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Season企画小説
夏祭りの雨の夜・前編 (社会人1年目)
 雨の夜だった。
 入社して初めての休日出勤から、疲れて帰って来たオレを見て……玄関先で出迎えた母親は、すっげぇガッカリした顔で言った。
「なんだ、なんたなの」
「はーぁっ?」
 オレで悪かったな、との嫌味を込めてじろっと睨むと、母親はオレのビジネスバッグをさっと奪い取り、代わりにシュンの黄色い傘を、ぐいっとオレに押し付けた。

「シュンが縁日に行ったまま、まだ帰らないのよ」

 でも入れ違いになったら困るから、家を空けられなくて……と、母親は困った顔で言った。
「え、縁日って、一人で?」
 腕時計を見ると、もうすぐ8時だ。小学3年生が、一人で出歩いていい時間じゃねぇ。

「一応、お父さんも一緒だったんだけどね。あの人、今年は町内の役員だから、片付けまでは動けないみたいで。ケータイも通じないし。あんたちょっと、探して来てくれる?」
 母親はそう言って、オレにシュンの傘を押し付け、ぐいぐい、ぐいぐいと玄関から押し出した。
「いや、オレが留守番を……」
 してるから、とは最後まで言えなかった。

「タカ! あんた、可愛い弟が心配じゃないのっ!?」

 そういう言い方は卑怯だと、オレは前々から思ってる。だって、そうやって言われたら、「そうじゃねぇけど」って言うしかねぇし。
 結局俺は、革靴を脱ぐこともできねぇまま、縁日会場だっていう、シュンの小学校まで歩くことになった。
 日暮れから降り始めた雨は、ひどくはねぇけどやむ気配もねぇ。
 唯一良かったと思うのは、ビジネス傘をそのまま持って来れた事か。親父お勧めのこの傘は、骨が多くて丈夫で、しかもデカいから、多少の遠歩きでも肩が濡れねぇんだ。

 オレの親父は自営業をやってて、事務所の裏口は家の廊下と繋がってる。
 オレは長男だし、いずれはその会社に入るかも知んねーが……今年大学を卒業したオレは、まず、都内にある同業大手に入社した。
 やっぱ大手のやり方とかちゃんと見とかねーと、個人事務所のメリット・デメリットが分かんねーもんな。
 親父もオレの就職には賛成してくれたけど、学生時代にバイトで手伝ってた分、人手が足りなくなっちまって。新入社員を一人、募集するとかしねーとか言ってたような、言ってねぇような。

 あれ、どうなったんだったっけな。もう研修研修で忙しくて、親父ともちゃんと話してなかったよな……。


 小学校が近付くにつれ、マイクの音が切れ切れに聞こえて来た。
『焼きそば、…り切れです。ただいま……そば売り切……した』
 焼きそば売り切れか。ああ、もう8時だかんな。祭りももう、終盤なんだろう。
 そう思うと、自然、足が速くなる。

 シュンが、祭り会場にいてくれんなら、それでいい。校庭が会場で安心なところは、出入り口が限られていて、監視カメラもあって、色々把握しやすいって事だ。
 けど……祭りの終わりの寂しさにつられ、人込みに紛れて校門を一歩、出ちまったら?
 ……そうなる前に、見付けねぇとな。

 校庭にはまだ、たくさんの人がいた。
 頭上に無数の提灯が飾られてて、雨だっつーのに、盆踊りの音楽と太鼓の音が響いてる。
 ああ、体育館も解放されてんのか。
 校庭には、学校のテントが二列にずらっと並んでて、正門から体育館まで、ささやかな花道を作ってる。

「シュン! どこだ、帰るぞ!」

 ガキの頃から去年まで、ずっと捕手をやってたせいで、大声には結構自信あった。けど、大音量の何とか音頭に、ドドンがドンと消されてしまう。
「シュン! シュン!」
 オレは大声で叫びながら、体育館を目指して花道を進んだ。
 テントに行列を作ってる子供を、一人一人確認しながら、しまった、とちょっと思う。
 夜8時。頭上からの提灯の明かりは、不規則な影を顔に落とし、その上傘までさしてるから、ざっと眺めたんじゃ区別できねぇ。
 一々、低学年の子供の顔を覗き込んで歩いてるオレって、もしかしなくても目立ってるっつーか。

「あー、くそ」
 オレは小さく舌打ちをして、ケータイをポケットから取り出した。
 シュンがどんな服を着てたか、色くらいは教えて貰わねーと、探すのがスゲェ大変だ。
――シュンの服の色、教えて。暗くて探しにくい――

 母親にメールすると、白いシャツに紺の短パン、という答えが返って来た。
 くそ、そんなガキいっぱいいるぞ。せめて黄色とか、黄緑とか、目立つ服を着せればいいのに。

 ちっ、と舌打ちを一つして、ぐいっと傘を持ち直す。やけに重く感じんのは、イライラしてるせいだろうか。
 校庭の土が白い泥に変わって、磨き上げた革靴を汚す。
 濡れてはねぇけど湿気のせいで、スーツの長そでがべっとり重い。肌にまとわりつく不快感。
 そういや、昼から何も食べてねぇ。腹減った。
 シュン見付けたら、何か買ってくか。それとも走って(走らせて)帰って、家で温かいメシを食うか。

 今更のようにネクタイを緩め、ボタンを外しながら、オレは体育館の方に大股で向かった。スラックスにまで泥はねしてるのも、もう気にしねぇことにする。
 クリーニングは母親に出して貰って(当然だ)、靴磨きはシュンにやって貰おう(これも当然だ)。
 体育館からは、ビンゴでもやってんのか、数字を読み上げる声と甲高い歓声が漏れている。

 お、よく聞けば、この司会って親父の声だ。シュンがいねぇってのにビンゴだなんて、お気楽にも程がある。
 いや、でも、だったらシュンも、中にいるって事じゃねーかな。案外、親父をニヤニヤ眺めながら、一番前でゲームに参加してんのかも。
 きっとそうに違いねぇ。いや、そうであって欲しい……。ドキドキしながら体育館の入り口に立ち、中を覗き込もうとした時――。

 ぐいっと、腕を掴まれた。

 見れば、オレより少し背の低い男が、オレの腕を掴んでグラウンドの方を指差してる。
 そいつがぱくぱくと口を開いた。
『84番、84番です。お、リーチ! リーチの方そのまま立って下さいね! ビンゴの方いらっしゃいませんか? いらっしゃいませんね? では次参りましょう!』
 親父のバカでかい声がマイクに乗って、そいつの言葉をかき消した。

 オレは、声を張り上げた。
「何だよ、何の用? オレは、中に用事があるんだよ、他を当たってくれ!」
 そしたらそいつはすげーキョドって、でも手は放さねぇで、それどころかオレの腕をぐいっと強く引っ張った。
「だから、何だってんだよ!」
 叩きつけるように言うと、そいつはびくっと全身を竦めて……でも、しつこく口を開いた。

『106番、106番です! はい、リーチの方は立って下さいね……』

 親父の声が、また、そいつの声をかき消した。

(続く)

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