Season企画小説
思い出して欲しいこと・9
その日は自分でも動揺し過ぎて、5時間目も6時間目も頭にちっとも入んなかった。うっかり試験範囲も聞き逃しかけて、ハッとしてようやく我に返ったくらいだ。
時間が経つとちょっとずつ冷静になれたけど、まずオレを襲ったのは、羞恥心よりも後悔と恐怖だった。
阿部君にあんな生意気なこと言って、しかも、キスまで……!
思い出すだけで顔も体もカーッと熱くなり、湯気が出そうなくらい赤面する。田島君に「どうしたー?」って訊かれたけど、とてもホントのことは言えない。
「なん、でも、ない」
教科書で顔を隠しながら、そんだけ言うのが精一杯だった。
オレにとって幸いだったのは、その日から試験期間になって、部活に行かなくて済んだことだ。
野球はやりたいけど、阿部君に会わせる顔はない。
理系に進んだ阿部君とは教室が離れてて、前はそれをもどかしく思ってたけど、今はすごく助かった。
放課後、キョロッと阿部君がうちの教室まで来てたけど、それは隠れてやり過ごした。
「三橋探してんじゃねーの?」
田島君に不思議そうに言われたけど、「いない、って言って」って頼み込んだ。
お昼までのオレなら、きっと喜んだと思うけど、今となっては恐怖しかない。「恥ずかしい」とか「後ろめたい」とかが分かんないだろう阿部君に、大声でキスの意味とか訊かれたくなかった。
ホントにオレ、なんでキスなんかしちゃったんだろう?
あの時はともかくカーッとして、ぐわーっと来てたまんなくなって、気が付いたらやっちゃってた感じだ。
阿部君、どう思っただろう? きっと、「意味ワカンネー」とか思ってるよね? あの表情の消えた顔で、冷たくも見える視線で、面と向かってズバッと言われたらって思うと、胸が痛い。
これをきっかけに、阿部君の感情が戻れば――って思ってたけど、今はそんな都合のいいこと考えらんなくて、もう、ホント、後悔しかなかった。
土日を挟み、月曜が来ても、オレは阿部君を避け続けた。
花井君が勉強会に誘ってくれたけど、「今日は、いい」って断った。
「あ、阿部君、には、言わないで」
そう言うと、「何かあったのか?」って心配されたけど、ぶるぶる首を振って、花井君には話さなかった。
そもそも、話せない。オレが、阿部君に無理矢理キスしたなんて。そんで、顔を見れなくて避けてるなんて。話したら絶対、「バカか」って呆れられたと思う。
それか……「阿部を傷つけるな」って言われたかも。
いくら不快な感情がどうこうって聞いたからったって、それを実行しようとしたなんて、バカだったなぁって思う。
モモカンだって「そっとしておくように」って言ってたのに。
バカだ。ホント、バカだ。
「ううー……」
呻いて突っ伏し、机でゴチンと頭を打つ。
「おい、スゲェ音したぞ」
泉君に心配されたけど、阿部君にしちゃったことに比べれば、こんなの大した罰にもならない。
何よりサイテーだと思うのは、阿部君を不快にさせちゃったことよりも、阿部君に嫌われたんじゃないかって、そっちを怖いって思ってることだ。
「サイテー、だ」
オレホント、自分勝手で独りよがりで、短慮で考え無しで、思いやりも勇気もなくて、サイテー、だ。
もっかいゴチンと机に頭を打ちつけて、鈍い痛みを甘受する。
「阿部来たぞ」
田島君にこそっと囁かれたのは、その時だった。
ギョッとしてとっさに机に隠れ、ゴキブリみたいに床に這う。慌て過ぎて、イスがガターンと音を立てたけど、とても構っていられない。
「三橋は?」
廊下から響く、阿部君の声。
相変わらず響きが良くて、相変わらず抑揚がない。感情の乗ってない声に、胸がきゅっと痛くなる。けど、だからって顔を見せられるハズもなくて、ぶるぶる首を振りながら机の陰で小さくなるしかできなかった。
どうしよう、見つかる? その前に逃げた方がいい?
「もう帰ったぞ」
泉君のウソに、阿部君は何も答えない。
どんな状況なのか、どんな顔してるのか、見たいけど見られなくて、ビクビクしながら隠れてると――。
「あっそ」
そんな短い返事が聞こえて、胸の奥がちくっと痛んだ。
泉君が、「もう行ったぞ」って教えてくれたのは、それから2、3分してからだった。
ホッとして顔を出すと、2人に「何やったんだ?」って訊かれて、ギクッとする。
「な、何、も」
「何もって態度じゃねーだろ」
「ケンカでもしたか?」
2人に口々にツッコまれ、うぐっと口ごもる。
「もしかして、殴ったとか?」
冗談っぽく言う田島君に、泉君が笑ったけど、オレはちょっと笑えなかった。
「そ、それ、より悪い、かも」
ごにょごにょと告げた言葉に、2人が顔を見合わせる。
「き、き、……きす、した」
小声で打ち明け、ぼわーっと一気に赤面する。一拍空けて、2人に「ええーっ」って叫ばれたけど、オレだって一緒に叫びたかった。
田島君と泉君は、最初こそ呆然としてたけど、じきにケラケラと笑いだした。
「まあ、いいんじゃねぇ」
笑いながらの言葉に、ほんの少しホッとする。
「き、傷付けた、かな?」
そんな身勝手な不安も、「まさかぁ」って笑い飛ばされれば、そうなのかなって思えて薄らぐ。
阿部君から隠れるの、協力するって約束までしてくれて、それにも正直、安心した。
「ただし、テスト終わるまでだぞ」
田島君の宣言に、こくりとうなずく。
「テスト終わったら、誕生日祝ってやるからさ」
ガシガシと2人に頭を撫でられ、それにも素直にうなずいた。
去年の誕生日はちょうど試験期間に入る前で、みんなでうちに来てくれたっけ。
あの時、阿部君に初めて見せた9分割のマト。初めて誉められたコントロール、初めて友達を呼んだ誕生日、何もかも嬉しくて幸せだった。
今年は、そんな風にいかないだろうけど――。
強引にキスした時の唇の柔らかさを思い出し、床に座り込んだまま頭を抱える。
不快な感情より、嬉しいとか楽しいとか気持ちイイとか、プラスの感情を先に感じさせてあげるべきだった。
「あ、隠れろ」
ぐいっと頭を押さえつけられ、再び床に伏せて隠れる。
「なあ、三橋の靴、まだあるんだけど」
廊下から阿部君の声が聞こえて、心臓がバクバクいうくらい緊張したけど、幸い見つからなかったみたい。
「あれ、じゃあ花井か西広に勉強教わってんじゃねぇ?」
田島君のウソに、阿部君はまたしばらく黙りこみ、すぐに「そーかよ」って去ってった。
(続く)
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