Season企画小説
モーニングコーヒー・3
ソファに阿部君と向かい合い、持って来たケーキを一緒に食べた。
記憶にある通りの、まったり濃厚なチョコケーキ。噛むとスポンジからブランデーが、じゅっと口の中にしみてくる。
「おっ、美味ぇな」
一口食べて、阿部君が言った。
率直な感嘆が嬉しい。にへっと顔が緩んでくる。
「コーヒーも、美味しい、よっ」
素直に称賛すると、「そりゃあ良かった」って。向かい合った位置から見詰められ、ギュンと胸が甘く疼く。
初めての感情に戸惑いつつ、ドギマギと目を逸らすと、すっと阿部君がオレの方に手を伸ばした。
「付いてる」
そんな短い言葉と共に、口元を指でぬぐわれた。
「ふえっ?」
付いてるってチョコ? クリーム? 疑問に思う間もなく、ぬぐった指をぺろりと舐められて、動揺にドカンと赤面する。
「冷めるぞ」
くくっと促され、慌ててコーヒーを飲んだけど、薫りを楽しむ余裕もない。チョコケーキの味も分かんなくなって、気が付いたら食べ終わった後だった。
その間、夕飯は食べたかとか、今日は何してたかとか、好きな食べ物はとか……色んなことを訊かれたけど、何を話したか、頭がふわふわして覚えてない。
緊張し過ぎて、何だか雲の上にいるみたい。阿部君は平然としてるけど、これって普通? オレが気にし過ぎ?
……好きだから、気になるの、かな?
ぐるぐると考えてたら、いつの間にか席を立ってた阿部君が、シャンパンの瓶を手に戻って来た。右手にはグラスを2つ持ってて、器用に音もなくテーブルに置く。
「腹減ってねぇ?」
「な、い。うん」
つっかえながらうなずくと、「じゃあ、飲むか」って言われて、もっかいうなずく。
「ちょうど冷えた頃だ」
阿部君はそう言って、オレの隣にドスンと座った。
ソファの軋みにドキンとしながら、「冷、え?」と尋ねる。
シャンパンって、冷やさなきゃ美味しくないんだって。コーヒーを淹れながら、氷水で冷やしてくれてたんだって、今初めて気が付いた。
うわ、オレ、そんなこと何も知らなかった。シャンパン、思いっきり室温だった、よね?
焦るオレをよそに、阿部君の方は余裕みたいだ。シャンパンの封を開けながら、優しい顔でニヤッと笑った。
「シャンパンのさ、コルク栓抜くときの音、天使のため息っつーらしーぜ」
「ふえっ、天、使?」
思わぬ名称に振り向くと、整った顔が間近にあってビクッとした。
顔が近い。気配が近い。息の仕方が分かんない。
「しーっ、ほら」
声を抑えて囁かれ、飛び出しかけた喘ぎを呑み下す。
オレの真横で阿部君は、右手でコルクを押さえたまま、左手でゆっくり瓶を回して――。
シューッ。
シャンパンの小さなため息を、オレの耳に響かせた。
目の前のテーブルに置かれたグラスに、静かにシャンパンが注がれる。しゅわしゅわと立つ泡に見とれてると、「乾杯」って言われた。
慌ててグラスを1つ取り、阿部君の真似をして軽く掲げる。口を付けると芳醇な香りがして、ぱちぱち弾ける泡を肌に感じた。
デパ地下のお酒コーナーで、誕プレにって選んで貰ったシャンパンは、少し甘めで飲みやすい。炭酸も爽やかでいい匂い。
ちびちびと飲んでると、阿部君が目の前でグラスをぐっとあおった。
「このグラス、シャンパングラスじゃねーんだ。炭酸抜けやすいから、風味が落ちねぇ内に、早めに飲んじゃおーぜ」
「うお、そうか」
そう言われれば、風味が落ちちゃうのがもったいないような気がして、阿部君と同様、グラスのシャンパンをぐっとあおる。
少し甘めだから、ぐっとあおっても飲みやすくて、あっという間に飲み干せた。
ぽうっと上気した気分で空になったグラスを見てると、そこにまた、静かにシャンパンが注がれる。
「このシャンパンも美味ぇ。高かっただろ?」
とくとくと注がれるキレイな炭酸。耳元に響く、深い声。
「そ、んなこと、は」
確かに大枚ははたいたけど、阿部君が喜んでくれるなら、高いなんてことはない。小さく否定しながら、頬が熱くなるのを止められない。
自分のグラスを再びぐっとあおる阿部君。つられて自分もぐっとあおると、またすぐにシャンパンが注がれる。
750mlのフルボトル、2人で飲めば空になるのもあっという間で、最後の1滴がグラスに落ちた。
オレの肩に腕を回し、笑顔でグラスを寄せる阿部君。
グラス同士を合わせるの、マナー違反だって知ってはいたけど、チンとかすかに鳴る音に、ドキドキが止まらない。
赤面を誤魔化すみたいにグラスをあおると、それを空にした途端、手の中から奪われた。
顔が熱い。体が熱い。
シャンパン3杯で酔っぱらうハズもないのに、頭の中がくらくらする。
明るさを抑えた部屋の中、阿部君の息遣いがひどく近い。
肩を組むなんて、チームメイトの誰とでもやってることなのに、なんでこんな、胸が震えるんだろう?
「オレ……」
その後に何て続けようとしたか、自分でもよく分かんない。
ただ、唇を柔らかいモノで塞がれて、それ以上何も言えなくなった。
キスだ、と気付く間もなく、力強い腕にぎゅっと抱かれる。
「……イヤ?」
こそりと囁かれる問いに、鼓膜がビリビリ痺れた。
何を訊かれてるか分かんない。
どうしてキスされたかも分かんない。
ただ、阿部君のことで、オレがイヤだなんて思うモノは何一つない、から。
「イヤじゃ、ない」
上ずって震える声で、自分の気持ちをハッキリと伝えた。
(続く)
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