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8 三橋君、約束する
花井君いわく、阿部さんは、スゴイキャッチャーだったらしい。スゴイキャッチャーって、どんなのかな?
畠君に聞いたら、即答だった。
「そりゃー、どんなピッチャーとでも楽々付き合えるキャッチなんじゃね?」
言っとくけどオレは苦労した、と畠君は、胸を張って言った。
「お前はすぐ泣くし卑屈だし。叶はプライド高ぇーし、謝らねーし。こんだけ性格違って、何でお前らが仲いいのか、訳分かんなかったぞ」
「う、ご、ゴメン」
「ほら、もう、すぐに謝んじゃねー」
畠君が、オレの頭を軽く叩いた。
「まあでも、お前らのお守りも、今となっては楽しかったけどなー」
大学で、野球をすっぱりやめた畠君は、過去と割り切って、懐かしそうな顔もしない。きっと、すごく強いんだと思う。
それにしても、スゴイキャッチャー。ちょっと興味がある、な。オレの球を受けてもらうのは、恥ずかしくてイヤだ、けど。でも阿部さんがキャッチャーやってるとこは見てみたい、かも。
お客さんに道を聞かれることは、珍しくない。
多分、それだけ薬局っていうのは、入りやすいし、聞きやすいんだと思う。敷居が低いっていうのかな。
地下街の中のほかの店について聞かれることもあるし、待ち合わせの目印について、聞かれることもある。例えば、何とかの銅像の広場に行きたいとか、これこれこういう噴水のある場所に行きたいとか。
オレはまだ、ここで働き始めて1ヶ月ちょっとだから、地下街の中のことは分かってきたけど、地上のことまでは詳しくない。
「この辺にコンビニありませんか?」
とか聞かれても、地下に無いのは確かなんだけど、地上のどの辺にあるかとか、さっぱり分からない。でも栄口さんもセンセーも、5番出口を出て右ですよ、とか、すらすら案内できちゃうんだ。ホント、スゴイなぁ。
今日も、のど飴を一つ買ってくれた中年のご夫婦が、オレに尋ねた。
「ここからお台場まで行くには、どうしたらいいですか?」
オレは焦った。
うわ、これは上級者問題だ。群馬と違って、東京の路線図は入り組んでて複雑で、色分けされた線を辿ってるだけで、頭がぐるぐるしてくる気がする。
えっと、ゆりかもめ? ゆりかもめの駅までどうやっていくの? JR? いくつ乗り換えっ?
オレが路線図片手に目を回してると、その路線図を横からひょいっと奪われた。見れば、阿部さんが苦笑して立っていた。
阿部さんはスーツの内ポケットからペンと手帳を取り出し、何かをサラサラと書いて、ビリッと破った。そしてそれを、路線図と一緒にご主人の方に渡し、すぐ前の地下鉄の改札を指差した。そのまま改札までご夫婦を連れて行って、切符買うまで、教えてあげてる。テキパキしてて、無駄がなくて。大人だなぁ、と思った。
オレ、じっと阿部さんの背中を見てた。
顔が熱い。
なんでだろ。道案内できなくて、恥ずかしかったから、かな?
阿部さんは、またちょっと笑いながら戻ってきて、いつものドリンク剤をカウンターに置いた。
「群馬県民には、難しかったか?」
「う、お、何で?」
オレはまだ「いらっしゃいませ」も言ってないのにも気付かないで、ドリンクをレジにピッと通した。おまけに「ありがとうございます」も言えてない。
「9分割って聞いて興味が沸いたから、調べたんだよ。三星のダブルエースの一人、か」
阿部さんが500円玉をカウンターに置いた。そして自分で蓋を開け、ぐいっと一気に飲み干した。
「なあ、今度、キャッチボールやろうぜ。いつが暇?」
びっくりしたからかな。胸がギュンと苦しくなった。それとも……嬉しいから、かな?
「次の土曜日は?」
訊かれて、コクコクとうなずいてみせる。今週は試合、無い。試合が無ければ、練習も無い。
「おし、じゃあ、決まりだな、三橋」
「は、はい。よろしくお願いします!」
阿部さんはオレの顔を見て、一瞬きょとんとしてから苦笑した。
オレ、多分、すっごい笑顔になってたんだと思う。だって栄口さんにも言われたんだ。
「三橋君、よかったねぇ」
って。
うん、土曜日が楽しみだな。
(続く)
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