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Season企画小説
この気持ちは恋じゃない (2016栄口誕・社会人・栄口視点・栄→阿×三)
 阿部と街で再会したのは、ホントに偶然のことだった。
 出先で路駐した営業車に乗り込もうとした時、後ろから「栄口?」って名前を呼ばれて。振り向いたらスーツ姿の阿部がいたんで、ビックリした。
 黒に近いダークグレーの上下に、鮮やかなマリンブルーのネクタイ。真っ黒な髪をビシッと整えた姿は、いかにも社会人って感じだった。
「久し振り。営業?」
 会社のロゴの入った営業車にちらりと視線を向けられて、「うん」とうなずく。
「今からまた、次のトコ回る予定。……阿部は?」
「オレは使いっ走りの最中だ」
 小脇に抱えてた太い茶封筒をちらりと見せられ、「そっかぁ」としか言えなかった。
 この後お昼でも、と、言いかけた誘い文句がノドに詰まる。
 内勤は、オレたちみたいな営業と違って、適当な時間に休憩できない。使いっ走りの途中なら、急いで帰る必要があるだろう。

 残念だけど仕方ない、か。そう思った時――。
「栄口、今日暇? よかったら夜に1杯やんねぇ?」
 ニヤッと笑いながら誘われて、柄にもなく嬉しかった。
 仕事柄、飲みに誘われることはたまにあるけど、旧友とは久し振りだ。
「いいの? 待ってるんじゃないの?」
 誰が、とも言わずに試すように訊くと、「三橋? いーよ、別に」ってセリフが返ってきた。
 三橋っていうのは、オレと阿部の共通の旧友で、阿部の恋人だ。
 やっぱりまだ続いてんだ、と一瞬なまぬるい気分になったけど、三橋第一だった阿部に、三橋より優先されたと思うと何となく嬉しい。
「たまにはお前と飲むのもいーよな」
 と、そんなセリフも嬉しかった。

 三橋とは高校で会ったけど、阿部とは中学も同じだった。
 チームは違ってたけど、互いにリトルシニアに入ってて、対戦だって何度かした。2年で正捕手になった阿部と比べて、オレの方は割とのんびりだったと思う。
 母親が亡くなってから、野球に対しての情熱が今一つ盛り上がらなくて、どうしようかなって思ってた時に、誘ってくれたのも阿部だった。
「お前、西浦受かったんだろ? 一緒に春休み、自主練行かねぇ? 自主練っつーか、グラウンド整備が主だけど」
 その時思い出したのは、見学に行ったときにちらっと見た、女の監督さんのことだ。
「監督って、女の人? オレ、前に会ったことあるよ。グラウンドで草刈りしてた」
「今もしてるよ。お前もやろうぜ、追いつかねぇ」
「ああー、やっぱり?」
 そう言って、笑い合ったの覚えてる。
 ははは、と快活に笑う阿部を初めて見て、内緒だけどちょっと感動した。

 それまでの阿部には、何て言うか、孤高の人ってイメージがあった。
 話しかけりゃ話すし、笑うことだって皆無じゃないんだけど、基本的には他人に無関心。休み時間だって机に伏せて寝ちゃってるし、誰かとつるむこともない。
 そんな阿部に誘われて、2人で自主練してるんだ。何となく、自分が特別の人間みたいに思えて、嬉しかった。
 野球をためらってたことも忘れて、来る日も来る日も入学前のグラウンドに通う。他に自主練に来る人は誰もいなくて、ずっと阿部と2人きり、色んな話をした。
 実際には、監督もいたし顧問もいたから、2人っきりじゃないんだけど――大人と子供は違うし、男と女も違う。
 同じ新入生で、同中出身で、同じ立場で、同じ白の練習着着てて、特別だ。
 草刈りの合間、阿部が熱心にマウンドに土を盛ってんのも、微笑ましく見守れた。
「いい投手が入るといいよねぇ」
 仲間として、同じ希望を口にする。そこには何の違和感もなかった。

「そーだな。マウンド、気に入ってくれりゃいーけど」
「きっと気に入るよ〜。だって阿部、心こめて作ってんじゃん?」
 そんな会話も、側にいるからこそできる。
 草地が減って広くなったグラウンドの真ん中で、汗をぬぐいながら笑い合う。入学式が待ち遠しかった。このまま特別でいられると思ってた。

 けど――そんなささやかな選民思想は、投手の出現で粉々に消えた。
 投手の名前は、三橋廉。
 卑屈でビビリで、キョドリがちのドモリがち。でもだからこそ、努力を怠らず、慢心することもないエース。
 いつもは小動物みたいに覇気がないのに、マウンドに立った途端、顔つきが変わる。類稀なコントロールがあって、阿部が構えたミットに吸い込まれるように投げることができる。
 ……阿部が惹かれない訳がなかった。
 阿部がどんなに投手を待ち望んでたか、マウンド作りを横で見てたオレは知ってる。
「オレが作ったマウンドはどうよ?」
「いい、です」
 そんな2人の会話を聞いて、よかったねぇってホントに思った。阿部が心を込めて土を持ったマウンドを、気に入らない投手はいない。

 阿部の良さは、オレが1番よく知ってる。
 だから、三橋が阿部にどんどん惹かれてくのを見ても、当然のように納得できた。
 いつの間にか阿部の立ち位置は三橋の隣になっちゃったけど、仕方ないなぁって思ってた。何かを諦めたような気持ちになったけど、何を諦めたのかは分かんなかった。


 待ち合わせは午後7時。互いに仕事を終えた後、適当な居酒屋で乾杯した。
「そういや、誕生日だったっけ。おめでとう、乾杯」
 掲げられたジョッキに、コツンとジョッキを打ち鳴らし、「だいぶ前だよ〜」と苦笑する。
「一週間以上前だから」
「そうだっけ」
 悪びれもしない阿部にとって、オレの誕生日なんてものはきっと、大した意味もないんだろう。6月生まれだってこと、覚えててくれただけでも喜ぶべきだ。
「仕事、どう?」
「お前スーツ似合わねーな」
 飲み食いしながら、どうでもいいような会話をする。こんな雰囲気も久し振りで、ちょっと浮かれた。

「阿部はスーツ似合ってるね。そのネクタイ、いい色じゃん」
 鮮やかなマリンブルーのネクタイは、よく見ると青銀の模様が入っててオシャレだ。思わず誉めると、意外なのろけで返された。
「ああ、これ、廉が買ってきた」
 その瞬間、胸に吹き込んだのは覚えのある諦念だ。なまぬるい風に包まれた気分で、「仲いいね〜」と受け流す。
 浮かれかけてた気分は、その風にふよふよ流されて、手の届かないとこに飛んでった。
 廉、と自然に口をつく名前。言い慣れてる証拠だ
「……今日、三橋は?」
 さり気に訊くと、「そろそろ帰る頃だな」って。
「そーだ、メシいらねぇって電話しねーと」
 そんなセリフを聞かされて、「同棲」の2文字が脳裏をよぎる。飄々と言われて、こっちの方が照れた。
 スーツの内ポケットからケータイを取り出した阿部は、軽やかに画面をタップして、さっそく電話をかけ始めてる。

「もしもし、オレ。ワリー、今日メシいらねーわ。栄口と飲んで帰る」
 遠慮のない口調、ケータイから漏れ聞こえる三橋の声に、懐かしさと甘酸っぱさがよみがえった。
 オレは阿部が好きだけど、同時に三橋のことも好きだ。だからこれは恋じゃない。好きな同士惹かれ合う2人を、応援したいと思ってる。
 割り込もうとか成り変わろうとか、そんな気持ちも持ってなかった。オレがどうこう言ったところで、揺れ動くような阿部は阿部じゃない。オレの知ってる阿部は、三橋しか見えてない阿部だ。
 この気持ちは恋じゃない。断じて恋じゃない。けど――。
「ええっ、お前も来たいって?」
 阿部の三橋への言葉を聞いて、一瞬だけ、いやだと思った。今だけ阿部と2人でいたい。誰にも邪魔されたくない。こんな独占欲、あるよね?

「ダメダメ、今日は2人で飲むから」
 阿部の返事を聞いて、正直、嬉しかった。断ってくれて嬉しい。オレの方を選んでくれて嬉しい。けど。
「たまにはいーだろ。……ズルイって何だ」
 ははは、と快活に笑い声をあげる阿部を見て、またなまぬるい風にあおられた。幸せそうでよかったねぇ、と、心の奥底の空洞に、また1つ諦めの気持ちが落ちる。
 何を諦めてんのか、いまだにハッキリとは分かんない。ただ、これは恋じゃなかった。だってオレは、阿部の幸せを願ってる。
「ちょっと代わってやって」
 差し出されたケータイ、その向こうにいる三橋に、モヤッとしたのも一瞬。
『栄口君っ、久し振り、だっ』
 耳に響く弾んだ声に、ああ、と思った。
 何の警戒もしてない、信じ切った声。旧友の声。彼の震えながらまっすぐに立つ背中を、オレはどんだけ見て来ただろう。

「三橋とも今度飲もうね〜」
 ゆるく誘うと、『うん!』と嬉しそうにうなずかれた。
「阿部に内緒で、2人きりで会おうか」
「はあ!?」
 ほとんど冗談の誘惑を、阿部が聞き咎めて顔をしかめる。じろっと睨む阿部の視線も、『うえっ』と色気のない三橋の奇声も、何もかも懐かしい。
 なまぬるくて甘ったるい空気が心の中に満ちるのを感じて、オレは「乾杯」と電話越しの三橋に告げた。
 もう春も終わりだ。夏が来る。
 甘ったるさに当てられたせいか、ビールもひどく甘かった。

   (終)

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