Season企画小説
オレとアイツとバレンタイン・中編
廊下をしばらく歩いたところで、三橋が上着を着てねーのに気が付いた。
「お前、寒くねーの?」
思わず訊くと、「ちょ、ちょっとだ、から」って身を縮めながら言われる。それ、質問の答えになってねーっつの。そういうとこも相変わらずだ。
昔はコイツのこういうとこ、意思疎通ができねーように感じてもどかしかったけど、今となってはもう慣れた。
「寒ぃなら素直に言えよ」
うん、とうなずく三橋を苦笑しながら見下ろして、さっき羽織ったばっかの上着を脱ぐ。
「どっか暖かいトコ行こーぜ。カフェテリアまだ開いてんだろ」
言いながら上着を三橋の肩に被せると、パッと顔を見上げられた。目が合った瞬間、じわじわと赤面されて、悪ぃ気はしねぇ。
「あ、の……」
もじもじと脱ごうとすんのを「肩冷やすだろ」って押しとどめ、脱がねぇよう注意する。
「で、も、阿部君、が寒、い」
そんな風に、ごにょごにょ言うとこも可愛く思えた。好きだと思う。
「だから暖かいトコ行こうっつの」
ニヤッと笑いながら背中を押すと、三橋はまたこくりとうなずいて、そのままエレベーターまでついて来た。
毎日トレーニングを欠かさずやって、すっかり鍛えられた体。身長も随分伸びて、もう昔みてーにチビでもヒョロくもねーのに、それがオレには可愛く見える。
「バレンタイン、他にチョコ貰ったか?」
エレベーターの中で訊くと、「マネジ、から、だけ」ってぼそぼそと言われた。
「こんくらいの、1個」
親指と人差し指で丸を作って見せてくれたけど、それがマジかってくらい小さくて、笑える。
どうやら、チョコの店にはマネジらと一緒に行ったらしい。
それがバレンタイン当日ってのには引っかからねーでもなかったけど、結局貰ったのはその小せぇの1個だけだったんだから、杞憂なんだろう。
「で、あのカカオか」
さっき送られて来た写真のことを訊くと、「そうっ」ってこくこくうなずいてて、楽しかったんだなと分かった。
思い出を共有してぇと思うけど、こんな風に楽しげにそれを語られるとモヤッとする。
一緒にはいられねぇって、立場の違いを見せつけられる。
けどよく考えりゃ、野球よりこっちの道を選んだのはオレだし。いちいち三橋の周りに嫉妬すんのもおかしな話なのかも知んねぇ。
「へぇ、面白そーな店だな」
苦笑しながら相槌を打つと、三橋は「うんっ」と声を弾ませ、オレの顔をふいに見上げた。
「あ、阿部君、好きそうだなって思った。その店」
弾んだ声で言われて、じわっと胸が温まる。研究棟を出た途端、びゅうっと寒風に吹かれたけど、ちっとも辛ぇとは思えねぇ。
オレのことを思い浮かべてくれたのが嬉しい。野球の事ばっかの毎日なくせに、そん中にオレもいるみてーで嬉しい。
苦いばっかの恋だけど、こんな時は甘みが差す。
「走るぞ」
背中に腕を回し、耳元で告げてそのままの格好でゆるく駆け出すと、三橋も遅れずに駆け出して、夜のキャンパスに足音が響いた。
カフェテリアは、予想してた通りガランとしてた。
朝飯時や昼飯時には満席になるトコだけど、夕飯にすんにはイマイチ物足りねぇメニューばっかだし。閉店時間も早ぇから、この時間には人気がねぇ。
オレら以外には白衣を着たオッサンが1人、カウンター近くの明るい席で新聞を読んでるだけらしい。
オレは三橋の背中を押したまま、窓際のちょっと薄暗いテーブル席に座った。
「イタリアン大盛り」
「オレ、は、ミルクティ」
ウェイターにオーダーを告げ、隣の席に荷物を置く。さっき受け取ったばっかのチョコをカバンの中から取り出すと、「そ、れ」って三橋が赤面した。
「あ、阿部君、なら、苦いのへーきかと、思って」
ごにょごにょと告げられて、「へぇ」と言いながらラッピングを開く。こげ茶と生成り色のシックな包みの中に入ってたのは、同じ色のリボンで飾られた透明な袋が2つ。
1つにはザラッとしたイビツで細かいモノが入ってて、「カカオニブ」って書かれてる。
「カカオニブ?」
「そ、そう」
「苦ぇの?」
オレの問いに、小刻みにこくこくうなずく三橋。「ダメージ、大、きい」って。そんなものを土産にって買って来んなって言いてぇとこだけど、わざわざ選んでくれたって思うと悪くねぇ。
オレが甘いチョコ苦手にしてると思ったんかな?
「マネジ、みんな、『いけますね』って」
とつとつと語られる思い出に、嫉妬しねぇって言うと嘘になる。けど、三橋には何の他意もなさそうで、オレは「へぇ」とうなずいて封を開けた。
開けた途端、ふわっと香るチョコのニオイ。
いや、カカオのニオイなんだろうか? イビツなカケラを1個取り出してぽりっと噛むと、思ったより苦くなくて香ばしい。
「イケんじゃねぇ?」
正直にそう言うと、三橋は「ふおっ」と奇声を上げて、それからパアッと笑顔になった。
カカオニブは、カカオをローストして砕いただけのモノらしい。これに砂糖や甘みを加え、油脂やミルクを加えてチョコになる。
市販のチョコにも、女が手作りっつって渡すチョコにも、色んなモンが混ざってる。
けどオレには、この素朴な味だけで十分だ。
「オレはこれ、好きだぜ」
2つカケラを取り出して、1つを頬張り、もう1つを三橋の口に放り込む。不意打ちの苦みに「ふむっ」と口を押える三橋が、可愛くて愛おしい。
「お前も好きだ」
さり気に告げ、口の中の小さく歪なカケラを噛む。
カリッと香ばしいカカオニブのカケラは、ほんのわずかに苦みを与え、オレの口元を緩ませた。
(続く)
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