Season企画小説
リスタート・8 (完結)
1月の展望デッキは、予想してた通り寒かった。
東向きのデッキ、北風を遮るモンは何もなくて、青空が遠く眩しい。勿論太陽は、とっくに高く昇った後だ。
「寒ぃーな。ロンドンもこんな寒ぃの?」
「うん……」
歯切れ悪く返事して、三橋が遠い空を眺める。
3年前と同じ、未来しか見てねぇような仕草なのに、今は少し違うように感じた。
「今度、いつ帰んの?」
ズバッと訊くと、「資格、取れ、たら」って小さな声で返事が来た。
「取れそう?」
「がん、ばる」
こくりとうなずく三橋に、ふっと笑って頭を撫でる。
どういう試験なのか、それがどんだけ難しいのか、オレにはよく分かんねぇ。けど、頑張ってんのは分かるから、応援するしかねぇだろう。
「待ってるから、しっかりな」
そう言うと、三橋が弾けるように顔を上げた。
猫みてーなデカい目が、信じらんねぇって風にオレを映す。
「待っ……」
言葉を詰まらせ、涙ぐむ様子に、オレの方もじわっと来た。
「待つって言ったら、ホントに待つから」
真摯に告げて、コートのポケットから布張りの箱を取り出す。大みそかに思いついて買いに行ったコレを、気に入ってくれるかは分かんねぇ。
「サイズ、適当だけど」
そう言いながら箱を開くと、三橋はひゅっと息を呑んだ。
ブルーグレーの箱の中、光沢のある白い中張りの上に鎮座してんのは、シンプルなプラチナのペアリング。
海外だと、プラチナは銀に間違われて軽く見られるって聞いたことあるけど、オレも三橋も日本人だし、ここは日本だし、自分たちにだけ分かってりゃいい。
その価値も、意味も。三橋にだけ伝わりゃ十分だ。
片方をつまみ取り、三橋の右手を捧げ持つ。投球ダコが薄くなり、代わりに大人の男らしくなった、筋張った白い手だ。
少年時代に終わりを告げ、大人の男として始めよう。
右手の薬指に指輪をはめると、緊張と寒さとで冷たかった手が、じわじわと温かくなってった。
「ちょっと緩いか?」
何しろサイズは適当だ。大した抵抗もなくするっと入った指輪に、ちょっとだけ焦る。
けど、三橋はふるふる首を振って、「大丈夫」って赤い顔で応えた。
「ならいーけどさ」
ずいっと布張りの箱を三橋に向けると、何も言わなくても伝わったんだろう。残りの指輪を、大事そうにそっとつまみ上げた。
オレの右手の薬指に、神妙な顔で指輪をはめてくれる三橋。口元が薄くひし形に開いてて、相変わらずの様子に笑みが漏れる。
「オレはあんま気長な方じゃねーからさ、んな長くは待てねーぞ」
3年前と同じセリフを口にして、目の前の三橋を抱き締める。だから早く帰って来い、って言外の激励は、今度こそ正確に届いただろうか?
「うん……」
オレの肩に頭を預け、三橋が静かに返事する。
「あんま待たせるようなら、有給取ってロンドン行って、首根っこ引っ掴んで引きずって帰るかんな!」
脅すように告げると、三橋がふひっと笑うのが分かった。
すんっと鼻をすすってんのに気付かねぇフリをして、「マジだぞ」って囁く。
コート越しに抱き締めた体は、腕にすっぽり収まって、懐かしくて愛おしい。冬でも日向のニオイのする髪、頬にかする猫毛の感触も、3年前と何も変わりなかった。
3年前も、こうしてやればよかった。どうしてもロンドンに行くって言い張った三橋に、優しく接してやれなかった。
仕事がどうとか平日だったとか、そんなのは下らねぇ言い訳だったって今なら思う。
結局オレは三橋が好きで――三橋が遠くに行っちまうこと、オレの言いなりにならねぇことに、ガキみてーに腹立ててただけだったんだな。
そっと時計を確認し、抱き締めた腕を緩める。急速に離れてく体温が名残惜しい。
掠めるようにキスを奪うと、三橋がふわーっと真っ赤になった。
たまんなくなって顔を上げさせ、もっかい深くキスをする。甘い唾液も甘い吐息も、「んっ」って漏れる甘い声も、3年前と変わりない。
「続きは、今度会った時な」
こそりと告げた言葉に、今度はしっかりとうなずかれる。
「す、すぐ帰るから。待っててくだ、さい」
それは3年前に欲しかった約束で。ここからまた始まるんだって、疑う余地は何もなかった。
展望デッキはほとんど無人だったのに、階下に降りるとやっぱすげー人混みだった。
5階4階を通り過ぎ、エスカレーターで3階に降り立つ。白を基調とした天井の高い出発ロビーは、明るくて晴れやかで賑やかだ。
出発便を知らせる放送、周りの見送り客のざわめき、何もかも年末のそれと同じなのに、あん時みてーに居心地悪いとは感じねぇ。
「ほら、行って来い」
背中をぽんと押して、ゲートの向こうへ送り出す。
セキュリティチェックも、出国手続きのカウンターも、どっちもかなりの行列ができてて、感慨に浸る間もなさそうだ。
「行って来ま、す」
オレに手を振り、制限区域に入ってく三橋を、片手を上げて「おー」と見送る。
オレの手にも、三橋の手にも、同じプラチナの指輪が光ってて。どんだけ離れてても、大丈夫だと思った。
(終)
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