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14 三橋君、自覚する
お泊りセット、なんて意識は無かったけど、オレは替えパンツなんてのも持って来てた。だって練習や試合の後は、汗まみれになるのいつものことだったし。シャワーの後は、新しいのはきたかったし。
お風呂を戴いて、持って来てた黒アンダーとジャージに着替え、リビングダイニングに向かう。
「お風呂、お先、に、ありがとうござい、ました」
「おー」
リビングで、写真パネルの前に立ってた阿部さんが、オレをちらっと見て言った。あ、オレがさっき見てたのと、同じ写真を見てたみたいだ。
阿部さんと、阿部さんのピッチャーが、仲よさそうに映ってる写真。
オレがさっき見て、泣いちゃった写真だ……。
「落ち着いたか?」
阿部さんがオレの頭をぽん、と叩いて、入れ替わりにお風呂の方へと向かう。
「は、い」
返事をしたオレに、小母さんが、麦茶のグラスを持って来てくれた。
「あ、ありがとう、ございます」
オレはペコリと頭を下げた。
「ちょっとは酔いが冷めたかしら? 三橋君、泣き上戸なのねぇ」
小母さんにくすくす笑われて、赤面する。
でも、泣き上戸って思われてるなら、その方がいい。勝手に嫉妬して、悔しくて泣きました、なんて知られたくない。
……阿部さんも、そう思ってくれてたらいいんだけど。
オレの気持ちになんか、気付いてなければいいんだけど。
さっき。阿部さんに泣いてるとこ見られちゃった後。オレ、つい口が滑って……言っちゃったんだ。この人が羨ましいって。
嫉妬で胸が痛いって。
阿部さんとバッテリー組みたかった、って。
阿部さんはちょっと驚いて、それから呆れたように言った。
「そりゃ、こっちのセリフだぞ。オレだって、お前の球、もっと受けてーよ。シュンだって親父だって、受けさせろっつってたじゃん」
それからオレの頭をわしゃわしゃ撫でて、静かな声で付け加えた。
「でも、サンキュな」
違う、違うんです、阿部さん。……って。
オレ、言っちゃいそうになるのを、何度もこらえた。
オレだけのキャッチャーになって欲しいんです。あなただけのピッチャーになりたいんです。なんて。
そんな馬鹿げた事、口走りそうになるの、必死で我慢した。
やせ我慢したせいで、すぐには泣きやめなかったけど……阿部さんはオレの嗚咽が静まるまで、ずっと側にいてくれた。ずっとソファで隣に座り、頭を優しく撫でてくれた。
泣きやむまでの間、いろんな事考えてた。
マウンド独り占めして、チームプレイが理解できなくて、何もかも台無しにしちゃった中学時代。
ヒイキしないモモカンのお陰で、マウンド譲れるようになった高校時代。
修ちゃんとオレとで、「ダブルエース」なんて取り沙汰された甲子園。
そして……野球は「趣味」として続けてる、今の事。
自信を持つ、という事。
阿部さんの事。
阿部さんもシュン君も……小父さんも。甲子園には出られなかったらしい。
それは全然珍しいことじゃなくて。甲子園の土を踏むことができた、自分達こそが稀なんだって。すごい事なんだって。分かってたつもりで分かってなかった。
どんなに頑張っても、オレより実力があっても、行けない人の方が多いんだ。運は勿論必要だけど、運がいいだけじゃ行けない。甲子園は、そういう場所だ。
オレ、忘れてた。
ダブルエースの片割れとしてでも、1番を着けて、甲子園に出たからには、それをちゃんと誇りに思ってなきゃいけないんだ。
自信を持ってなきゃいけないんだ。
麦茶を飲み終わる前に、阿部さんがお風呂から出てきた。すごく早くない? カラスの行水?
阿部さんは冷蔵庫から麦茶を出しながら、小母さんと話してる。
「腹減ったなー。何か無いの?」
「もう! お寿司も残ってないわよ。うどんか、お茶漬けか……」
「んー、違うんだなー」
阿部さんは麦茶を飲みながら、オレの方に来て言った。
「三橋ー、腹減らね?」
「う、えと」
ホント言うと、ちょっとお腹空いてきてた。胃薬のお陰で、胸焼け治まったし、お風呂も気持ちよく入れたからかな。
「あ、そうだ」
阿部さんが言った。
「ラーメン行こうぜ」
「うお、ラーメン!」
そう聞くと、すっごく食べたくなってきた、ラーメン。
「あいつら起きたらウゼーから、さっさと行っちゃおうぜ」
「あ、でもオレ、ジャージ……」
「いーよ、いーよ、ジャージなら。……っと、オレがヤベェか?」
阿部さんは、白いTシャツにグレーのスウェットパンツだ。小母さんがちょっと慌てたように言った。
「タカ、あんたスウェットはやめて頂戴」
「……だよなぁ」
阿部さんは、オレに待ってろと言い残し、廊下に出て、階段を軽やかに上がって行った。
「三橋君は、よく食べるのに細いのねぇ」
ダイニングで座ったまま、小母さんがオレに声を掛けた。
「うちなんて、お父さんがアレでしょ。気を付けなさいって、タカには言ってるのよ。運動やめたら太るわよって。太ったらもうモテなくなるんだから!」
う、確かに小父さんは……メタボだ。
顔が似てるだけに、簡単に想像できてしまう。うわー、ダメだ、メタボな阿部さんは見たくない、ぞ。
今はまだ、がっしり筋肉がついてて、うらやましいくらいだけど。でももう現役で野球をやってないなら気を付けないと、女の子は厳しいから……。
……え……現役で、もう?
……女の子、は?
「お待たせ、じゃー行くか」
阿部さんが、下だけジャージにはき替えてきた。小母さんがそれに文句を言う。
「何でジャージなのよ、他にあるでしょ?」
「いーんだよ、ラーメン屋なんか何だって。な?」
阿部さんが、快活に笑う。
と、大きな声が割り込んできた。
「聞こえたぞ、ラーメンって何だ?」
小父さんの声だ。でも声が遠い。和室から怒鳴ってんのかな。
「オレも食いてーぞ、ラーメン! ラーメン!」
「兄ちゃん、オレも行く! ラーメン! ラーメン!」
シュン君と小父さんの声に混じって、花井君の弱々しい声も聞こえた。
「水下さい……」
小母さんに持たされた水のグラスを三人分持って、二人で和室を覗きに行った。
「オレは留守番でいいっすか」
げんなりと胃薬を飲む花井君を、「ノリ悪ぃぞー」とシュン君がからかってる。
小父さんはまだ「ラーメン、ラーメン」と騒いでる。
「お前ら、まず、風呂行って来いよ」
阿部さんが笑ってる。
一気に騒がしくなったので……オレも、ちょっと笑って。
今、引っ掛かった事に関しては……忘れてしまう事にした。
(続く)
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