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栄口編
地下鉄の改札のすぐ近く、っていう立地上、この店の常連客はサラリーマンやOLが多い。
特に、仕事帰りにドリンク剤を飲んで行かれる方は大抵そうだ。
その人もそうだった。
阿部隆也。オレと同年代の、若手社員。
平日の午後8時くらいに、いつも同じ500円のドリンク剤を買って飲んで行くお客様。
背が高く、ダーク系のスーツをビシッと着こなしてて、いかにもデキる社員って感じがする。
いやデキるかどうかはともかく、年収はかなり高いんじゃないかな?
だって、平日ほぼ毎日、500円のドリンク剤を買うんだよ? 1月1万円として、1年で12万円……。
売る側がこんなこと言うのもおかしいけど、もったいないなぁってちょっと思う。
まあ、だから、それくらいの浪費が痛くもかゆくもない程度には、稼いでるんじゃないかって――これはあくまで憶測だけどさ。
オレがその人の名前を知ったのは、去年だったか、一度処方箋を持って来たからだ。
確か、眼科の処方箋だった。
ドリンクの常連さんが、処方箋持って来るのは珍しかったから、印象に残ったんだろうな。時間もやけに早い時間帯だったし。
それに、分かりやすく落ち込んでた。ウィルス性のひどいのにかかっちゃったらしく、3日間会社を休めって言われたらしい。
「職場ではやってるんですか?」
オレがそう訊いたら首をかしげてたから、多分他で貰って来たんだろう。
それとも……あまり周りに興味を持たない性格かも知れない。
「病院なんて行ったの、高校で捻挫した時以来だ」
ため息をついて、彼はガックリと肩を落とした。そう言うからには、よっぽど健康に自信があったんだろう。
ちょっと風邪ひいたくらいじゃ、学校も仕事も休んだことないのかも。
そう考えると、彼がその時感染症にかからなければ、彼が病院に行く事は無く――処方箋を持って来る事もなければ、名前を知る事もなかったのかも知れない。
薬歴を書いて貰って、初めて名前を知った。
「阿部さん、お待たせしました」
初めて名前を呼んだ。
うちの店に、体育会系のくせにどこか気弱そうな、新人バイト君が入ったのは、それから1ヶ月くらい経ってから。
このバイト君の初めてのお客さんが、阿部さんだ。
「い、いらっしゃい、ませ」
初々しくたどたどしい挨拶に、端正な頬を緩めてくすっと笑う。珍しい。
「新人さん? 今日から?」
「はい。今日はお試しで、明日から」
いつものドリンク剤を三橋君の目の前にコトンと置いて、阿部さんが優しく言った。
「頑張ってね」
新人にすぐ気付くなんて、目ざといなぁ、さすが常連だなぁ……って、この時は思ったけど、どうだったのかな?
お会計すんで、「ありがとうございました」って三橋君が頭を下げても、阿部さんは珍しく優しい笑顔を浮かべたままで、三橋君をじっと眺めてた。
その2人が、半年も経たない内に恋人同士になっちゃうなんて、誰が想像するだろう?
ある朝、三橋君の首筋にキスマークついてたの見た時は、ビックリした。
「三橋君、それ見えてるよっ」
注意したけど、彼は全く分かってなくて。キョトンとしてるもんだから呆れた。まったく、どこの悪い虫に食われたんだか。
キスマークのコト教えたら真っ赤になってたから……ちょっとは自覚があるみたい? せっかく絆創膏貼ってあげたのに、夕方見たら、反対側にもまた新しいのを付けられてた。
三橋君には言わなかったけどさ、オレはそれ見て、「悪い虫」の正体に気付いたんだ。多分、センセーもね。
まあ、うちセンセーがあんな人だし……男同士がどうとか、別にオレは気にしない。
センセーも言ってた。
「私達は、ずっと味方でいてあげましょうよ」
って。
うん、オレも異論はない。見守って、味方でいるくらいしかできないけどね。
夏が過ぎて、秋が過ぎて、2人はますます距離を深めてるみたいで。クリスマスも年末年始も、一緒に過ごすんだって。
いや、訊いた訳じゃないよ? なんとなく、会話とか聞いてると「あー」って思うだけ。
まあね、仲いいのに越したことはないよね。三橋君が幸せそうで何よりだ。
ドリンク剤飲むだけの、常連さんの1人に過ぎなかった阿部さんも……三橋君の大事な人っていうだけで、なんとなく身内に思えてくる。
「もう一緒に住んじゃえば?」
冗談半分に阿部さんに言ったら、「あー、来年か再来年か……」って、いきなり具体的なコト言われたからビックリした。
抜かりないって言うか……溺れてるっていうか……もっとクールで理知的で冷静な感じの人だと思ってたけど。
人は第一印象で判断しちゃいけないんだねぇ。
まあ、三橋君がいいなら、それでいいけどね。
(終)
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