Season企画小説
再生の部屋・2
メシでもどうかと三橋に訊いたら『い、いいよ』と言われた。了承の「いいよ」じゃなくて、遠慮の「いいよ」だ。
「仕事終わったんだろ? 今、家じゃねーの?」
ケータイを耳に当てたまま、ダイニングに移動する。
三橋が前に、憧れだっつってたカウンターキッチン。食器棚の中には、食器がパラパラと詰まってる。
『……家だ、けど』
受話器の向こうからは、TVの音がかすかに聞こえた。家にいんのは分かってる。
「メシ、どうすんの? 料理できねーだろ?」
空っぽの冷蔵庫を見る。昨日からコンセント抜いて、水抜きしてた。当たり前だけど、三橋のワンルームにある冷蔵庫だって、同じ状況だろう。
つーか、フライパンや食器類だって、梱包済みのハズだ。
なのに三橋は、『え、……なんで?』って不思議そうに言った。
ボケてんな。いや、抜けてるのか。疲れてんのか。
「だから、食器とか、もうダンボールに詰めてあんだろ? もっかい出して、また詰め直しすんの、バカらしくねぇ?」
そう言うと、三橋は少し呆然とした声を出した。
『ダン、ボール……』
数秒間の沈黙。そして、『ああ……』と納得したような声。
ホント、頭回ってねーな。ダンボールの山に埋もれて、途方に暮れてんのが目に浮かぶ。
「そういやお前、どこで寝んの? 布団は?」
三橋の選んだ引越し屋がどうだかは知らねーけど、オレの使ったとこは、布団袋のレンタルだった。
ベッド組み立てた後、布団をその上に出して、もう布団袋は返却済みだ。
『布団はある、から。大丈夫、だよ』
三橋の返事に、まあそうだよな、と思った。
布団袋から出し入れするくらいなら、そう手間でもねーか。
「とにかく、こっち出て来れねぇ? 引っ越しの挨拶、2人で行った方がよくねーか?」
と言っても、まだ何も用意してねーけど。近くにスーパーもあるし、洗剤セットくらいあるだろ。
『あい、さつ……』
三橋は、またちょっと呆然とした声で呟いた。
考えてもなかったのか? そこに引っ越した時だって、挨拶したんだろうに。
それとも、そんな精神状態じゃなかったか……?
「挨拶大事だろ? オレ、用意しとくからさ。洗剤とか、適当でいいだろ?」
『う、うん……』
三橋は、何だか歯切れ悪くうなずいた。
「疲れてんの?」
そう訊くと、『う、ううん……』って。何か、気力なさそうだなって感じ。
落ち込んでんのか?
「あのさ。仕事だったんだし、引っ越しが延びたくらい、気にすんな。お前が悪いんじゃねーし、オレも怒ってなんかねーから。な?」
できるだけ、穏やかな口調でそう言ってやると、電話の向こうで、ちょっと湿っぽい呼吸が聞こえた。
やっぱ、気にしてたのか。鼻をすする音も、かすかにする。――泣き出してる。
しばらく待ってから、静かに言った。
「今から、そっち行こうか?」
直接話した方がいいと思った。抱き締めて、キスして、怒ってねーぞって。でも。
『だい、じょ、ぶ』
ひく、と喉を鳴らしながら、三橋はそう答えた。
「じゃー、こっち来れるか?」
それには『うん』と答えたから、オレもちょっと安心した。
「じゃあ、待ってるから。あ、挨拶に持ってくの、洗剤でいーよな? それとも、一緒に選ぶか?」
三橋は、鼻をすんすんすすりながら答えた。
『あ、べくんに任せ、る』
「おー。じゃあ、オレ、今から買いに行くな。こっち着いたら電話して?」
『う、ん』
小さくうなずいたのを聞いて、電話を切った。
三橋んちからここまで、30分もかかんねーハズだけど、あの様子じゃすぐに出らんねーだろうから、1時間くらいかかるかもな。
時刻を見る。5時20分。
7時までなら、挨拶行っても大丈夫か? 8時過ぎると迷惑だよな?
上着に財布だけ突っ込んで、さっそくスーパーに買いに行く。
挨拶行くの、上下左右くらいだよな? うちは角部屋だから、隣と上下?
面倒な気もするけど、まあ、変な詮索されるより、挨拶行っといた方がいい。男2人で暮らすのは、やっぱ変わってるって思われんだろうし。
目的地までは徒歩10分。
駅前のでかいマンションの1階がスーパーになってて、夕方の買い物客で混んでいた。
下見に来た時に、場所の確認しただけだったから、実際に中に入んのは初めてだ。入口のすぐ近くにギフトコーナーがあって、色んな商品が並んでた。
迷わず洗剤ギフトの前に立って、ギョッとする。並んでんのが、大きくて高いセットばかりだったからだ。
3000円とか、4000円とか――そりゃ、引っ越しの挨拶にゃ大袈裟じゃねーか?
店員を呼んで訊いたら、1000円のセットもあるっつーから出して貰う。棚の上の隅の方に3つだけ置いてあって、ギリギリ3つだなと思った。
のし紙には「ご挨拶」のみ。名前を入れて貰うかどうかは……ちょっと迷ったけど、やめた。
そんな、深い付き合いするつもりねーし、名前まで、わざわざ知らせなくてもいい。表札だって出さねーし。
「30分程お時間頂きますが、よろしいでしょうか?」
なんで30分? と思わねーでもなかったけど、まあ冷蔵庫空っぽだし、買い物してりゃいーかと思って、了承した。
ギフトコーナーの横はイベントコーナーだった。
ピンクや黄色の小さな箱が、いっぱい色々積んである。
垂れ幕には、White Dayと書かれてた。
そう言えば明日だ。
一旦は背を向けたけど、なんかやっぱり気になって、買い物終わった後で1個買った。
三橋らしい、クリームイエローとゴールドの缶のクッキーセット。
そういや、もう何年も、こんなやり取りをしていねぇ。バレンタインにチョコを貰ったり、ホワイトデーに何か返したり。
先月だって、別に三橋からチョコ貰った訳じゃねーけど――。
ラッピングされたギフトと買い物袋、それにクッキーの入った袋を両手に抱え、駅の方をちらっと見る。
三橋からの連絡は、まだなかった。
(続く)
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