Season企画小説
ぬるま湯にはもう浸かれない・8
記念すべき20歳の誕生日は、金曜だった。
三橋は朝からにこにこで、好きなモン何でも作るからって、晩メシのメニューを訊いて来た。
「一緒にお酒、飲もう、ねっ」
弾んだ声で、いかにも楽しみって感じに言われると、沈みかけだった気分も浮上する。
酔う程飲まなきゃいいんだろう。三橋と2人きりで酒を飲むなんて、もうこれっきりかも知んねぇ。じっくり味わって、大事な思い出にしたかった。
幸い今は冬で、部活もそんなに長時間じゃねぇ。
「分かった、楽しみにしとく」
ニッと笑って、柔らかな猫毛をくしゃくしゃと撫でる。
「けっ、ケーキも頼んだ、から!」
赤い顔して、鼻息荒く告げる三橋に、苦笑が漏れる。ケーキは嬉しいけど、自分が食べたいだけじゃねーの?
誰それがバイトしてて、ロウソクがどうで……と、取り留めもねぇ話を聞きながら、一緒にマンションを出て大学に向かう。
あっちこっちワープする話題に、相変わらず口下手だなと思うけど、今はそれすら可愛いかった。
昼休みに野球部の部室に顔を出すと、その場にいた部員から口々に祝われた。
「おー、阿部、飲みに行くぞ」
先輩にガシッと肩を組まれて、「はあ」とうなずく。
「すんません、今日はちょっと」
三橋のこと思い浮かべながらそう言うと、「女か?」とさんざん冷やかされた。んな訳ねーだろ、っつの。
「じゃあ、三橋か?」
ズバッと言われてドキッとしたけど、同時にみんなに爆笑されて、動揺したとこ見られずにすんでよかった。
放課後の練習の後は、片付け当番だったこともあって、みんなより上がるのが遅くなった。
「誕生日だろ、帰っていーぞ」
キャプテンが気を遣ってくれたけど、早く帰ったって仕方ねぇ。三橋はさっき帰ったばっかだし、メシ作んのだって時間かかるんだから、逆に時間潰した方がいいくらいだ。
「あざっす! でも、やって帰ります!」
礼を言って断ると、先輩も納得したのか、それ以上は言わなかった。
今年は暖冬だ、と10月頃から言われてたけど、やっぱ日が暮れるとそれなりに空気が冷えてくる。
ボールのキャリーケースやバットスタンドを倉庫の中にしまい込み、使ったネットを当番みんなで片付ける。
1人だと時間がかかる作業も、数人でやれば割とすぐだ。戸締りを確認し、照明を落とし、グラウンドに鍵をかけ終わったのは、三橋らが帰ってから30分後。
「お疲れー」
「お疲れ様っス」
口々に挨拶を交わして大学を後にする。月は見えなかったけど、街明かりで十分明るかった。
三橋には唐揚げ頼んどいたけど、今頃作ってんのかな? 皿に乗らねぇくらい山盛り作ってそうで、想像すると笑える。
三橋の酒癖は意外だったし、アイツに対する想いもすっかり変わっちまったけど、食い意地張ってんのは高校時代から変わりなくて、そういうとこはホッとする。
この先どうするか、結論はまだ出ねぇ。
オヤには同居解消をそれとなく相談してみたけど、「ケンカでもしたのか? まさかな」って軽く笑われて終わった。
ケンカが原因じゃねぇって、見透かしたような言い方にカチンときたけど、実際ケンカなんかしたことねーから、反論のしようがねぇ。
でも、このままズルズルと今の関係を続けていくのも、よくねぇだろって分かってた。
マンションの階段を上がり、「ただいまー」と声を掛けながら玄関のドアを開ける。
1歩中に入ると同時に、ふわっと鼻腔をくすぐるスパイシーな匂い。
けど、それに頬を緩めた直後――。
「え……っ?」
目の前に、女物のクツが2足並んでんの見て、ギョッとして息が詰まった。
何だ、これ? 頭の中で尋ねながら、自分の足先に目を落とす。茶色いパンプスと、黒のショートブーツ。どっちもヒールが高くて、サイズが小さくて、明らかに女物だ。
横にきちんと並んでる三橋のスニーカーが、デカく見える。
なんでココに女物? 女、連れ込んでんのか? 誰だ? ……女を中に入れねぇコトって、同居する時に約束したよな?
「みはし……?」
呆然と呟いても返事はねぇ。
すぐ奥のダイニングキッチンから、きゃわきゃわと楽しげな声が聞こえて、我ながらスゲー動揺した。
「うおーっ、す、ごいっ」
三橋の声が、女の笑い声に重なって響いた。
女2人と三橋とで、何やってんだ? なあ、オレの誕生日、2人きりで祝ってくれんじゃなかったのか?
それとも……2人きりでって思ってたのは、オレだけ?
肩からエナメルバッグのショルダーが滑り、そのまま玄関の足元にぼたりと落ちる。
緩慢な仕草でポケットからケータイを取り出して、後ずさりするように自分らの玄関からそっと逃げる。
一旦走り出すと、止まんなかった。
ダッと階段を駆け下りて、マンションの外、月のねぇ夜道に踊り出る。
逃げねーで、「約束違ぇだろ」って怒鳴ればよかったかな? それともダイニングに乱入して、女ども捕まえて外に放り出して、「帰れ!」って言ってやりゃあよかったか?
三橋の胸倉掴み上げて、「この野郎」って揺さぶってやった方がよかったんだろうか?
それができなかったオレは、もしかして丸くなったのか? 情けねぇ。
ダメだ、と思った。
このままぬるま湯みてーな関係を、ずっと続けたいって思ってた時期もあったけど、やっぱ無理だ。限界だ。
掴んだままだったケータイを街灯りの下で覗き込み、考えながらメールを打ち込む。
――ワリーな、誕生日は好きなヤツと2人きりで過ごしてぇ。帰りは遅くなる――
「……ゴメン」
ぼそりと口で呟いて、短いメールを送信する。
三橋からすぐに返信メールは貰えなくて、自分勝手だけど傷付いた。
(続く)
[*前へ][次へ#]
[戻る]
無料HPエムペ!