Season企画小説
思い出して欲しいこと・8
「阿部君、頬……」
立ち去ろうとする阿部君を呼び止めると、振り向きざまに「何?」って言われた。
その口調に怯みはしたけど、怯んでばっかじゃダメだとも思う。
「痛くない、の?」
勇気をかき集めて訊くと、阿部君は「痛い?」って首をかしげた。
「痛い……ああ、痛い、かな。よく分かんねぇ」
叩かれて赤くなった頬に手を当て、遠い目で言う阿部君。痛みを感じてるっぽいのにはホッとしたけど、それでも何か遠そうだ。
頬を誰かに叩かれて、痛むのはもしかしたら頬じゃなくて、胸なの、かも。
心の痛みも、もう感じないの、かな?
「こ、心は、痛く、ない?」
そんなオレの問いに、阿部君は「は?」と短い声を漏らした。
「心に痛覚なんかねーだろ。胸が痛むっつーのは単にノルアドレナリンとか、脳内物質が起こすまやかしであって、いくらでも誤魔化しがきくモンだ。その脳内物質だって、カルシウムイオンが出たり入ったりとか、その程度の刺激で出るような代物だろ。感情なんかどれも、結局は電気信号にしか過ぎねぇんだよ」
「の……」
ノルアドレナリンには聞き覚えがあったけど、それが何なのかよく覚えてなくて、阿部君の言葉が理解できない。
電気信号? カルシウム? イオンって何だろう? 理解もできないのに反論できるハズもなくて、阿部君がどんどん遠ざかる。
「5時間目、始まるぞ」
ちらりと向けられた視線にも、やっぱり何の感情も込められてなくて、胸に熱いモノがこみ上げた。
まるで人形みたい。
それか、どっかの科学館で見た、人の顔したロボットみたい。
こんなの、ホントの阿部君じゃないのに。阿部君はもっと、朗らかで爽やかで厳しいけど優しくて、怒りっぽくて、でも好きで――。
ねぇ、この、胸に満ちる想いも、ただの電気信号なの、かな?
「ち、がう、よ……。で、電気信号、とかじゃ、ない。そ、そんなモノで、悲しくなったり、とか、しない」
阿部君に追い縋り、滲んでくる涙をぐいっとぬぐう。
「なんで泣くんだよ?」
もう何度めか聞かされたセリフ。
そう訊かれる度、胸がズキッと痛むってことすら、今の阿部君にはきっと分かんないんだろう。
それは病気だからで、阿部君のせいじゃない。
阿部君のせいじゃないけど、分かって貰えないことが、どうにも悔しくてたまんない。
分かって欲しい。
思い出して欲しい。
イヤなこと楽しいこと、嬉しいことムカつくこと、日常のささいな出来事で、いちいち揺れる感情を、思い出して欲しい。
べそべそ泣きながら、手の甲で涙をぬぐうオレを、阿部君が黙ったまま無表情に見つめてる。
困った顔もしてない、怒ってもイラついてもない、そんな阿部君はもうイヤだ。
「試合に勝ったら嬉しい、でしょ? ま、負けたら悔しい、でしょ? 悔しい、けど、それで終わりじゃなく、て……」
とつとつと訴えながら、思い出すのは榛名さんの顔、だ。
榛名さんをサイテーだって言った。活躍が悔しいって言った。ライバルかって訊いたら、そんなんじゃないって怒ってた。
榛名さんと話すとき、ほんの少し幼くなる、生意気な後輩な阿部君も、オレ、好きだった。
「負け、たら悔しい、けど、メシはおいしい、で、しょ?」
『そーだな、メシはうまいよな』
去年交わした、他愛もない話題。そのときの感情も、阿部君は忘れちゃったかな?
真夏の太陽の暑さとか、汗をかく気持ちよさとか、一緒に入ったプールの冷たさとか。もう思い出すことは、ないのかな?
誰かを好きだって気持ちも? 誰かを嫌いだって気持ちも? こんな風に切なくて、欲しくて、ぐちゃぐちゃになりそうな執着も……もう、分かって貰えない?
「阿部君、オレ……」
ぐっと苦しくなる胸を押さえ、目の前の整った顔を見上げる。
好きよりも、もう1歩進んだかも知れない。頭の中はぐちゃぐちゃで、胸の中はどろどろで、こんなのが電気信号な訳がない。
「もうすぐ予鈴だぞ」
抑揚のない声で告げられて、再び腕を振り払われる。
それを待ってたかのように、キーンコーン……と鳴る予鈴。昼休みの終わりを告げる音を聞き、阿部君の声が「ほら」とオレを責める。
「ムダな時間、取らせんな」
突き放すような言葉に、ぐさっと胸をえぐられて――。その瞬間、オレの中で何かがぶつんと切れた音がした。
ぐいっと阿部君の服を掴み、引き寄せてこっち向かせて、強引にキスをする。
1、2、3、と数えてキスをやめ、「好きだ!」って告げると、阿部君はロボットがフリーズしたみたいに、無表情のままで固まってた。
「オレ、阿部君、が、好きだ。き、気持ち悪いって思うかも知れない、けど、そんなのどうせ、ただの電気信号、だし。好きでいるの、やめ、ない。誰にも、病気にも、オレ、負けない、から!」
一方的に喚いた後、阿部君を置き去りにしてダッと校舎に逃げ戻る。
走ってる内に、とんでもなく恥ずかしくなってきて、悶えて転がりそうになったけど、今は少しでも早く、阿部君の前から消えたかった。
(続く)
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