Season企画小説 ミハシンデレラと魔王のお城・5 (完結) ミハシンデレラには、青年の呟きよりも執事の言葉の方が気になりました。 魔王様? 陛下? やっぱり仮装にちなんだ呼び名でしょうか? ミハシンデレラのことを「お嬢さん」と呼ぶ執事のことですから、その可能性はあるでしょう。 アベルベットに背中を押され、バルコニーへと向かいながら、ミハシンデレラは執事の方を振り向きました。 黒服に白い手袋をつけた執事は、胸元に片手を当てて、うやうやしくおじぎをしています。 振り向いたミハシンデレラを見咎めるように、アベルベットが「おい」と耳元で注意しました。 「他の男をじろじろ見んな」 そんな言葉とともに、耳元にキスを1つ落とされて、ミハシンデレラはビクンと肩を震わせます。 「お前はオレだけを見てろ」 何という傲慢なセリフでしょう。けれど、そんなセリフさえ似合ってしまうのですから、どうしようもありません。 じわっと頬を赤らめながら、ミハシンデレラは青年を振り仰ぎました。 「何だ? ミハシンデレラ」 整った顔を寄せられ、とっさに肩を竦めて目を閉じると、唇に軽いキスが1つ。 もうダンスは関係ないのに。足も踏んでいないというのに、どうして彼はまだキスをするのでしょう。 「ふあ……待って……」 思わず後ろに下がると、それを追うように、アベルベットも1歩、ミハシンデレラに近付きます。 「待ってるぜ? 十分過ぎるくらいにな」 そう言いつつ1歩1歩近付く彼の、一体どこが「待っている」というのでしょうか。 子ウサギを追い詰めるように両手を開き、青年がミハシンデレラをバルコニーに追い詰めます。 可哀相に、可憐なミハシンデレラには逃げるすべもありません。 「逃げんな」 ニヤリと端正な口元を歪め、アベルベットが微笑みました。 どうにか話題を変えられないかと、ミハシンデレラは思いつくまま、さっきの疑問を口にしました。 「あ、あの、まっ、『魔王様』って? ア、ベルベット君、が?」 まさか、と快活に笑ってくれるかと期待しましたが、青年はニヤリと笑ったまま、「ああ」とうなずきました。 「そうだな。オレは魔王で、ここは魔王の城だ。キレイだろ?」 確かに彼の言う通り、美しいお城です。豪華なシャンデリア、高い天井、美しい内装、金と紅のカーペット。 バルコニーに面した庭園は真っ暗ですが、そこかしこで光るジャック・オー・ランタンは、オレンジ色に輝いていて、それも美しい。 美しいと言えば、目の前の青年も美しい。 「そんでお前は、今日から魔王の花嫁だ」 息が交わる程の間近で、静かに告げられるアベルべットの言葉。勿論、ミハシンデレラは驚き、焦りました。 「なんで、オレっ?」 問いかけながら顔を背けますが、逃げようがありません。きらびやかな服に包まれたたくましい腕が、ミハシンデレラの腰を強く抱き寄せます。 魅力的な整った顔を寄せられて、ミハシンデレラは耐えきれず、またぎゅっと目を閉じました。 両手で押し返しても、まだ抱き寄せられて腕の中へ。 「一目ぼれに、理由なんかいるか?」 耳元で囁かれて、小さな心臓が飛び跳ねました。 一目ぼれ? 魔王? 花嫁? 一体どういうことでしょう? けれど、それ以上何も訊くことはできませんでした。無垢だった唇を、魔王の唇で塞がれて。目眩がするほどの官能が、ミハシンデレラを襲います。 強く抱き締められ、深くキスされて、呼吸さえ奪われてしまいました。甘く熱い肉厚の舌を、拒むこともできません。 ミハシンデレラは男なのに。 今は女装しているけれど、本来はボロをまとった、ガリガリのみすぼらしい灰かぶりです。魔王の花嫁になんて、なれるハズがありません。 なのに、どうしてこんな求愛を? 「ん……っ」 うわずった声を上げると、激しかったキスがなだめるような優しいものに変わりました。 ちゅっと音を立てて唇を離し、青年がくすりと笑います。 「何度キスしても甘ぇな、お前。スゲー可愛い」 「かっ……」 可愛い、と、アベルベットはさっきから何度も口にしていますが、とても誉められているようには聞こえませんでした。 「オレ……男だ、よ」 やんわりと腕を振りほどきながら、ミハシンデレラは再度訴えましたが、青年は笑うだけです。 「分かってるって。どーでもいーんだよ、んな事」 誘うように伸ばされる腕。ミハシンデレラが力なく首を振ると、アベルベットはふふっと笑ってパチンと指を鳴らしました。 直後、その空っぽだった手の中に、黄金のゴブレットが現れます。 そこになみなみと注がれているのは、きっとあの甘い葡萄酒。 アベルベットはそれを少し口に含み、にこやかな笑みを浮かべたままミハシンデレラに顔を寄せました。重なった唇から、甘くて濃いワインが滲むように注がれて、思わずごくりとノドが鳴ります。 そのまま舌を差し込まれ、ワイン味のキスを与えられると、甘くて気持ちよくて目眩がしました。 「う、あ、べ……」 アベルベット、と、青年の名前を吐息に乗せて呼んだとき――大広間の壁に掛けられた、大きな金の時計が目に入りました。 時計の針は、後ほんのわずかで12時になってしまいます。 『可愛い子ちゃん、気をおつけ。魔法は12時に解けてしまうよ』 老婆の言葉を思い出し、ミハシンデレラは慌てました。 大変です。このままでは、この美しい青年の前で、本当の姿を晒してしまうことでしょう。 美しいお城、美しい魔王、きらびやかなパーティの中に、たったひとりボロをまとって立つなんて、これ程恐ろしく辛いことはありません。 「オ、レ、帰る!」 ミハシンデレラは大声で告げて、彼の腕を振り払いました。 「待て!」 勿論青年は追いかけて来ましたが、立ち止まろうとは思えませんでした。 本当の姿を見られたくないし、幻滅もされたくないのです。笑われるのもイヤですが、もし汚い物を見るような目で見られたら、生きていけないかも知れません。 そう、何度も愛を囁かれ、口接けを受ける内に、ミハシンデレラはあの美しい魔王に惹かれてしまっていたのです。 「お願い、来ないでっ」 ミハシンデレラは走ります。逃げて、逃げて。小さな恋を守るために逃げて。 その背中を追うように、大広間の時計の鐘が鳴り響きます。 リーンゴーン、リーンゴーン……。これが12回鳴り終わるまでに、お城の外に出られるでしょうか? くるくると踊り続ける大勢の人の中を抜け、大広間を抜け、ドレスをたくし上げて走ります。 ポン! 黒いレースの手袋が、煙になって消えました。 ポン! 髪に飾られた王冠も、胸元を彩っていたアクセサリーも、煙になって消えました。 早く、早く。早くしないと、本当の姿に戻ってしまいます。 優しい彼の、立派な肖像画の脇を抜けると、「待て」と声がかかりました。 「オレに逆らうなら、石にするぞ」 お城中に響く青年の声。 リーンゴーンと繰り返す鐘の音。 柱の間の石像が、ミハシンデレラを見送ります。剣を持つ像、盾をを構える像、逃げる像……躍動感にあふれ、今にも動き出しそうだと思った石像は、全て人間だったのでしょうか? 本当に魔王? アベルベット青年が? 逆らえば石に……? ミハシンデレラは走りながら、ちらりと後ろを振り向きました。 このまま捕まって、みじめな姿を晒すより。元の冷たい家に帰って、いじめられながら過ごすより。いっそ石になった方がマシなのではないか、と、一瞬考えてしまったのです。 そうしたら、華やかなドレスを着た姿のまま、彼の側にいられるのではないでしょうか? そう思った時です。 「捕まえた!」 凛と響く声と共に、力強い腕がミハシンデレラの手を掴みました。 リーンゴーンと12回目の鐘が、お城中に響きます。 「やっ、見ない、でっ!」 ミハシンデレラが両手で顔を覆うと同時に、ポン! 身にまとっていた華やかなドレスが、煙のように消え去って……ああ、何ということでしょう。ミハシンデレラは全てを失くし、丸裸になってしまいました。 日に焼けない白い肌、細くたおやかな体。本当の姿が、魔王の目の前に晒されます。 「ひえっ、オレっ!」 動揺のあまりしゃがみ込むミハシンデレラ。真っ白な顔が真っ赤になり、全身が艶やかなピンクに染まりました。 魔王はこれを見て、幻滅してしまったでしょうか? いいえ、とんでもありません。 「キレイだ」 整った顔に喜びの笑みを満面に浮かべ、ミハシンデレラを抱き締めます。 宝石の飾られた豪華なマントで白い体をくるんでしまえば、もう逃げることは叶いません。 全ては魔王の手の中に。 「逃げんなっつっただろ」 響きのいい低い声が、裸のミハシンデレラの耳をくすぐります。 「オ、レ……」 べそをかきながら、ミハシンデレラは青年に体重を預けました。 マントにくるまれたまま横抱きにされ、姫君のように恭しく、お城の奥へと運ばれます。賑やかな大広間よりももっと奥、魔王の部屋のベッドの上まで。 もう二度と家に帰ることはできないでしょう。継母や2人の意地悪な義兄の顔が、ちらりと脳裏をよぎります。 でも後悔はありません。これからはずっと恋をした彼と一緒。 魔法が解けても、本当の姿を「キレイだ」と言ってくれたのですから、もう何も気に病む必要はないのです。 深くキスを受けながら、ミハシンデレラは真っ白なシーツの海に沈みました。 黒と金とに彩られた、美しく妖しい魔王のお城。 イバラのはびこる広い庭を、無数のジャック・オー・ランタンが照らす中、狼男やミイラや魔女、魔王の眷属のモンスターたちが、賑やかなダンスを続けます。 ミハシンデレラどうなったか? 魔王とその可憐な花嫁は、勿論、末永く幸せに暮らしたことでしょう。 全てはハロウィンの夜のお話。 お菓子をあげると言われても、無邪気に外に出てはいけません。どんな運命のイタズラが、あなたを待ち受けているか分かりませんよ? (終) [*前へ][次へ#] [戻る] |