Season企画小説
恋人としたい事・5
最後の試験は、数学だった。
阿部さんに見て貰って、何度も何度も反復練習をしたお陰で、計算だけの問題は全部解けた。
後の文章問題は、正直手も足も出なかった。答案用紙も恥ずかしいくらい真っ白で、1行すら書けなかったけど、計算問題さえ全問正解なら、30点で赤点回避だ。
解ける問題が少なすぎて、時間はあまりまくりだったけど、みんなは逆に足りなかったみたい。
「どうだった?」
テストの後で田島君に訊かれて、計算問題だけって言ったら、「オレも」って笑ってた。
先生方が採点とかで忙しいからか、今日まで部活はお休みらしい。明日の土日を含めて、3日間で採点してくんだろうか?
「パァッと暴れてぇのになぁ」
田島君の言葉に、こくりとうなずく。オレも早く、野球したい。
明日の部活が楽しみだ。でも何より楽しみなのは、この後の予定、で。誕プレにって貰ったナイターのチケットを、ちらっと眺めて、にへっと笑う。
みんなでバッティングセンターに行こうって誘われたけど、「ごめん」って断って、まっすぐ阿部さんの喫茶店に向かった。
今日はデートだ。そう思うと楽しみで、試験の結果も不安も全部、頭から吹き飛んだ。
阿部さんは、いつもより早めに閉店してオレを待っててくれた。
喫茶店の2階が、阿部さんの住処だ。
お店の裏にあるドアから入り、階段を上がるとすぐ玄関になる。
チャイムの代わりにノックをすると、阿部さんが「お帰り」って優しく笑って、オレを迎え入れてくれた。
袖とすそに青いフェイクの入った、ちょっとオシャレなポロシャツ姿だ。ボタンを外したラフな着こなしが、プライベートって感じして、ドキッとする。
お店に立つ、いつもの黒いネクタイとベストじゃない。毎朝お弁当を渡してくれる時の、Tシャツにジャージ姿でもない。
プリントTシャツの上にパーカーを羽織った、オレの格好がなんだか子供っぽく思えた。
「あの、お、オレも着替え……」
キョドりながらそう言うと、「そのままでいい」って言ってくれた。
「オレは、今のままの廉君が好きなんだ。何も変わんなくていい」
優しい笑みを浮かべながら、そっと頭を撫でられる。
「荷物は置いてけ」
促されるままカバンを置くと、目の前に大きな手が差し出された。
「行こうか」
ごく自然に繋がれる手。
夜道を歩くときなら、もういつもの事なのに。こんな明るい内からっていうのは初めてで、ドギマギして落ち着かない。
「テスト、どうだった?」
そんな問いにも頭が働かなくて、「ま、まあまあ」って適当な返事しかできなかった。
「まあまあって何だ?」
くくっと笑う阿部さんは、いつも通り格好いい。格好良くて、いつも以上に大人で、スマートで優しい。
込み合った電車の中では、腕の中に囲うように護って貰えて、そんな事にもドキドキした。
恋人とのお出かけって、大体こんな感じなの、かな? 楽しさよりもドキドキのほうが強くて、嬉しいんだけどそわそわする。
阿部さんの視線を感じて、恥ずかしくて顔をあげられない。
「また、意識し過ぎ」
耳元で笑われ、こそりと囁かれて、心臓が止まるかと思った。
意識し過ぎだって言われたって、とても普段通りになんか振る舞えない。
「だって……」
思わず口にすると、「なに?」って優しく精悍に訊かれた。
「だって、あ、阿部さん、格好いい、から」
正直に言うのを聞いて、ふふっと笑う阿部さん。
球場に着いてからも、シートを探して座った時も、その態度は変わんなくて、嬉しいけど恥ずかしい。
「廉君も、いつも通り可愛いよ」
優しく笑いながら素で言われて、返答に困った。
野球を見てる間も、阿部さんはずっとオレの手を握ったままだった。
手を放したのは、オレのためにカチワリ買ってくれた時と、自分のためにビールを買った時くらい、かも。
初めて見るナイターの試合。
ライトの眩しさ、客席の熱気、歓声の中にカキンと響くバット音。何もかもに憧れがあるのに、手のぬくもりが気になって仕方ない。
味方チームがホームラン打った時なんて、わあっと盛り上がる中で肩を抱かれて、ドキッとした。
抱き寄せられるのなんて初めてじゃないのに、なんでこんな、意識しちゃうんだろう?
阿部さんからはやっぱり、香ばしいコーヒーの匂いがする。
周りに漂う、ビールや焼きそばやカレーの匂いより、爽やかで個性的で好きだ。
「晩メシ、どうする?」
阿部さんがオレを抱き寄せたまま、耳元でこそりと言った。ふわっとコーヒーの香りが漂う。
「わ、わかんな、い……」
顔が熱い。何に対してどう答えていいのか分かんない。
鼓膜がびりびり震わされ、オレの心臓もびりびり痺れる。
「ははっ、なんだそりゃ?」
大きな手のひらが降りて来て、そっと頬を撫でられた。
野球の試合に集中できない。どっちが打ったのか、点が入ったのか、スコアボードを見るまでわかんなくて、自分でもちょっとびっくりした。
「外で食う? それとも、うちで食う?」
周りの歓声に負けないよう、耳元に口を寄せて言われる言葉。ぬるい吐息が耳を掠めて、その気配にビクッとする。
外食するか、阿部さんちで食べるか?
「ケーキあるぞ」
ニヤッと笑われ、顔を覗き込まれて、ホントにどうしようと思った。
2人でどこかで外食するのと、阿部さんちでゆっくり2人きりで食べるのと。いったいどっちが恋人らしいんだろう?
「ケー、キ……」
甘いものにつられたフリして、じわじわ赤面しながら阿部さんを見る。すぐに目が合った阿部さんは、すっごく優しい目でオレを見つめててドキッとした。
(続く)
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