Season企画小説
クリスマスに川で泣け・5
水ってのは、分かってたけどつうっと迷いなく流れるもんなんだな。
「冷てぇっ」
左腕のヒジの辺りまで水が入り込み、思わず叫ぶ。
慌てた拍子にばっしゃーんと足元に水が跳ねて、更に「うわっ」と悲鳴が漏れた。何が起きたかと足元を見れば、水に浸けてたハズのバットがひっくり返って転がってた。
意味が分かんねぇ。
いや、自分でやったんだろうけど、なんでこうなったか分かんねぇ。
酔ってる自覚はねぇけど、酔ってんだろうか?
目つきと足つきのヤバかった先輩の姿が脳裏に浮かんで、いやいやと首を振る。まさか、あそこまで酔ってはねぇハズだ。けど、ひっくり返しちまったのは明らかにオレの失態で、やっぱ意味が分かんねぇ。
「ふおおっ、ふああっ」
三橋が昔みてぇに激しくキョドってて、何やってんだろうと思ったら、笑えた。
「お前、何やってんの」
ぶはっと吹き出しながら訊くと、「そっ、そっ」って甲高い声で言われた。
「そ、そっちこそっ」
柔らかな猫毛がぶわーっと逆立ってて、変顔でおかしい。頭のどっかでは冷てぇって思ってるのに、それも一瞬忘れて、笑いの衝動に身を任す。
ただでさえ極寒の河川敷で、クリスマスイブだっつーのにびしょ濡れになって、何やってんだろう。
「やっべー、冷てぇ」
腹を抱えて笑うオレを前にして、三橋はまだふあふあと奇声を上げてキョドってる。
「かっ、かっ、風邪ひく、よっ」
「そーだな、まああと帰るだけだし、いーよ」
いやホントはよくねぇけど、だとしてもどうしようもねぇ。水を吸ったパンツの裾から、じわじわと熱い刺激がしみて来る。それは熱さじゃなくて冷たさの裏返しだって、言われなくても分かってた。
スニーカーに覆われたつま先も、気のせいか濡れて来てるような気がする。
そんなすぐには水なんて浸みねぇと思うけど、これは元々、くそ寒かったせいかも知れねぇ。
「うわ、こんなんで電車乗んの、ちょっとためらうな」
とんとんとつま先を地面に打ち付け、落ち着いて、また水洗いを再開させる。
「あっ、も、もう、オレ、が」
三橋があわあわと言って来たけど、いちいちゴム手袋外すの面倒だし。もう濡れちまってんだから、ついでに手早く済ませた方がいいだろう。
「ワリーけど、コートの袖口まくってくんねぇ?」
ゴム手したまま、またずり落ちて来た左腕を差し出すと、三橋はきょどきょどためらいつつも、しっかりとコートの袖を折り上げてくれた。
腕は冷てぇし、足は冷てぇし、最悪だ。けど、水に触れてる手袋越しの手指は冷たくなくて、皮肉でおかしい。
ざっくりとビンを洗い、バットを洗って、洗い物を終わらせる。
「もうこんだけかー?」
蛇口のハンドルを閉めながら訊くと、三橋は「うんっ」とうなずいて、素手のままでバットと金網とをガシャリと重ねた。
「こ、これ、返して来る、ね」
オレと違って、ずり落ちて来ることのねぇ袖口。三橋がコートじゃなくてウィンドブレーカー着てたのも、袖口が邪魔にならねぇようにって意味もあったのか。
オレが「おお」と返事をするよりも早く、三橋がバットを重ねて管理棟に走ってく。
あっという間に戻って来たと思ったら、今度は洗ったばっかのタレのビンを両手に掴んで、またどっかに駆けてった。
ばびゅん、と擬音でもつきそうな勢い。そんなに急いでどうすんのかって、ちょっと呆れる。
そういや昔から、逃げ足はものすごく速かったよな。
駆け去ってく背中を見送ってると、相変わらずで呆れるような、懐かしいような、称賛するような気分になる。
まだ野球、続けてんのかな?
ゴム手袋を外して、コートの袖口を戻してると、間もなく三橋が息を切らしながら、「お待たせっ」って戻って来た。
「あ、あ、あの、阿部君」
「何?」
「こ、この後、用事ある?」
そんな問いかけに、首をかしげる。いやオレさっき、「もう帰るだけ」っつったよな? それとも、これから二次会に合流するかとでも思ってんだろうか?
「いや、用事なんかねーし、帰るぜ」
「じゃ、じゃあっ」
はくはくと口を開け閉めしつつ、ぎゅっと両手を握る三橋。ああコイツこんなんだったなぁと、懐かしく眺めてると、「じゃあ、オレんちに」って誘われた。
「お、オレ、この近く、住んでる。駅よりちょっと、向こうだけど」
バッと指さされたのは、先輩らが去った方角だ。この辺に大学があったかどうかは覚えてねぇけど、駅周辺は確かに、住宅街だったような気もする。
そこに三橋が住んでるって?
「は? 1人暮らしか?」
オレの問いに、こくこくと大きくうなずく三橋。
「じ、自転車で来てる、けど、阿部君、来るなら、オレ、走る」
顔を赤くして、鼻息荒くして、そんな誘いをしてくる三橋に、じわじわと頬が緩んだ。
「いや、飲酒運転になんだろ。オレがいなくても押して歩け」
オレのツッコミに、「うぇ……」って唸って目を泳がせる様子がおかしい。知らなかったのか? 知ってたけど乗っちゃうつもりだったのか?
正直、寄り道すんのはメンドクセーなと思わねぇでもねーけど、ここで誘いを断ったら、きっとガーンとショックを受けた顔で落ち込むんだろう。
そういうのが簡単に想像できて、変わらねぇなぁと思った。懐かしい。面倒臭い。でも嬉しくなくもねぇ。
そうしてる内に足はキンと冷えて来たし、コートの中に着てるシャツもぐっしょりのまま既に冷たい。
こんな格好のまま、電車にはやっぱ乗りたくねぇ。それにどっちみち、駅の方に向かうなら、歩く距離も変わらねぇ。だから、そう、三橋の誘いに応じんのも悪くねぇ。
「バイト先もこの辺?」
答えの代わりに訊くと、三橋は赤い顔で「そう」って笑った。
「肉とか野菜は、オレ、自転車で店から運んで来た」
「へえ」
「あ、団子も」
「団子な、美味かったな」
オレの言葉に、歩きながら三橋が「ね」とうなずく。
歩くたびにクチクチと湿った感触があって、早く靴を脱ぎてぇなと思う。
自転車置き場には、三橋の自転車だけがぽつんと置かれてた。互いの手には、酒の缶が3本入ったレジ袋。それを自転車の前カゴに入れて、三橋がガシャンと自転車のスタンドを跳ね上げた。
(続く)
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