
 あのいつもエラそうなオーナーに、「いらっしゃいませ」って言われてみたい。いや、それより篠岡とかに可愛く給仕される方が嬉しいかも?
 もう梅雨も明けたし、夏休みだし、きっとABMHカフェも忙しいだろう。夏はやっぱり開放的なテラス席の方が人気出るけど、屋内席の方が涼しいのは分かってる。
 屋内席、空いてるかな?

 きょろきょろとオープン席を見回しながらテーブルの間を進み、屋内席の中に踏み込む。
 すうっと肌を冷やす、冷房の心地よい冷気。外はものすごく暑いから、ひんやり空気が気持ちイイ。炎天下を歩いてかいてた汗が、一気に引いてくのが分かる。
 ケーキとアイスコーヒーの気分だったけど、こんな涼しい店内なら、ホットでもいいかも。それとも、慣れるとやっぱり暑く感じちゃうかな?
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
 オーナーの無愛想な声がして、目の前に水のグラスとお絞りが置かれる。
 案外普通の対応だ。そう思ってちらっとオーナーの顔に目を向けると、オーナーはオレの顔なんか見てなくて、視線すら合わなくて、ガクッとした。
 いやいや、お客さんの顔くらい見ましょうよ、オーナー。
「今月のコーヒーって、何ですかぁ?」
 心の中でツッコミを入れつつ、わざとらしく質問を向けると、オーナーは。
「今月のスペシャルは、夏限定の……」
 そこまで言ったところで説明をやめて、ものすごい低い声で「んあ?」ってオレを睨みつけた。

「えーとケーキセットで、夏限定のソレください。バリスタの愛情こもった、熱々のホットで」
 えへへー、と笑いながらオーダーを告げると、オーナーは険しい顔をキープしたまま、ハンディ端末を手早く操作して、また「ああん?」って低い声を出した。
 いつも愛想のないオーナーだけど、今日は特に機嫌悪そう。もしかしてやっぱり、忙しい? 三橋さんとイチャつく時間がなくなると、だんだんキレ気味になってくるから分かりやすい。
 まあ、今のオレはお客さんだし、関係ないけどね。
「今日で試験、終わったんですよ〜」
 にへらっと笑みを向けたけど、オーナーが笑い返してくれることはなかった。まあ、いつもの悪人顔でニヤッと笑い返されても嬉しくないから別にいいけど、もうちょっとお客様扱いして欲しい。
「冷遇ヒエヒエのアイスコーヒーですね」
「いやいや、熱々のホットで!」
 冗談でも冷遇ヒエヒエはやめて欲しい。結局復唱もないまま厨房に消えてったけど、ちゃんと熱々ホットが出て来るのか、心配だ。

 オーナーと入れ替わりに、篠岡がトレイを2つ捧げ持ち、忙しそうにオープンスペースの方に歩いてく。
 かと思うとまたすぐに、今度は空きグラスをまとめて重ねて運んで戻って来た。
「すみませーん」
 お客さんの声に、「はーい」とにこやかに返事する篠岡。
「少々お待ちくださいませー」
 明るい声、明るい笑顔で接客してる様子は、可愛いけど格好いい。
 とても声を掛けるような余裕はなさそうだから、ちらっと手を振って合図して、篠岡のビックリ顔を楽しんだ。
 オーナーとは違い、にこっと笑みを返してくれて、心の奥がほかっとする。冷房の程よく利いた店内、ケーキセットはまだ来ないし、オーナーの視線はすごく冷たいけど、可愛い子の笑顔をを見れただけで満足だ。

「本日のケーキは、マンゴーのショートケーキ、レモンのタルト、塩キャラメルのパイになります」
 オーナーに淡々と説明されて、「えー、どうしよう」ってちょっと迷う。
「女じゃねーんだから」
 ぼそっと言われたけど、女子でも男子でも、美味しいケーキの前で迷ってしまうのは当たり前のことだ。
「じゃあ、塩キャラメルのパイ、お願いします」
「塩対応ですね、かしこまりました」
 塩対応、って。オーナーに言われると冗談に聞こえないからスゴイ。「ひどっ」と思わず言い返すと、ニヤッといつもの笑みを返されて、うわぁ、とドン引く。
 オーナー目当ての女性客多いみたいだけど、ホント、こんな真っ黒な人のどこがいいんだろう? 主に三橋さんに訊いてみたい。

 ケーキの載ったトレイを片手に持ち、颯爽と厨房に戻ってくオーナーの後姿を何となく見送る。
 選んだケーキを皿の上に置いて、残りをケーキケースに戻して、紙ナプキンとフォークをセットする。できあがったドリンクやフードを見て、ハンディの情報を確認し、順次客席に運んでく。
 今はお客として来てるのに、バイトとしての仕事が次々頭に浮かんで、なんだかちょっと落ち着かない。
 そんなオレの目の前を、篠岡がまた忙しそうにトレイを持って通過する。
「オーナー! お会計お願いしまーす!」
 厨房に向かって掛けられる、篠岡の声。
 厨房からしぶしぶ出て来て、レジの前に立つオーナー。ABMHカフェの様子はオレがいなくてもいつも通りで、でもちょっと忙しそう。
「お待たせしましたー、塩キャラメルのパイと、夏限定ブレンドのホットですねー」
 篠岡がハキハキと言って、オレの前にケーキとコーヒーを置いた。
「ありがとう〜。忙しい?」
 にへっと笑みを向けながら訊くと、「うん」とキッパリうなずかれて、ちょっと気まずい。

 レポートはまだ2科目分残ってるし、次のバイトの予定日は1週間も後だし、今はお客として来てるんだけど――こうしてみんなが忙しそうにしてるのを見ると、やっぱり落ち着かないなぁと思った。

   (水谷、手伝って帰れ)

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あきゅろす。
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