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Season企画小説
夏祭りの雨の夜・後編
 男はオレの腕を引っ張りながら、一生懸命話しかけてくる。
 ビンゴの司会のバカ声で、自分の声が消されてんのに気付いてねーのかな?

 オレはため息をついて、そいつを見た。
 20歳くらい? か、ひょっとすると高校生?
 薄茶色の柔らかそうな髪に、同じく色の薄いでっかいつり目。眉は不似合に太くて、なのに何か頼りなさげなのは、へにょへにょと下がってっからか?

「……ってる、から……っしょに……」

 途切れ途切れに聞こえるそいつの声は、男にしては少し高めで、でも何か穏やかだ。
 どこかに一緒に行こうとか、誘ってるらしい。何でオレ? しかも、腕を掴む力が、だんだん強くなってきてる。
「痛っ……」
 こいつ、なんて握力だよ。ひ弱そうな体つきしてんのに。

 この握力があれば、バルブ締めるのも……なんて、ちらっと頭に浮かんで、いやいやと思い直す。
「放せ!」
 オレは、男の手を振り払った。
 そしたら、そんな握力だった割に涙目で、大きな口元をへの字に引き結び、オレの顔をじっと睨みつけてくる。
 うわ、何だよ?

 思わず怯んだ隙に……そいつは、オレの手からシュンの傘を引ったくり、ぱっと背中を向けた。
 そして雨の中、傘もささねぇで、たったとグラウンドを走って行く。
 何だ、それ?

 つか、シュンの傘!

「待て! てめぇ!」
 オレは勿論、後を追った。くそ、でかい傘は空気抵抗受けっから走りにくい。
 けど幸いにもそいつの髪は、夜でも割と目立つ色で、人込みに紛れてもすぐ分かる。
 と、そいつがくるっと振り向いた。お、っと思ったら、そいつはオレに手招きをして、テントの一つに入っていく。

 一つのテントに屋台は二つ。金魚すくいやコリントや、冷やしバナナにかき氷……。
 あいつが入ってったのは、こっちから三つ目の……あ、ヨーヨー釣りんとこ!
 誘導された、と気付いたのは、聞き覚えのある声に呼ばれてからだ。

「兄ちゃん!」

 は、と思って視線をやれば、テントの奥のスタッフ席で、シュンがにこやかに手を振っている。
 その横にはさっきのあいつが立っていて、オレの顔を見て頭を下げた。
 一応悪ぃと思ってんのか。
 でも、世話になったのはこっちなんだし、あいつの声聞き取れなかったのはあいつのせいじゃねーし。つか、「待て、てめぇ」とか「放せ」とか叫んじまった、オレの立場はどうするよ?


「何でもっと早く帰んなかったんだよ。もう8時じゃねーか。母さん心配してたぞ」
 照れ隠しもあって、叱りつけながら近付くと、「あの……」と、さっきの奴が口を挟んできた。
「雨が降って来た、ので、オレが引き留めたんで、す。シュン君を叱らない、で、あげて下、さい」

 頭を下げながらそう言って、そいつはオレに、何故か焼きそばのパックを三つ差し出した。
 ぷうん、とソースが香って、思わずゴクリと喉が鳴る。
「あ、それ……」
 シュンが声を上げるが、オレは無視して受け取った。誘惑に抗えねぇって、こんな気分かも。
「よ、良かったら」
 差し出された割り箸を受け取ると、「どうぞ」とテーブルを譲られる。

 誘われるまま手を出して……後はもう、止まらなかった。だって空腹だったし。
 輪ゴムを外して、箸を割って、うまそうな匂いを楽しみながら、口に入れる。噛みつき、飲み込み、貪り食って、食って、食い尽くして。もう夢中で……。

 目の前にペットのお茶をドンと置かれて、はっと我に返った。顔を上げると、薄茶頭のさっきの奴が、嬉しそうにオレを見てる。
「隆也君、すごい食欲、だね。おなか空いて、た?」
 何でオレの名前知ってんのか、とか、何でタメ口か、とかは気にならなかった。
 目の前でふひっと笑われて、ドキンとした。


「三橋さん、ありがとう」
 別れ際にシュンが挨拶して、そいつの名前を知った。
 三橋と呼ばれたそいつは、しゃがんでシュンに目線を合わせ、頭を撫でてこう言った。

「また明後日ね、シュン君」

 また明後日。明後日は月曜日。また、って何だ?
 学校関係か……いや、今は夏休みなんだから。じゃあプールの監視員とか、図書館の司書とか、どっかのおもちゃ屋のアルバイト?
「三橋さん、水風船作るの、すごいうまいんだよ」
 シュンが、三橋に貰った水風船を、たしたし叩きながら言った。
「へー」
 オレは生返事を返しながら、ちらっと後ろを振り返った。
 校庭からは、まだ賑やかな音頭が聞こえて来る。夏祭りの雨の夜。

 礼を言ってねぇことに気付いて、しまったと思いながら、あの笑顔をぼんやり思い出す。
 細い体。強い握力。一瞬オレを睨んだつり目。へにょへにょ情けねぇ下がり眉。大きなへの字口。
 そして。
 隆也君、とオレを呼んだ、高い声。



 その声を再び間近で聞いたのは、予告通りの月曜日だった。

 一昨日の休日出勤のせいで、一日代休を貰ったオレは、「紹介する」と親父に呼ばれて事務所の方に顔を出した。
 やっぱり、オレの穴埋めに新入社員を雇ってたんだそうで、何でかそいつがオレに会いたがっているらしい。

「隆也君、こんにちは」
 ぶかぶかの作業服を着た三橋が、前のオレのデスクから挨拶した。
 絶句した。
 そうか、従業員か。だからシュンはなついていたし、親父も任せて放っといたのか。

 色々納得できたけど、その作業服は納得できねぇ。
 何でぶかぶかなのかと思って、ぐいっと襟元を覗き込んだら、細っこいくせにまさかのLサイズ。しかも、オレの名前がタグに刺繍されている。
「これ、オレのじゃねーか!」
 思わず叫んだら、三橋が上目づかいに言った。
「社長が、使っていいって。あ、の、ダメです、か?」

 だから、そういう言い方は卑怯だろ。そんな風に言われたら、「別にダメじゃねーけど」って応えるしかねーじゃねーか。
「良かったぁ」
 オレの応えを聞いて、三橋が目の前でふわっと笑った。ぶかぶかの襟元から、白い鎖骨が丸見えになっている。
 エロい。
 オレは生唾をゴクリと呑んだ。一昨日のソースがふわりと香る。


 いつ退社届を出して、ここの正社員になろうかな、なんて……一瞬、本気で考えた。

  (終)

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