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三橋君と夜の温泉
お休み処って書いてるから、ベンチがいっぱいの休憩室みたいなのを想像してたけど違った。普通の喫茶店みたいな感じのお店だ。
コの字型の大きなカウンターの周りに、テーブル席が並んでる。壁はぐるっとガラス張りで、外の様子がよく見えた。
店の中は明るいのに、落ち着いた雰囲気なのは、内装の色調が大人しめのせいかな?
床もカウンターもテーブルも椅子も、同じような木でできていて、濡れた水着で座っても、すぐ乾くみたい?
オレ達みたいな水着の人が多いけど、中にはレンタルの浴衣姿のままの人もいて、あ、ここ、水着じゃなくても散歩だけならできるんだなぁ、って初めて知った。
「生1つと、アクエリ1つ」
阿部さんがカウンターの中に向かって注文して、それから店の奥のテーブルに座った。
けど、えっ、今、「生」って言った? もしかして生ビール?
入浴中とか入浴前後すぐ、とか、よくないって聞くけど……水分補給してれば大丈夫、なの、かな?
運ばれてきたジョッキを手に、ビールをぐーっと呑み干してくのを見てると、ホントに美味しそうだ。
オレのアクエリも程よく冷えてて、ゴクゴク飲めて美味しかった。
ガラスのすぐ向こうには、何か他の温泉が見える。さっき廊下の方から見えた川みたいなのがずっと繋がって流れてた。
裸足で中に入ってる人もいるけど……あれ、水じゃないの、かな? もしかして温泉の川?
浴衣姿の人も、何人かいるみたい。
ぼうっと見てると、「行ってみるか?」って訊かれた。
「足湯だろ、あれ。足つぼんとこもあるらしーぞ」
「あ、足つぼ……」
そういうのって、なんかTVで見たコトある。小石がいっぱい並んでて、その上を歩くんだよね。痛いらしいけど、大丈夫なの、かな?
店を出てすぐに出入り口があって、そこからさっき見た足湯の所まで、通路で行けるようになっていた。
近付くと、ホントにちゃんと温泉だ。川だけど、湯気が立っている。
大学生かな? 同い年ぐらいの男女が、足つぼのところをきゃあきゃあ言いながら歩いてた。
オレは5歩くらいで、もう歩けないってくらい痛くなっちゃったんだけど、阿部さんはそのまま平気な様子でスイスイと歩いて行く。
なんで? 阿部さん、日頃お疲れなのに。
実はスッゴイ健康? それともお酒のせいで、痛覚が鈍くなってるの、かな?
「三橋、何やってんだ?」
余裕の顔で呼ばれて、手を差し伸べられて、嬉しいんだけど複雑だ。
「ま、待って、いた、ひっ、うあ、も、もっとゆっくりっ」
悲鳴を上げて、痛がりながら手を引かれてくオレが、面白かったのかな? 女の子たちにくすくす笑われて恥ずかしかった。
阿部さんも、肩を震わせて笑ってた。
足湯の先には他の温泉があって、すぐそこの湯に入ってからも、くっくっと笑いっぱなしで。
「もう、笑い過ぎ、です」
オレが文句を言うと、「だってお前……」って、また笑われた。
その後は、水着コーナーから中に戻って、普通の温泉に入った。
体を洗って、髪を洗って、まずは露天風呂につかる。
なんか、水着があるのとないのの違いだけじゃなくて……狭いからかな? それとも人が多いからかな? なんとなくだけど、さっきより緊張した。
普通の温泉もやっぱり種類があって、ジャグジーとか漢方湯とか釜湯とか色々あったけど、取り敢えずは出ることにした。
水着の方で十分体はあったまってたし、阿部さんもあくびしてたし。
サウナもドライとスチームと2種類あって、いいなぁって思ったけど、今はちょっと遠慮したい感じ。
「今日は泊まるから。夜中か明け方にでも入りに来いよ」
阿部さんが言った。
水着ゾーンは夜中の12時まで、普通の露天風呂は夜中の2時までらしいけど、内湯は朝までずーっとやってるんだって。
一人で浴衣着るのはちょっと自信なかったけど……夜中に人の少ない温泉に行ってみるのも、いいかも、な。
湯上りに浴衣を着て、カウンターバーみたいなところで生ビールを1杯呑んだ。
ビールは利尿効果があるから、水分補給の意味はないって前に誰かから聞いたけど、でも美味しい、よね。
まだ外は明るいくらいなのに、定食屋や焼き肉店には、いっぱい人が並んでた。バーのスタッフさんが言うには、10時ぐらいからちょっと空いてくるんだって。
でも、それまで待ってたら寝ちゃいそうだ、し。ちょっと並ぶのを覚悟して、和食屋さんに入ることにした。
中は宴会会場みたいな広いお座敷で、家族連れがいっぱいで賑やかだった。
料理が来るのはそんなに遅くないんだけど、回転率が良くないのは、みんながお茶飲みながら座り込んでるからなのか、な?
でも、考えてみれば、入浴後の食事は45分くらい経ってからがいいって言うし。待ち時間とか考えたら、それくらいになってちょうどいい、かも。
ちょっと豪華めの食事はすっごく美味しかったけど、あまり落ち着かないので、ビールをもう1杯ずつ呑んでから、借りてる部屋に行くことにした。
今日泊まるのは、フローリングと畳とがフラットになってる、ちょっとモダンな感じの和風の部屋だ。
「ワリーな、ちょっと予約が遅かったから、内湯ついてねーんだ」
阿部さんは残念そうに言ってたけど、同じ館内にあんな大きな温泉があるんだし、別に困らない、よね?
水着の時に呑んだのも合わせると、阿部さんが呑んだビールは中ジョッキ4杯くらい。さすがに酔って来たのか、阿部さん、ちょっと眠そうだ。
「布団、敷きます、ね」
そう言うと、阿部さんに「頼む」って言われた。
「ちょっと寝る」
って。
そう言えば、昨日も残業だったし、お疲れなんだよ、ね。
と、そう考えたところで、カバンの中に入れっぱなしの、あの栄口さんから貰ったカプセル剤のことを思い出した。
効くよ〜、って笑顔がちょっと不気味だったけど……滋養強壮剤って、本来は今みたいな肉体疲労の時に飲むもの、だし。効くんなら、たとえただのビタミン剤でも、飲んで貰った方がいい、かも。
「あの、これ、よかったら」
オレは阿部さんに声を掛け、白いカプセルを2つ渡した。
それから、部屋に備え付けのポットからお水をくんで、飲んでくださいって促した。
「効きますよ」
って。
成分に何が入ってるか、全く教えて貰ってないけど――せめて「効きます」って言うことで、プラシーボ効果だけでも現れてくれればいいなと思った。
(続く)
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