Season企画小説
ぬるま湯にはもう浸かれない・10
駅前からマンションまで帰る数分の間に、酔いが結構回って来た。
正気を失う訳でもねーし、笑ったり泣いたりと感情が揺れ動く訳でもねーけど、平衡感覚がちょっとおかしい。まっすぐ歩けてる気がしねぇ。
ふらつきながらマンションに戻ると、玄関前に女が2人、仁王立ちになってオレの帰りを待ち構えてた。
「あー、帰ってきた」
「おそーい」
通せんぼするように立ち塞がられ、ちくちくと嫌みを言われる。真っ直ぐ立てねぇのに、勘弁してくれ。
「三橋君泣かせてサイテー」
って。知らねーっつの。泣きたかったのはこっちだ。
黙ったままじろっと睨みつけると、それに怯みもしねーで、更に言われた。
「せっかくさぁ、絶品唐揚げレシピ教えて上げて、美味しくできたのに。こんな人には勿体ないよねー?」
「ねー?」
絶品唐揚げレシピ。
オレのために、って思うと嬉しくねぇ訳じゃねーけど、コイツらと一緒に作ってたと思うと、やっぱ素直には喜べねぇ。
絶品じゃなくても、例え油吸ってギトギトのでも、三橋が作ってくれりゃそれで良かったのに。いっそ、買ってきたんでも良かったのに。
けどいくらオレだって、それを正直に言っちゃマズイって、そんくらいは分かる。酔ってても分かる。
「……世話かけたな」
女どもに礼を言いつつ、よろけるように玄関を開けると、スパイシーな匂いが再び香った。
きゃあきゃあと楽しげな笑い声は、もう聞こえねぇ。
「また泣かせたら、承知しないからね!」
捨てゼリフみてーな文句を聞きながら、ドアを閉めて靴を脱ぐ。
壁に手を突きながら、明かりのついたリビングに向かうと、三橋がなんでかオレのエナメルバッグ抱えて、ソファの上で丸くなってた。
ダイニングの方を覗くと、テーブルには山盛りになった唐揚げとサラダ、ケーキの箱、スパークリングワインと、ワイングラスが2つある。プレゼントらしい包みもある。
ワインはなんでか開封されて、半分以上なくなってた。グラスの片方にはちょっと中身が残ってて、飲んだんだなと分かる。
女どもと飲んだのか、とは、さすがに邪推する気になんなかった。1人で飲んだんだろうとは思うけど、その量が多いのか少ねーのかは分かんねぇ。
確かワインって、ビールよりも度数が高ぇよな?
「あべ、くん……」
ソファに転がったまま、三橋が小さくオレを呼んだ。
「三橋? 寝てんのか?」
声かけながら肩を掴むと、三橋がパッと顔を上げた。顔が赤い。理由はよくワカンネーけど、泣いてたってのはホントらしくて目も赤い。
けど、ゆっくり観察してる暇はなかった。
「阿部君っ!」
いきなり立ち上がり、オレにガバッと抱きついて来る三橋。立ち上がった拍子に、抱えてたバッグがボテッと床に転がったけど、それに気付いてもねぇようだ。
「おいっ」
タックルするように抱きつかれ、不覚にもよろける。ちゃんと受け止めきれねーのは、やっぱ酔ってるせいだろうか?
どしんと床に尻もちをついた後も、三橋は離れてくれなかった。
甘え癖ん時とは様子が違う。なんで泣いてんのか、なんでオレのせいなのか、意味がワカンネー。分かってんのは、笑って欲しいって思う自分の気持ちだけだ。
すんすんと鼻をすする音が耳をかすめる。
「泣くなよ」
そっと囁いて柔らかな髪を撫でると、抱き付かれたまま耳元で言われた。
「あべくん……好き……」
「えっ……?」
ドキッとした。今までオレからは何回も言ったセリフだったけど、三橋からは1回も言われたことなかった。
白昼夢? それとも空耳か? 軽く引き剥がし赤い顔を覗き込むと、「やあっ」ってむずがって、ちゅうっと唇にキスされる。
「ん、みはし……」
押し留めようとしたけどムリで、甘い舌が差し込まれた。
いつもみてーなアセトアルデヒドのニオイは感じねぇ。三橋が酔ってねーのか? それともオレの方が酔ってるからか?
ぐいぐいと遠慮のねぇ力でオレをラグに押し倒し、三橋がオレに覆い被さる。
いつもとは反対の体勢。「好き」と言いながら奪われる唇。
夢? 夢じゃねーよな? ふわふわと意識が漂って、実感が沸かねぇ。オレの唇に、頬に、額に、幾つもキスを降らせながら、三橋がぼたぼたと涙をこぼす。
「泣くなって」
抱き寄せてオレの方からキスすると、三橋が涙をこぼしながら、ひくひくと全身でわなないた。
「オレ、オレ、ずっと前から、阿部君とキスする夢、見てて……」
「夢じゃねーよ」
即答で否定しつつ、胸の中ではギクッとしてた。覚えてねぇとは思ってたけど、全部夢だって思われてたなんて知らなかった。
「ゆ、ゆ、夢の中で、何度も阿部君に『好き』って言われ、て……」
オレに甘えるように縋り付き、泣きながらとつとつと話す三橋。
「夢じゃねぇって」
頭を撫でながら教えてやったけど、三橋は信じらんねぇみてーだ。ぶんぶんと首を横に振り、オレにぎゅうぎゅうと抱き付いて来る。
「ゆ、夢は願望、の、ジュウソクだっていう、でしょ」
ひくひくと小さくしゃくり上げながら、三橋が言った。
「だ、から、オレ、そ、そういう夢見てるんだと思っ、て。けど、よ、酔ってる時にも、オレ……っ」
嗚咽とためらいのせいか、いつもより言葉を詰まらせる様子に、愛おしさが沸き起こる。
三橋も、オレにキスしてぇと思ってた? 聞き間違いじゃねーよな?
夏のOB会の後、オレに抱きついてキスしてる写真を見せられて真っ青になったのも、邪な願望がバレたんじゃねーかって不安になったかららしい。
そんなことをこんな状況で聴かされたら、じっとしてなんかいられなかった。
その熱い体をオレからも抱き返し、起き上がって、ぐるんと体勢を入れ替える。
気分が無茶苦茶高揚してた。
三橋じゃねーけど、なあ、これ、夢じゃねーよな?
「三橋、好きだ」
しっかりと目線を合わせ、ハッキリと告げる。
けど三橋はまだ信じらんねーみてーで、唇をへの字に引き結び、ふるふると首を振ってる。
「ウソ、だ」
って。ウソじゃねーっつの。
「だって、メールっ」
メールと言われて、さっき自分が三橋に送った、ガキみてーな本文を思い出す。
何て書いたっけ? 送信してからそれ程時間が経ってねーのに、何も思い出せなかった。
「す、好きな人、いるのかも知れない、けど。い、今だけは一緒に、いて……」
目の前の三橋から、ひくひくと漏れる嗚咽。
甘え上戸でもキス魔でもなくて……酒のせいで、口が緩くなってんだろうか?
「オレが好きなのはお前なんだ。お前と2人きりで過ごしてぇ。……意味分かるか?」
覆い被さって、さっき三橋にされた通りに、いっぱいのキスをその顔に落とす。
三橋からの返事はなかったけど、オレももう聞く耳持たなかった。
(続く)
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