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11 三橋君、感動される
マウンドの状態は、お世辞にもいいとは言えなかった。オレはスパイクで、少しでも自分好みに近付くよう、ガシガシ土を整えた。
阿部さんが、オレを見てる。
キャッチボールだけなら、スパイクなんて要らない。ジャージだって。黒アンダーだって。結局ジャージには着替えなかったけど、でも、用意したって事はつまり、投げるつもりだったって事、だ。
オレ、無意識に……投げたかったんだ、阿部さんに。
バッターもいないのに、緊張する。
畠君でも、花井君でもない……スゴイキャッチャー。
出会いはバイト先のお客さんで。野球なんて関係なくて。でも惹かれて。
毎日、一目会えるのが、いつの間にか楽しみで。ちょっとでも話せた日は、有頂天になっちゃって……。
ふうう、と一つ、息を吐く。
目を閉じ、見開く。ミットを見据える。
右手にはなじんだ感触。すっかり覚えこんだ指が、縫い目の赤い糸を辿る。
自信があるとかないとか、そんなものは吹き飛んで。ただ集中して。大きく振りかぶって、投げた。
パシイッ!
すっごいいい音が響いて、ぞくっとする。
三星時代、オレの調子も畠君の調子もすっごく良かった時、すっごく稀に聞いた音。会心の音。
たった1球目で、何でこんないい音、出せるんだろう?
「ナイスボール!」
阿部さんがボールを投げて寄越した。
もう一度、振りかぶって投げる。
パシイッ!
会心の音が響く。
技術が高いのかな。きっと、芯で捕らえてる音なんだ。
パシイッ!
何てスゴイんだろう!
だんだん笑みが広がる。オレ、笑ってる。
10球目を投げた後、阿部さんがいきなり立ち上がった。
「阿部さん………」
スゴイですね、と続けようとしたオレの言葉を、阿部さんの大声が打ち消した。
「三橋! お前、マジでスゲェ!」
「ふげっ」
ミットをはめた手が、バフっとオレの頭を掴む。右手がオレの背中をバシッと叩く。
「オレ、ミット1ミリも動かしてねーぞ? こんな、構えたとこに吸い寄せられて来るみてーなボール、初めてだ!」
阿部さんの、こんな興奮した顔を見るのも、初めてだ。
「変化球! お前まさか、変化球も9分割とか言わねーよな!? 投げてみろ!」
阿部さんは一方的に早口で言って、またホームへと戻って行った。
広い背中が浮かれてる。
なんか、何と言うか、子供みたい……?
いそいそとしゃがんでミットを構えながら、阿部さんが言った。
「じゃあ、まずシュート!」
調べたのか、それとも花井君から聞いたのかな。阿部さんは、オレの球種を全部把握してるみたいだった。
でも残念だけど、全部の球種を捕って貰う事はできなかった。
シュート10球と、フォーク5球を投げたところで、サッカーボールを持った子供達が、グラウンドの中に入って来ちゃったんだ。
あくまでここは都市公園だし。子供達のいるところで、いくらバッターがいなくても、いくらコントロールが良くても、やっぱり大人が硬球を投げるのは良くない。
「残念だけど、今日はここまでだな」
阿部さんが、それでも、すっごい笑顔で言った。
「今度はどっか、専用グラウンド借りっか?」
今度。
その単語に、ドキンとする。
また会える?
また、捕って貰える?
変なの、オレ、まだ一応大学でも野球部で、毎日たっぷりって訳じゃないけど、投げてるのに。花井君だって、悪いキャッチャーじゃないと思うのに。
何で……阿部さんに捕って貰える事が、こんなに嬉しいんだろう。
「何でお前、大学で続けなかったんだ?」
色褪せたベンチに座り、防具を簡単に手入れしながら、阿部さんが訊いた。
「いや、まだ続けてるって事には、一応なるんだろうけどさ。でも本格的にじゃねーだろ? もったいねぇ。大学野球だって、充分通用すんじゃねーか」
オレは即答できなくて、自販機で買ったアクエリを一口飲んだ。
「ありがとう、ござい、ます」
取り敢えず、お礼を言っておく。
お世辞か本音かは分からないけど……多分半分以上はお世辞なんだろうけど。でもやっぱり褒められると嬉しかった。
嬉しいと力が出る。
絶対的な自信が無くても、それだけで投げられる。うん、投げて来られた。
理由なら、いっぱいあった。
三星薬科に来たのは、卒業したらすぐ理事になることが決まってるから、だけど。
でも、野球を諦めたのは、結局自信が無かったからだ。
伸びない身長。増えない筋肉。思うように上がらない球威。
エースナンバーを貰っても……修ちゃんや畠君、チームの皆に認められても。どうしても、心底の自信は持てなかった。
甲子園に行けたのだって、ダブルエースだったからだ。修ちゃんの球威・急速のある球と、オレの遅い癖球とで、打者の目を惑わせる……それがうまくハマったからだ。オレがエースだったからじゃない。オレがいい投手だったからじゃない。
ずっとそう思ってた。
なのに。
「お前さ、もっと自信持っていーぞ」
阿部さんのたった一言が、胸にじわっとしみて来る。何でだろう。
(続く)
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