拍手Log
三橋編・後編
コンロが1つしかないから、やっぱりホイル焼きはオーブンで作ることにした。
いつも阿部さんがトーストを焼いてくれるから、実はオレ、まだ1回もこのオーブンを使ったことがない。
でも、毎回オレ、早起きできる状態じゃないし……そもそもそれは、阿部さんのせいなんだから、仕方ない、よね。
初めて使う機械にはやっぱりちょっと緊張するけど、大学の実験だってそういう感じだから、度胸だけはついたと思う。
だって吸光光度計とか電気泳動機とか、見るのも触るのも初めてに決まってるし。でも落ち着いて考えれば、そういうのでもちゃんと使えるって分かってきた。
だから、阿部さんちのオーブンも、冷静に見ればちゃんと使える。
ご飯を炊きながら、オーブンでホイル焼きを焼いて。その間、野菜を刻んで煮物を作って、その後で味噌汁を作る。
お鍋もコンロも1つしかなくて、一度にできないのがちょっと不便、だ。
こんな時、もっとちゃんとしたキッチンならな、って、やっぱり思う。
でも、オレんちだってそう変わらないし、ワンルームマンションならこれが当たり前なの、かも?
阿部さんは、オレと一緒に住むために、もっと広い部屋を……って言ってくれてる。
それは勿論嬉しいんだけど、でも一緒に住むなら、毎日ご飯食べて欲しい、し。だったら部屋数とかじゃなくて、もうちょっと広いキッチンのあるとこがいいなぁ。
でも……えっと、まだまだ先の事だ、よね。
ご飯の炊ける匂いが部屋に漂い始めた頃、カチャッと音を立てて鍵が開き、阿部さんが帰ってきた。
ミニキッチンは玄関の真横にあるから、ホントに鉢合わせ、で。ドキッとして、思わず顔を逸らしながら、オレは小声でぼそっと言った。
「あ、お、帰りな、さい……」
言ってから、カーッと顔が熱くなる。
「お帰り」を言ったのは、今日で2回目、だ。
阿部さんが、オレの後ろで「ははっ」と笑った。
同時にドサドサッと、カバンが床に落ちる。
何だろう、って思う間もなく、抱き寄せられてキスされた。
「あ……」
阿部さん、って呼ぼうとした名前がキスの中に溶ける。
テスト期間は会えなかったから……久し振りの阿部さん、だ。
阿部さんも、久し振りだって思ってくれてるのかな? いつもよりキスが深い。
舌を絡めるだけじゃ足りないみたいに、舌の根の奥まで舐められる。
「ぅあ」
びくっとなって、思わずうめくと、一瞬だけ舌がほどけた。
「何?」
阿部さんがかすれた声で訊く。
でも、答える間もなく、また舌を差し込まれた。
頭の後ろに手を回されて、逃げられないように押さえられる。
「んん……」
また深くキスされて、息が続かない。
食べられてるみたい。
「んあ!」
たまらず身をよじった時、ピーとオーブンが鳴った。
ふっと拘束が解かれ、阿部さんが名残惜しそうに離れてく。
頭の芯がぼーっと痺れたみたいになったけど、あ、ホイル焼き……って、思い出す頭は残ってた。
部屋の中には、魚のいい匂いが漂ってる。
肩で息をしながらオーブンの方を振り向くと、腕を回されて引き戻された。
ちゅっと、こめかみにキスされる。
「ただいま、廉」
耳元で不意打ちみたいに言われて、ぼーっとした頭にカーッと血が上って、くらくらした。
でも、そんなオレをよそに、阿部さんの方はまるっきり平気みたいだ。
コートをクローゼットに仕舞いながら、「いいニオイだな」って笑ってる。
オレは――えっと、何してたんだっけ?
炊飯器? オーブン? ぼうっとしながら目線を巡らせて、コンロを見てハッとした。
思い出した。
「あ、味、噌汁」
材料を鍋に入れたまま、まだ水も入れてない。
「すみま、せん。も、もうちょっと待って貰っていい、です、か?」
片手鍋を持ったままで阿部さんを振り向くと、ローテーブルの前にドカッと座って、阿部さんが言った。
「おー、いーぜ」
そんで、ふふっと笑いながら、こう続けた。
「やっぱ、コンロ1個じゃ不便だろ」
って。
正直に「はい」って言うのは、さすがに遠慮した、けど。でも、分かってくれてるなぁって思ったら、嬉しかった。
作りたての手料理を、好きな人に目の前で食べて貰うのって、緊張する。でも、「うめぇな!」って言って貰えたら、すごく嬉しい。
味噌汁に入れたホウレン草としめじは、ホイル焼きにも入れてたんだけど、どっちもおいしいって食べてくれた。
「毎晩食いてーなぁ、お前の料理」
しみじみとそう言う阿部さんは、また、いつか一緒に住むこととか考えてくれてるの、かな?
まだまだ先の話だと思うけど、オレはそう言って貰えるのが嬉しくて、ふひっと笑った。
「ま、毎日、お弁当も作ります、よー」
オレがそう言うと、阿部さんは「それ、いいな」って、笑いながらオレを抱き寄せた。
「約束だぞ」
低い声で囁かれて、くすぐったくてビクッとする。
そのまま、耳元や首筋、鎖骨の方に軽くキスをくれながら、阿部さんがオレからゆっくりと服をはいだ。
「じゃあ、早く部屋、探さねーとな」
暖かい手で胸や背中を撫でられながら、静かに阿部さんが言うのを聞いたけど――。
巧みな愛撫に夢中になって、すぐにそのことを忘れてしまった。
(終)
[*前へ]
無料HPエムペ!