Season企画小説
キミに首ったけ (2019いい夫婦の日・社会人・同棲)
仕事帰りの夜、駅を出たところでふとピンク色の派手なのぼりが目についた。
――いい夫婦の日にありがとうを込めて――
ピンク地ののぼりには白文字でそんな言葉が書かれてて、何だろうって足を止める。
どうやらケーキ屋さんののぼりだったみたいだ。まだそんなに遅い時間じゃないからか、店の中はまだ明るい。
いい夫婦の日が何なのかは分かんないけど、ケーキにはちょっと惹かれる。
そういえば最近、ケーキとか食べてないし。たまには買って帰るのも悪くない。
そんで美味しければ、また買ってもいい。来月は恋人の誕生日だし、その時にお祝いで、ケーキ用意してもいいかも。
普段は甘い物を好んで食べる訳じゃない彼も、ケーキは特に嫌いじゃない。「何、ケーキ?」って、気のなさそうにしつつ、一緒に食べてくれるだろう。
男同士だから「夫婦」じゃないけど、一緒に住んで結構経つし、感謝の気持ちはすごくある。
でも言われてみれば、「ありがとう」って口に出す機会はあまりない、かも?
だったらその気持ちをケーキに乗せて、伝えてみるのもいいかと思った。
カラン、とケーキ屋のドアを開けると、中は気のせいか甘い匂いでいっぱいだった。そのまま数歩進んでケーキケースを覗き込むと、夜だからかケースの中はちょっと寂しい。
「いらっしゃいませー」
ケーキケースの向こうから、ピンクのエプロンをしたお姉さんが声を掛けて来る。
「え、っと……」
どれにしよう? どれも美味しそうで、どれもキラキラでちょっと迷う。「あれが食べたい」っていうんじゃなくて、ふらっと立ち寄っただけだから、余計に迷う。
「あの、い、いい夫婦の、って……」
言いながらじわっと照れると、お姉さんは「はい」って楽しそうに声のトーンを跳ね上げた。
「いい夫婦の日にとのことでしたら、こちらのハートのお2つはいかがでしょう。ハートの形をしておりますのが、チョコとベリーのケーキで、少々甘酸っぱいお味になっております。こちらのハートの白いカップケーキは、生クリームとシロップ漬けのイチゴを挟んでおりまして、通常のショートケーキよりも少し甘いお味になっております」
お姉さんの滔々とした語りに、圧倒されつつ「は、い」とうなずく。
あんまよく理解できなかったけど、1つが甘酸っぱくて、1つが甘味強めなのは分かった。正直、どっちも想像するだけでじゅわっと唾液が溢れて来るけど、おススメは2つだし、どっちも1個ずつ買えばいい。
どっちを食べるかは迷うけど、それは恋人に選んで貰えればいい、し。半分こするのもいいなぁと思った。
「じゃ、じゃあ、これ1個ずつくだ、さい」
オレの言葉に、「ありがとうございます」とにこやかに応じるお姉さん。
「ハートのフランベルジュがお1つと、ハートのジュスイ・フ・ドゥトワがお1つですね。保冷材はお付けしますか?」
「は、い」
ケーキを滅多に買わないから、保冷剤がいるかどうかも分かんない。ひたすら言われることにうなずくしかない。
多分閉店間際だろう、遅い時間。灯りは煌々と点いてるものの、キラキラの店内にはひと気もなくて、オレ以外のお客もいない。
お姉さんも、暇なのかな? 「奥様にですか?」って訊いて来た。
結婚してる訳じゃないし、男同士だし、「奥様」って訳じゃないんだけど、取り敢えず「まあ……」って曖昧に返事する。
「いいですねぇ」
微笑ましそうに言われると、ちょっと嬉しいけど恥ずかしい。
お姉さんはケーキを箱詰めするべく作業台の方に向かってて、オレの顔を見てる訳じゃないんだけど、照れ臭いのには変わりない。
カバンから財布を取り出しつつ、照れ隠しにぼりぼりと頭をかく。
「お待たせしましたー」
とお姉さんが顔を上げた頃には、ちょっと顔の熱さはマシになっててよかったと思った。
いい夫婦の日、って言葉は、ちょっと攻撃力が高い。
「喜んで頂けるといいですね」
って、そんな言葉もなかなか胸にドスンと来る。
タカ君、喜んでくれるかな? そんなことを思いつつ、にへっと頬を緩めてると――。
「白いカップケーキ、ジュスイ・フ・ドゥトワは、男性からの『キミに夢中』って意味なんですよ」
そんな特大の攻撃を貰って、せっかく赤面が収まった顔が、一気にドカンと燃え上がった。
2人で暮らすマンションに戻ると、珍しく恋人の方が先に帰ってた。
「ただいまー」
声を掛けて靴を脱ぐと、「お帰り」って言葉と共に、彼がにこやかに出迎えてくれる。
キッチンにはいいニオイが漂ってて、もうご飯の準備できてるみた、い?
「うお、いいニオイ……」
よだれを垂らしそうになりつつ、テーブルの方に目を向ける。
「今日は肉だぞ」
ニヤリと笑う恋人は、すごく嬉しそうで楽しそう。肉はオレも嬉しいけど、何か今日、記念日でもあったかな?
不思議に思ってると、「今日は何の日か知ってるか?」って言われた。
とっさに思い付いたのは、さっきケーキ屋の前で見たピンクののぼりだ。
「い、いい夫婦の、日?」
なんで今日が「いい夫婦の日」なのかさっぱり分かんないけど、それしか思いつかなくて、半信半疑で首をかしげる。
そしたら、偶然にも正解だったみたい。
「なんだ、知ってたのか」
タカ君はそう言って、オレにちゅっと軽いキスをした。
普段、そんなことあんましないから、ビックリしてドキッとした。
「ふお……っ!」
反射的に口元を押さえ、右手に持ってたケーキ箱をぐいっと彼に押し付ける。
「何、ケーキ?」
予想通りの返答に、ちょっと笑えた。でも想像したような気のない態度じゃなくて、目尻の垂れた目を見開いてて、ビックリはしてくれてるみたい。
「き、キミに首ったけ、って意味、だって」
そんだけ言ってケーキ箱を押し付けたまま、ぴゃあっと奥に逃げ込んでネクタイをほどき、上着を脱ぐ。
「は?」
恋人の不思議そうな声が聞こえたけど、恥ずかしくて返事とかする余裕もなかった。
お姉さんのフランス語、ちゃんと聞いておけばよかったって思ったけど、もう遅い。フランベルジュの方は覚えてるけど、そっちより「キミに首ったけ」の方をスマートに言いたい。
うおお、と照れながらラフな部屋着に着替えるべく、スラックスを脱ぎ落しYシャツのボタンを外してると――。
「こら」
そんな低い声と共に、後ろからいきなり抱き締められて、心臓が飛び上がるくらいドキッとした。
「さっきの、どういう意味だ? 説明が足りねーぞ」
耳元で響く彼の声が、びりびり鼓膜を震わせる。
そんなことされたら、脚から力が抜けそうになっちゃうのに、イイ声なのズルい。
「ひぁ……」
Yシャツの小さなボタンを外し続けることもできなくなって、冷静にって思うのにうまくいかない。
「け、ケーキ……」
うわ言みたいに上ずった声を上げると、「後でな」って言われてうなじに後ろからキスされた。
付き合ってからも長いし、一緒に暮らし始めてからだって結構経つのに、こんなことされるのは滅多になくて、余計にドギマギしてしまう。
いつもみたいに、こう、素っ気なくていい。
なんか、そんな、肉食獣みたいな目を今更向けるのやめて欲しい。照れるっていうか、ちょっと、冷静じゃいられない。
「ちょ、ちょっと、タイム」
「無理」
かろうじて出した言葉も即答で却下され、体ごとくるりと振り向かされて、キスされる。
ちゅっと軽いのじゃなくて、深くて長い恋人のキス。夫婦のキス。
彼の肉厚の舌に翻弄され、くらくらと目眩がして「ん……」とうめく。こんなキス、ベッドでも最近あんましない、のに。
カーッと赤面しつつ目を閉じてると、彼がふっと笑う気配がして、ようやく長いキスが終わった。
「うう、もお……たっ、タカ君、どうした、の?」
真っ赤になりつつドモリながら訊くと、恋人は。
「お前が先に煽ったんだろ」
ニヤッと笑いながらそう言って、情欲の混じった目でオレを見ながら指で軽く口元をぬぐった。
濡れた口元をぬぐっただけの仕草だけなのに、舌なめずりしてるように見えるのは、なんでだろう?
「さあ、肉にするか」
そんな提案にホッとしつつ、ドキドキが止まらない。
2人でのんびりケーキを半分こするみたいな、そんな穏やかな夜を目論んでたハズなのに。なんかもっと、とんでもない夜になりそうな予感、した。
(終)
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