Season企画小説
恋人としたい事・12
ざーざー降りの雨の中、カッパを着る余裕もなくて、自転車に乗って学校を出た。
阿部さんに会いたい。阿部さんに会いたい。
頭ん中はそんだけでいっぱいで、他には何も考えられない。昼休みに田島君たちの前で泣いちゃってから、気持ちが抑えきれなくなった。
昼休みの階段の踊り場で、いきなりボロボロ泣き出したオレに、田島君も泉君も戸惑って顔を見合わせてた。
「大丈夫か? どっか怪我してねーか?」
仲間の優しい問いかけにも、首を振るしかできなかった。
泣きやまなきゃって思うのに、泣けば泣くほど衝動がこみ上げて、嗚咽を我慢できなかった。
阿部さんに会いたい。
阿部さん。
阿部さん。
阿部さんがいないと、心の底から笑えない。
「お前が最近変なのってさ、前にキスの先がどうこうって言ってたのと関係あんの?」
田島君に真剣な声で訊かれて、それには首を振れなかった。
気持ちがいっぱいいっぱいで、はち切れそうで、誰かに話してしまわないとパンクしてしまいそうだった。
阿部さんに言われたこと、監督に言われたこと、自分で思ったこと、何もかもを思いつくままに2人に喋った。
「ぐちゃぐちゃにしたくない」って言われたことも、「恋愛はきれいなものばかりじゃない」って言われたことも。
嗚咽まみれで支離滅裂で、途中から自分でも何を話してんのか分かんなくなっちゃったけど、2人は呆れた顔を見せず、じっとオレの話を聞いてくれた。
そんで言われたんだ。
「でももう三橋、ぐちゃぐちゃじゃねーか」
って。
「こんなんじゃ、野球に集中できねーし。中途半端だからスッキリしねーんだろ? どうせならちゃんと話して、とことんまでぐちゃぐちゃになって来い」
中途半端って言葉に、ドキッとした。
確かにそうだと思う。中途半端だ。会うのやめようって言われただけで、別れようって言われた訳じゃない。嫌いになったとか、そういうんでもない。会いに行く時間が全くないって訳でもなかった。
ただオレは、怖くて――ちゃんと向き合わないまま、ずるずると過ごしてただけだった。
会いたいなら、会いに行けばいい。誰にも禁止されてない。
考えてみれば阿部さんにだって、「会いに来るな」なんて言われてなかった。
会いたい。会いたい。阿部さんに会いたい。
顔が見たい。声が聴きたい。頭を撫でてキスして、抱き締めて貰いたい。一緒にいたい。
午後の授業は、頭にちっとも入らなかった。
大雨のせいで午後練も中止になって、それを聞くなり、カバンを引っ掴んで教室を出た。
田島君たちに「行ってくる」とは言えなかったけど、きっと分かってくれたんだろう。「頑張れよ!」って声が聞こえた。
阿部さん、阿部さん。
自転車を必死に漕ぎながら、通い慣れた道を行く。痛いくらいの雨粒に打たれ、視界が何度も水滴にくもった。
阿部さんの喫茶店は、いつも通りの様子で営業してた。
小さな看板に明かりが灯り、静かにお客を迎えてる。
カランカラン。カウベルを鳴らしながらドアを開けると、妙に懐かしいコーヒーの匂いに包まれた。
お客は誰もいないみたい。店内を見回した後、怖さを押し隠してカウンターに向き直ると、阿部さんはびっくり顔でオレを見つめて、それから濃い眉を逆立てた。
「何やってんだ、びしょ濡れじゃねーか!」
初めて聞く強い口調に、ビクッと全身が跳ねた。
胸が引き絞られるくらい苦しくなって、息が詰まる。悲しくて、怒鳴られたのがショックで、身動きもとれない。
呼吸も忘れて立ち尽くしてると、ふわっと頭にハンドタオルが被せられた。そのままごしごしと乱暴に顔を拭かれ、頭を拭かれて少しよろめく。
「阿部さん……あ、ま、マスター……」
小声で呼びかけると、ちっ、と舌打ちを1つされた。
「言い直してんじゃねーよ。ああ、もう、間に合わねーな。ちょっと上に来い」
ぐいっと手首を掴まれて、その温かさにドキッとする。
「でも、オレ……」
「でもじゃねーよ、風邪ひいたらどうすんだ?」
風邪なんて、って思う反面、オレのこと考えてくれてるっぽい口調が嬉しい。
「う……」
雨で濡れた顔がさらに涙で濡れて来て、目を開けていられない。引きずるように連れられ、階段を上がらされ、そのまま2階の阿部さんの部屋に連れられた。
ここに来るのは一体何日ぶりだろう?
オレ、入ってもいいのかな?
玄関で靴も脱げずに固まってると、阿部さんは先にせかせかと奥に向かい、バスタオルを取って戻ってきた。
再び頭からタオルを被せられ、ごしごしと拭かれる。
「阿部さん……」
震える声で呼びかけると、「んー?」って苛立ったように返事をされた。
「好きです」
ぽつりと言った瞬間、阿部さんの手がぴくっと止まる。けど、それも一瞬で。再び乱暴に頭を拭かれて、気持ちがこみ上げてたまんなくなった。
会いたかった。声が聴きたかった。でもそんだけじゃまだ足りない。もっと欲しい。オレだけ見て欲しい。欲しがって欲しい。
「好き……!」
思いを込めて抱き付き、力いっぱいしがみつく。びしょ濡れでそんなことしたら迷惑だろうとか、そんな気遣いもできなかった。
「阿部さんがいないと、オレ……、もう……っ」
言ってるうちに嗚咽がこみ上げ、抱き付いたまま泣き声を漏らす。
たくましい腕にぎゅっと強く抱き返されたのは、その時だった。歓びを感じる間もなく、上を向かされてキスされる。
甘い舌が口の中に差し込まれ、またすぐに出て行った。
コーヒーの匂いに包まれたまま、耳元に熱い息を感じて、低い囁き声を聞く。
「今、風呂溜めてるから、入ってろ。……店、閉めてくる」
うなずくより先に、こめかみに軽いキスを落として、阿部さんが部屋を出て行った。階段を下りる軽快な足音を聞きながら、ぺたんとその場に座り込む。
久々のキスは、やっぱり甘くて。心臓が痛いくらいドキドキした。
(続く)
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