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Season企画小説
ある大学生のむしむしの日 (大学生・花井視点・2017ムシの日)
「じめじめする、ね」
 三橋が死んだ魚のような目で言うのに、「雨だからな」と答えてやる。
 6月の初旬、梅雨入りにはまだ早いから、この雨も多分その内やむだろう。
「むしむしする、ね」
「あー」
 適当に答えながら、扇風機のスイッチを点けてやる。
 水曜提出のレポートを書くのに忙しくて、今は正直、三橋に構ってる暇はねぇ。
「じめじめとむしむしの違いって、何、だろう?」
 そんな独り言の相手を、いちいちしてる余裕もなかった。
 「さーな」と適当に返事して、画面を眺めながらキーボードにタカタカ指を走らせる。

 けど、三橋はっつーと、そんなオレの事情なんかお構いなしだ。1分も経たねー内に、「花井君……」ってオレに話しかけてくる。
「風、来ない」
 って。子供じゃねーんだから、そんくらい自分で調節しろっつの。これが阿部なら、多分とっくに怒ってるトコだ。
 けど、その阿部自信が、この三橋のうだうだの原因だから、怒るに怒れねぇ。
 恋人である阿部が、自分を放置してバイトの研修旅行に行っちまったのが、どうにも気になって仕方ねぇらしかった。
 自分の知らねーヤツらばっかとの旅行だってだけでも複雑なのに、女子も多いって聞いたら、そりゃイヤだよな。
「あー、もう」
 キーボードから手を放し、ヒザでにじり寄って扇風機の角度を変えてやる。
「これでいーか?」
 具合を訊くと、三橋は淀んだ目をオレに向け、「うん……」って扇風機の正面に座った。

 弱風を吹かせてる扇風機に顔を近付けて、その羽根の回転をぼうっと虚ろに見つめてる三橋。湿気でへたった髪がぶわーっと風に煽られて、白い顔を丸出しにしてる。
 やれやれと思い、パソコンに向き直って頭の中でレポートの文章を組み立てる。それを形にするべく、キーボードに指を走らせて――ダカダカと数文字打った頃、また後ろで三橋がぽつりと呟いた。
「今日、ムシの日なんだ、って」
「……へぇー」
 返事が遅れたのは許して欲しい。つーか、レポートに集中させてくれ。
 ノーパソの右下に記された日付は6月4日。それでムシか、と思ったところで、再びぽつっと三橋が呟く。
「蚊になりたい……」
 って。何だそりゃ。
「いや、もうちょっとあるだろ、蝶とかトンボとかさ」

 キーボードから手を放し、三橋の方を振り向くと、三橋は死んだ魚みてーな目のままで、体育座りしてぼうっとしてた。
「アリみたいに、動きたく、ない……」
「キリギリスかよ」
 ツッコミを入れつつ、頭を抱える。勘弁してくれ。
 けど、こんな状態の三橋を「帰れ」って追い出す程、オレだって非情な人間じゃねーし。くだんねぇ話も、できる限り聞いてやろうとは思ってる。できる限りだ。
 ただ、会話の脈絡がねぇのは、もうちょっと何とかして欲しかった。
「花井君、ゴキブリ、平気だっけ?」
 とか。
「おー。そういやお前も平気だったよな」
 ビビりのくせに。と、心の中だけでツッコんで、頭に浮かんだ文を打ち込む。集中できねぇ。もう今日は諦めた方がいいんだろうか?

「うん。見なかったことにできる、よ」
「いや、そりゃダメだろ」
 ツッコミしながら文章を打ってると、とんでもねぇ変換ミスして落ち込んだ。BackSpaceを数回叩いたオレの耳に、三橋のぼやきが聞こえてくる。
「ムシだけに、無視」
 って。ここ、笑うとこか?
「ははは……」
 乾いた笑い声を上げると、「面白い?」ってテンション低い声で訊かれて、顔が引きつる。勘弁してくれ。
「はは……」
 笑う以外にコメントのしようがなかった。

 妙な沈黙が漂う、雨の日曜のオレの部屋。パソコンモニターの時刻を見ると、そろそろ16時。阿部はいつ帰って来るんだろう?
「なあ、阿部が帰るの、今日だよな?」
 三橋に訊くと、「知らない」って言葉が返って来た。んな訳ねーだろと思いつつ、ツッコミする余力がねぇ。
「メールしてみろよ」
 うだうだ三橋を促すと、三橋はふてくされたように唇をとがらせて、床に放り出したままのケータイに目をやった。
 見てるだけじゃメールは送れねーだろ、っつの。全く、妹ら以上に手がかかる。
「ほら、メール」
 やれやれと手を伸ばし、ケータイを持たしてやると、三橋はむうっとした顔のまま、ちっとも嬉しそうじゃねぇ声で言った。
「ありがと、お兄、ちゃん」
 って。こんな手のかかる弟はイヤだ。阿部みてーな義弟ができんのもイヤだ。

「オレはお前の兄ちゃんじゃねーぞ」
 ボカッと頭を軽く殴ると、「お姉ちゃん」って言い直される。
「誰が姉ちゃんだ」
 もっかいボカッと殴ると、ようやく三橋がふひっと笑った。

「お、み、や、げ、む、し、パ、ン」
 ぶつぶつ呟きながら、ケータイをもたもた操作する三橋にぐるっと背を向ける。
 書こうと思ってた文章はとうに頭から消え去ってて、また1から考え直しだ。蒸しパンって、それもムシの日だからか? 三橋の考えはあっちこっちに飛び回り、相変わらず取り留めもねぇ。
 けど阿部にとっては多分、そういうのも可愛く思えるんだろう。
 はあ、とため息をついてると、オレのケータイがブゥンと鳴った。画面を見ると、噂をすれば阿部からのメールだ。
――虫パンって、何?――
 そんな短い質問に、ぶはっと笑える。変換ミスなのか、わざとなのか、やっぱ三橋の考えはよく分かんねぇ。

「ほら、阿部、もうすぐ帰るってよ」
 あやすように声を掛けると、仮の愚弟はべったりとフローリングにうつ伏せた。
「オレは帰ん、ない」
 って。だから、勘弁しろっつの。いい加減、レポート書きたい。
「いや、帰れよ?」
 バッサリと言い放ち、くるっとパソコンに向き直る。
「む、ムシ?」
 そんな言葉に不覚にも吹き出しながら、オレは再び性懲りもなく、キーボードの上に手を乗せた。

   (終)

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