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Season企画小説
ハートの行方・後編
 生地の入ったボウルを抱え、ドヤ顔で笑う阿部。雑にすくい取られたクッキー生地が、雑に並べられてく天板。そして阿部。
 そんな写真を、阿部のケータイで何枚も撮った。
 正直、誰がこんなの喜ぶんだって思ったけど、案外三橋なら喜ぶのかも知れねぇ。
 抜型を使わねぇ、スプーンから雑に落とすだけのドロップクッキーは、どれもこれも歪な形だ。そこが良さでもあるんだけど、思うような形を作んのは難しい。
 阿部が1個だけ作ったハート形も、「ハート……か?」って首をかしげる程度には歪だった。
 型抜きクッキーと違い、生地を寝かせる必要のねぇドロップクッキーは、生地を作って天板に落としてそのまま焼けば終了だ。
 焼き時間はオーブンとか気温とかにも寄るけど、うちのオーブンなら焼き上がりを確認しながら大体15分から20分。
 余熱もばっちり完了してるオーブンの中に、さっそく天板を入れていく。

 阿部と並んで洗い物やその他後片付けを済ませてると、間もなくクッキーの焼ける甘い匂いが漂い出した。我ながらなかなか美味そうな匂いだ。
「おー、クッキーのニオイって感じだな」
「当然だろ」
 2人で軽口を叩き合い、片付けを終わらせる。
 ちらっとオーブンを覗いたところ、焼き上がりまではまだまだ10分ほどかかりそうだ。
 高校時代はこんな風に5分10分空き時間があると、誰からともなく腹筋したり腕立てやったりしてたもんだけど、社会人になった今、そこまで熱心に体を鍛える気にはなれねぇ。
「コーヒーでいいか?」
 阿部をリビングに座らせて、甘いニオイの中コーヒーを淹れる。
 「おー」と返事をした阿部は、当然筋トレなどしてるハズもなくソファに座ってケータイを眺めてた。

 黙ってりゃ整った顔してる男なのに、にやにやと笑み崩れてんのが非常に不気味で残念だ。ヤニ下がってるってのは、こういう状態を言うんだろうか?
「三橋か?」
 話を向けながらコーヒーを差し出すと、「おー」ってニヤリと笑われる。
「写真送ってやった」
「何の?」
「クッキーのに決まってんだろ」
 ニヤリとドヤ顔しながらの答えを「ふーん」と流し、淹れたてのコーヒーを1口飲む。コイツが誰にどんな写真を送ってようが、オレには関係ねーことだ。
 ふっ、と笑う阿部を横目に、熱いコーヒーをブラックのままで飲み下す。甘ったるい雰囲気を垂れ流す男が目の前にいるせいか、このほろ苦さが心地いい。
 クッキーはまだ焼けねぇんだろうか? さっさと焼き上げてさっさと渡し、さっさと阿部を追い出してぇ。

 オレの願い通り、間もなくクッキーは無事に焼け、次々オーブンから取り出すことができた。
「焼けたぞ」
 阿部に声をかけると、「おー」って返事しつつのそりと立ち上がるのが見えた。10年前、三橋らと一緒にクッキー焼いた時は、もっとこう、「うおー」とか「おおっ」とかテンション高く盛り上がったモンだったけど、そんな感動はねぇようだ。
 チョコチップとナッツ入りとドライフルーツ入り、3種のクッキーが並んだ天板を順番に取り出して、焼け具合を確かめつつざらざらと皿に移す。
 誰に渡すのかって、無邪気に数える三橋はいねぇ。代わりに目の前に立つ阿部は、オレに作業をさせながらまたケータイを掲げてる。
「また撮んのかよ」
 オレの呆れ声に阿部が「当然」と言い切った。
「今、この瞬間しか撮れねーだろ」
 って、そう言われりゃ確かにそうかも知れねーけど、ちょっとは手伝えっつの。ドヤ顔がムカつく。

「熱っ」
 1個だけ作ったハート形のクッキーをつまみ上げ、ドヤ顔の阿部はドヤ顔のままクッキーを口元に寄せてドヤ顔のまま自撮りしてる。その撮り立てほやほやの写真を、また三橋に送る阿部。
 そんな頻繁に写真送って、迷惑にならねーんだろうか? それとも三橋も喜んでんのか? ……嬉しいか?
 くくっと笑いながらケータイ操作してる阿部に、うわぁと顔をしかめる。換気扇つけても、甘ったるい空気は霧散しそうになかった。クッキーより甘いとか、勘弁して欲しい。
 三橋んときには微笑ましく思えた1個だけのハート形が、なんでこんなうんざりアイテムに変わるんだろう。すげー不思議だ。阿部のせいだ。
 これを貰う三橋も、「食べるのもったい、ない」とか言いそう。
 焼き菓子だからちょっとは持つけど、防腐剤も入ってねーし、手作りクッキーは日持ちしねぇ。美味しく食べんなら3日、乾燥剤使っても1週間だ。早く食え。

「あんま日持ちしねーから、早く食えよ?」
 オレの忠告に「はあー? 何年?」と阿部が片眉を上げる。なんでいきなり年単位なのか、意味が分かんねぇ。
「3日だっつの、何年ももたねーよ。お前まさか高1んときのハートのクッキー、未だに残してたりしねーだろーな?」
 いや、阿部のことだから食うの勿体ねぇとか、そんな情緒はなさそうか? むしろどんな形かも気にしねーまま、あっさり食っちまってそうだ。
 三橋と阿部がいつからそういう仲になったのか、詳しいことはオレは知らねぇ。
 興味もなかったし今もノロケとか聞きたくねーけど、少なくともあの頃の阿部に、恋愛がどうのとかの兆候はなかった気がする。
「……高1?」
「覚えてねぇ? 高1のホワイトデー、三橋とか田島とかがうちに来て、型抜きクッキー作ったんだよな」
 あん時の会話はあんまよく覚えてねーけど、ほわほわとした三橋の照れ顔のイメージはなんとなく覚えてる。
 クッキー作ってる合間の時間に、素振りしたりもしたんだっけ。そんな遠い思い出をしみじみ懐かしんでると、阿部が「は?」とソファから立ち上がった。

「高1? ハート!? あん時レンが配ったの、野球ボールのクッキーだろ!?」
 デカい声で怒鳴られて、ひやっとしつつ顔がこわばる。
「え……」
 あれ? あのハートのクッキー、阿部に渡すんじゃなかったのか? 阿部が貰ってねぇなら、誰宛?
「いや……勘違いかも。ボール、ボールだよな。うん。プレーンとココアの2種あっただろ?」
「誤魔化すな!」
 喚く阿部から目を逸らし、何て声を掛けるべきか悩む。
 お前気付かず食ったんじゃねーの、とか、渡そうとしたけど渡す勇気がなかったんじゃねーか、とか、持ち運びに失敗して割っちまったのかもな、とか、適当な慰めの言葉は浮かぶものの、それで阿部が納得してくれるとは思えなかった。
「あの野郎……10倍返しだな」
 阿部の低く呟く声が、クッキーの匂いの中ぼとりと落ちる。
 10年前のハートの行方がどこであれ、とっくに賞味期限は切れてる訳だし、もう時効でいいんじゃねーかなと思った。

   (終)

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