[携帯モード] [URL送信]

拍手Log
サービスの内訳 (篠岡視点)
※バイトの篠岡視点になります。


 夕方、日が落ちてから、雷と共に雨が激しくなった。
「きゃあーっ」
 そんな声と共に女性客が駆け込んできて、雨宿りかなと推測する。
 私に「きゃあー」と叫ぶような可愛げはないけど、確かに雷は怖いなぁと思う。雷の中、傘を差して歩くのもちょっと怖い。
「いらっしゃいませ」
 店内に入って来られた女性に、「どうぞ」とオーナーがすかさずレンタルのタオルを差し出す。
「えっ、ありがとうございます……」
 女性客は驚いたように顔を上げ、それからオーナーを振り仰いでぽうっとしたようにその顔を眺めた。
 目にハートマークが浮かんだように見えて、あーあ、と心の中だけで思う。オーナーは確かに格好いいから、初見でそうなるのも無理はない。
 けど、そのスマートさと見せかけの優しさに騙されちゃダメだ。
 雨の日、店内に入ってくるお客さんにこうしてタオルを貸し出すのは、サービスに見せかけた、「床に水滴落とすんじゃねぇ」っていうオーナーのプレッシャー。
 「早く拭け」っていう、オーナーの心の声まで聞こえてくる。

 ちなみにそのタオルは、店頭で販売してるマグカップや、オープンスペースの屋根に印刷されてるのと同じ、ABMHカフェのロゴマーク入りだ。
 コーヒーを運ぶオーナーと、コーヒーを淹れてる三橋さんのシルエットの入った、プロトタイプ。
 けど、どうもタオル地に印刷するには繊細なデザインが上手く出なかったみたい。三橋さんのシルエットが今一つキレイに出なかったみたいで、それで没になったらしい。
 店頭で売ってるタオルは、シルエットなしで、ABMHカフェのロゴだけが入ったタイプになる。シルエットがないと可愛くないと思うんだけど、この辺はオーナーのこだわりだから、仕方ない。
 それでも、没になったモノを捨てないで、こうしてレンタルに使ってるんだから、転んでもタダでは起きない感じ? それとも三橋さんのシルエット入りだから、捨てたくないだけなんだろうか?

「いらっしゃいませ、ご注文はお決まりですか?」
 女性客がタオルを置いたタイミングを待ち、水とお絞りを持って向かう。
「あ、はい。えっと……」
 メニュー表を開きながら、彼女が注文したのはホットのカフェラテ。まあ確かに、こんな肌寒い夕立の日には、温かくて甘いものが飲みたくなるの、分かる。
「ラテアートは何にいたしましょう?」
「え? あ、普通ので」
 普通の、というと、真ん中にまん丸が浮かぶタイプのでいいんだろうか? 実はあれにも名前があって、モンクスヘッド、修道士の頭って意味があるらしい。
 最初聞いた時何かと思ったけど、同じバイトの水谷君が、「ザビエルハゲかぁ」って言うのを聞いて、すごく笑った覚えがある。水谷君はこういうとこ面白くて話しやすい。オーナーは思っても言わなそう。
「かしこまりました。当店のコーヒーは、バリスタが1杯1杯丁寧に淹れておりますので、少々お時間をいただいております」
 女性客がうなずくのを待って、ハンディ端末にデータを打ち込み、伝票をテーブル上の伝票入れに挿し込む。

「オーダー入りまーす。カフェラテ、1つ」
 厨房を覗き込みながらオーダーを通すと、三橋さんが真剣な顔でコーヒーを淹れてるとこだった。
「うお、うん」
 そんな返事をしながら、布ドリップに向き合うバリスタの横顔は、オーナーとは違う意味で格好いい。けど、格好いいからって眺めてると、オーナーに睨まれるから、油断できない。
「お待たせ、カフェラテ、はい」
 三橋さんが返事をしながら、作業台の上にプレートを並べた。
「コーヒー、持っていきますね」
「うん。キリマン」
「キリマンジャロ、ホットですね」
 添えられたプレートを確認し、ハンディのデータを確認して、どこのテーブルに運ぶのかをチェックする。慣れた作業だけど、失敗しないためにも確認は大事だ。

 銀プレートにコーヒーを乗せ、フロアに戻ると、入れ替わりにオーナーが厨房の方に向かってった。
「オーダー入るぞー」
 声の調子がちょっと低くて、機嫌悪そうなの分かる。けど、厨房に行くたびに、その期限の悪さがリセットされるのも分かる。
 機嫌悪いのは、フロアがさっきから濡れてるせい?
 他のお客さんが濡れた床で滑らないよう、しょっちゅうモップがけする必要あるから、まあ、面倒だなって思うのも分かる。けど、顔に出すのはやめて欲しい。
 ピカッ、と遠くで雷が光るのが、ビニル屋根越しにも見えた。
 歩道の向こうまで大きく張り出した屋根の上を、水滴がひっきりなしに流れてく。
「きゃあー、濡れるー」
 そんな悲鳴と共に、今度は男女の2人組が屋根の下に駆け込んで来た。そのまま誘い込まれるように、オープンスペースの方に入って来たので、「いらっしゃいませー」と声を掛けておく。

「お待たせいたしました、キリマンジャロです」
 オーダーのコーヒーをそっとテーブルに置くと、「ああ」って返事と共に、常連のおじさんがタブレットから顔を上げた。
 タブレットの画面が見えそうになって、慌てて顔を背けたけど、ちらっと見えてしまったそこには、文字がずらっと並んでて、何か読んでたんだなぁって分かった。
 電子書籍かな? カフェでゆったり読書するのも、ゆったりしていいなぁと思う。
 内情は、ゆったり優雅とは程遠いバイトだけど、コーヒーの匂いは素敵だし、「美味い」って声を聞くと嬉しい。
「ごゆっくりどうぞ」
 一礼してテーブルを離れ、ゆっくりと客席を見回す。
 雨の日は客足が鈍りがちだけど、雨宿り目当ての人もぼちぼちいて、平日だけど忙しい。

 店内に戻ると、オーナーがフロアの入り口で、また別のお客に例のタオルを差し出してた。
「いらっしゃいませ、タオルをお使いください」
 ビミョーに不機嫌な顔、不機嫌な声。けど、見かけ上格好いいオーナーにタオルを差し出され、女性客の反応は悪くない。
 騙されてる、騙されてる。そんなツッコミを心の中で繰り返しつつ、「いらっしゃいませー」と水を運ぶのは私の役目だ。
 オーナーは、というと厨房の方に顔を出してて、仕方ないなぁと苦笑する。
 癒しが欲しいのは、私たちバイトもなんですけど、オーナー?
「すみませーん」
「はーい」
 客席に呼ばれて返事して、オーダーをうかがい、厨房に向かう。オーナーはまだ恋人さんを眺めてて、気持ちはわかるけど、仕事して欲しいなぁと思った。

   (オーナー、フロアお願いします!)

[*前へ][次へ#]

21/154ページ


あきゅろす。
無料HPエムペ!