Season企画小説
恋人としたい事・11
雨の日も晴れの日も、練習は続いた。
玄関にたどり着くのがやっとで、靴も脱げずに倒れ込んで寝ちゃうような日々も続いたけど、それでも少しずつ、体力が余るようになってきた。
相変わらず阿部さんとは、連絡が取れない。
週に1度、ミーティングだけで練習のない日もあるんだけど、もし歓迎されなかったらどうしようって、怖くて、あの喫茶店には寄れなくなった。
ハートのないカフェラテを想像すると、胸がぐさぐさ切り裂かれるように痛む。
それでもいいから顔だけでもって何度も思って、けど結局勇気がなくて、1歩も動くことができなかった。
「三橋、ミーティングの後カラオケ行くんだけど、お前もどう?」
野球部のみんなに誘われて、「行く……」とうなずく。
今までは早く阿部さんに会いたくて、そういうのずっと断ってきた。今は逆に、阿部さんに会いに行けない言い訳のために、積極的に参加してる。我ながらズルイなって思う。
でも結局、カラオケに行ってもバッティングセンターに行っても、コンビニに寄って買い食いしても、心の底からは楽しめない。
オレの頭にあるのは、いつでも阿部さんのことばっかで。
朝から晩まで大好きな野球漬けになってるにも関わらず、ぼうっとすることが増えてった。
阿部さんに会いたい。
阿部さんに、会いたい。
顔が見たい、声が聞きたい、頭を撫でて欲しい、笑って欲しい。あのコーヒーの香りのする温かい胸に、抱き締めて欲しい。キスして欲しい。
キスの感覚が恋しくて、唇にそっと触れてみたけど、阿部さんの指とは全然違う。やっぱ、阿部さんじゃなきゃダメだ。
キスもそれ以上も、阿部さんじゃなきゃ意味がない。
阿部さん以外にはどうしても興味が持てなくて、田島君に借りたエロ本だって、眺めもしないで返すだけだった。
阿部さん、阿部さん……。
恋しくて、会いたくて、泣きたくなるくらい寂しい。
部活してる時もフェンスの向こうに阿部さんを探して、いつもキョロキョロしてばっかになった。
なるべく阿部さんのこと考えないようにしようって、集中、集中って繰り返し自分に言い聞かす。うまくいってるかどうか分かんないけど、そうするしか他にない。
けどやっぱ、端から見ると集中できてはなかったみたい。とうとうカントクに叱られた。
「三橋君、ぼうっと練習してると怪我するよ!」
ぼうっとしてるって言われて、ドキッとした。自分では集中できてると思ってたから、余計に気まずい。
「すみま、せん……」
うつむいて謝ると、はぁー、と大きくため息をつかれた。そんで言われたんだ。「何か悩み事があるんだね?」って。
「前によく来てた、女の子のこと?」
カントクの言葉に、「い、え」と首を振る。田島君たちの勧めもあって、同じクラスのあの彼女には、付き合えないってハッキリ告げた。
「他に好きな人、できたんだ、ごめん」
彼女は意味が分かんないって顔してたけど、もっかい「ごめん」って謝ったら、ぷりぷり怒りながらも分かってくれた。
「いい気にならないでよね」
キツい口調でなじられて、睨まれてちょっと辛かったけど、阿部さんにそうされるよりマシだと思う。
相変わらず教室では目も合わないし、話すこともないんだけど、阿部さんのことが恋しくて、気にするどころじゃなかった。
「もうずっと、す、好きな人に会えてなく、て……」
うつむいたまま呟くと、カントクはビミョーな顔して「意外だなぁ」って言った。
「三橋君も、思春期なんだねぇ」
くすっと笑われると、妙に恥ずかしい。
てっきり「野球優先でしょ」って注意されるかと思ったけど、そんなことはなかった。逆に、会いに行きなさいって言われた。会って、スッキリして来なさい、って。
「大事なものを犠牲にした野球じゃ、強くなれないよ」
って。
「野球のために、何かを犠牲にしなきゃ、なんて思わないで欲しい。辛いことばかりじゃ長続きしないからね」
犠牲にしてるとか、そういう意識はなかった。ただ、練習が長くて会いに行く時間がないんだって、言い訳にしてただけだった。
会いたいなら会いに行けばいい。誰にも禁止されてない。
禁止してるのはオレ自身、だ。勇気がなくて。今までみたいに笑顔で迎えてくれなかったらって思うと怖くて。練習が大変なのを言い訳にして、ずるずると会いに行けないでいた。
阿部さんに会いたい。阿部さんに会えない。怖い。でも会いたい。
どうしよう、好きだ。
「阿部さん……」
震える手でケータイを取り出し、アドレス帳を呼び出す。リストの1番上にあるのは、もうずっと前から阿部さんの名前、で。
けど――。
思い切って「会いたいです」ってメールを送信してみても、返事が貰えることはなかった。
雨が降っても、練習は続く。
グラウンドが使えないときは、渡り廊下や階段、体育館の隅っこでひたすら基礎トレーニングをした。
ざーざー降りの雨を窓越しに眺めると、すごく寂しいのはなんでだろう?
階段にいると、雨の音が強く聞こえる。昼休み、食堂の自販機で買った飲み物も、自然とみんなホットになった。
夏が近いのにほんの少し肌寒い、こんな時は阿部さんの喫茶店で、いつものカウンターに座って熱いカフェラテが飲みたい。
ハートのラテアートがなくてもいい。阿部さんに会いたい。きれいなままでいなくてもいい。ドロドロでぐちょぐちょな恋愛に、幻滅したって構わない。
だって、オレ、今でもう十分ぐちょぐちょだ。
心の中がぐちょぐちょで、きれいじゃなくて、みっともなくて惨め。でも、それでも、阿部さんが好きなんだからしょうがない。
他の誰かなんて、視界に入らない。
「雨、やまねぇなぁ」
「明日も打てなさそー」
「三橋も投げてぇよな?」
話しかけられて、「うん」とうなずく。ホットのカフェオレを持ったまま、階段を上がりながら外を眺める。
阿部さんの喫茶店、こんな日は暇そうだ、な。
ぼんやりとそう思った時――上から降りて来た人とトンと肩がぶつかって、足元が一瞬ぐらついた。
「危ねぇっ!」
あっと思った瞬間、誰かの鋭い声がして、ぐっと抱き寄せられ、抱き締められる。オレがこぼしたカフェオレのせいか、ふわっとコーヒーの匂いがした。
でも、ここには阿部さんはいなくて。
それを自覚した瞬間、ぼろぼろと涙が止まらなくなった。
(続く)
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