Season企画小説 弟ポジション (2019いい兄さんの日・社会人・同棲・旬視点) ――11月23日、今日は「いい兄さんの日」です。―― SNSのタイムラインにそんな情報が流れて来て、旬は「へぇ……」と呟いた。 1123でいい兄さん。単なる語呂合わせで作られたのだろうとは分かるが、そんな記念日があるのを初めて知ったので印象に残った。 阿部旬には兄が1人いる。年子で、1つ年上の兄だ。 兄の性格は、一言で言うなら「マイペース」。我が道を迷わず進み、周りの些事には一切興味を示さない。 幼い頃から続けていた野球に特に熱心で、高校の時など野球を何より優先に考えていたような人間だ。それでいて成績も良かったのだから、我が兄ながら恐れ入る。 旬も同じく幼少時から野球を続けていたが、兄に比べるとそれ程の執着はなかったように思う。 なぜ兄がそんなに野球にこだわっていたのか、当時の旬には分からなかった。 硬式ボールを扱うリトルリーグからリトルシニアへと進んだ兄とは違い、軟式ボールを扱う少年野球でずっと過ごしたせいもあるだろうか? 兄弟は同じチームに所属しない方がいい、との両親の方針に従ってのことだったが、結局旬は兄と1度も同じチームに所属することはなく、試合をすることもなかった。 旬はずっと兄の背中を見つつ自分の道を走っていたが、兄はひたすら前しか見ていなかったように思う。 後ろを振り返ることもない。勿論、弟の旬に興味を示すこともなくて、試合を見に来てくれることもなかった。弟の試合より自分の練習……兄の隆也は、そのような人間である。 弟だけではなく、どんな女子も兄の視界には入らなかった。 野球に対してストイックな姿勢がいいのだろうか、それとも弟の目から見てもなかなか男前であるからだろうか? 兄は小学校の頃から女子によくモテていたようだ。 バレンタインにチョコを貰う数も、旬よりいつも多かったのを覚えている。 ただ、それが一方的に貰うだけであり、お返しを1度もしたことがないのもまた確かだ。 早朝から夜遅くまで練習練習。たまの休日にも野球部の仲間と自主練習をしに行き、珍しく家にいると思えば他校のデータをまとめていたりする。そんな野球バカの兄の、一体どこがモテるのか旬にはサッパリ分からない。 「お兄さんの好きなタイプって、どんな子?」 と、見知らぬ女子から訊かれて困ったこともある。 「野球できる子じゃない?」 その当時はそう答えるくらいしか思いつかなかったが、あながち間違いではないだろう。ただ、野球ができるからといって兄に好かれるとは限らないが、絶対条件ではあると思った。 そんな兄の視界に、野球以外のモノが入り込むようになったのはいつのことだろう? いや、一緒にバッテリーを組んでいた相手なのだから、ある意味「野球以外」ではないのだろうか? 昔から女子に興味がないなとは思っていたが、まさか男と付き合うようになるとは旬も予想していなかった。 社会人になり、ようやく野球とは無関係な道を進み始めた兄だったが、それでも野球と無縁ではいられないようだ。 兄には恋人がいる。 その恋人の名前は、三橋廉。野球ファンならまず知っているだろうと思われる、プロ野球1軍の投手である。 その三橋と旬の兄は、高校時代に3年間ずっとバッテリーを組んでいた。別々の大学に進みバッテリーは解消したが、ずっと交流はあったらしい。 2人がいつから付き合っていたのか、旬は知らない。 旬が三橋と初めて顔を合わせたのは、兄たちが高1の年の夏だったが、その時はまだ恐らく、そんな関係ではなかったように感じた。 兄の前でにかっと眉を下げて笑う彼は、無防備で純真で、イイ笑顔で笑う人だなぁと……そう思ったのを覚えている。 野球しか見てないようなマイペース人間である兄を、なぜ彼が好きになったのかは分からない。だが、兄が彼を好きになったのは、自分にも分かるような気がした。 プロ野球選手と社会人、立場の違う恋人同士は今、都内の高級マンションに住んでいる。 プロ選手は入団直後から球団の寮に入り、そこで数年間を集団生活して過ごすのだが、ある程度の経験を積めば退寮して自立することを認められるらしい。 三橋が寮を出たのは、今年の春のことだ。だから兄達は付き合いこそ長いものの、一緒に暮らし始めてまだ1年にも満たない。 男同士であるし、結婚している訳でもないのだから、こういう言い方はおかしいのかも知れないが、いわゆる新婚家庭である。 その新婚家庭に、肉親とはいえいきなり訪問するのはお邪魔虫だと分かってはいるが――旬はそんな常識を意識の外に追いやって、ピンポンと2人のマンションの呼び鈴を鳴らした。 高級マンションだけにセキュリティはしっかりしていて、弟といえど勝手に入ることはできない。 旬がいるのもマンションのエントランスの総合インターホンの前。 『は、い』 間もなくスピーカーから聞こえて来たのは、兄とは違うちょっと高めの穏やかな声だ。 「ちわっ! 旬ですけど」 マイクに向けて声を掛けると、スピーカーの向こうから「うお、旬君」って意外そうに言うのが聞こえた。 『どう、ぞー』 そんな言葉と共に、カチャリと目の前のセキュリティドアが開き、迷わずそのままエレベーターに進む。 自宅暮らしの旬から見て、いちいち仰々しいなと思わないでもないが、プロ1軍の選手が住むとなると、これくらいのセキュリティは必要なのかも知れない。 各フロアに部屋は2つずつ。エレベーターはフロアの左右に1基ずつあって、それぞれの玄関前でドアが開く。つまり同じフロアの人間とはエレベーターを共有しない造りになっていて、そんなところも厳重だ。 他の階の住人と鉢合わせすることはあるだろうが、階数自体が多くないから、そんな可能性も高くない。 住人のプライバシーをことごとく守る、そんな構造のマンションをどちらが選んだのか知らないが、旬は何となく、恋人を溺愛する兄の仕業じゃないかと思っている。 エレベーターを降りた先で改めてピンポンと呼び鈴を押すと、目の前のドアがいきなりぐわっと開けられた。 「何しに来た?」 不機嫌な声でのそれは、旬の血を分けた実の兄の言葉である。 可愛い弟に向かって、それはないといつも思う。だが残念ながら、これが兄だ。 「ええー、大好きなお兄ちゃんに会いに来たに決まってんじゃーん」 にこやかに言いつつ兄をぐいっと押しのけて玄関に入ると、「ウソつけ」って真横からビシッと言われた。嘘ではないが本当でもないので、特に心外なことでもない。 「兄ちゃんのことじゃないから」 同じくビシッと言い返し、さっさと靴を脱いで「お邪魔しまーす」と上がり込む旬。「ホントに邪魔」と背後からぼそりと言われたが、今更もう気にしない。 「廉お兄ちゃーん」 旬は兄の恋人に呼びかけて、途中で買って来たケーキ箱を「はい」と渡した。 「今日は『いい兄さんの日』だっていうから、会いに来ちゃいました」 にこっと笑いながらそう言うと、兄の恋人は「お、兄ちゃん……」と感動したように震えながら、整った顔をじわじわと赤らめた。 三橋廉が一人っ子であることは、とうの昔に分かっている。「お兄ちゃん」と呼ばれることに免疫がなく、弱いことも分かっている。 ハッキリ言わせて貰えば、チョロイ。 「誰がお兄ちゃんだ、こら」 後ろからガシッと頭を掴み、更にこめかみにウメボシを捻じり込んで来る兄はかなりの強敵だが、弟ポジションは譲れない。 「『いい兄さんの日』に兄の邪魔をしに来んじゃねぇ!」 ギリギリとウメボシを食らいつつ、「痛たたたた」と悲鳴を上げて目を上げる。 「うわ、きょ、兄弟げんか、は……」 ケーキ箱を抱えたまま、あわあわとキョドる三橋の目は兄の隆也にしか向けられてはいないけれど――旬は弟なのだから、この空間に一緒にいられるだけで十分だった。 (終) [*前へ][次へ#] [戻る] |