Season企画小説 月を眺めて言う言葉 (2015巣山誕・社会人・切なめ) メールで指定された、ホテルの最上階にあるラウンジに向かうと、待ち合わせの相手はもうすでに半分酔っていた。 窓際のカウンター席にヒジを突く、三橋の背中にカツカツと近寄る。 「よー、待ったか?」 声をかけて横に座ると、三橋は外をぼんやりと眺めたまま、「ううん」と静かに返事した。 その手元には何かのロックらしい、汗をかいたグラスが置かれてる。 「ジントニック」 ネクタイを緩めながら、バーテンダーにオーダーを告げると、三橋がグラスをぐいっとあおった。 「オレも、お代わり」 そのグラスに入ってたのは、ウィスキーかブランデーか? どっちにしろあおって飲むような酒じゃねぇ。 カラン、と丸い氷が音を立てる。 ロングの甘めのカクテルが似合いそうな顔してるくせに。サマになってっけど、らしくねーなとちょっと思った。 間もなく運ばれて来たカクテルにライムを絞り、そのまま中にとぷんと落とす。 窓の外に目をやると、一面のネオンの海だ。 まあ最上階だし、そんな珍しい光景でもねーか。そう思ってると、自分の酒を1口飲んで、三橋がくすっと笑った。 「月がキレイだね……」 つられて夜の空を見上げると、丸い月が浮かんでる。夜景に気ぃ取られて、下ばっか見てて気付かなかった。確かに冴え冴えとしてキレイだ。 「あ、変な意味じゃない、からね?」 付け足すように言われて、「分かってるって」と苦笑する。つーか普通は誤解しねぇ。 オレも三橋も男だし――三橋には好きなヤツがいた。 「あれ、なんだっけ……?」 とろんとした声で呟きながら、三橋がもう1口酒を飲んだ。 「あれって?」 「月が、どうとか」 そう言われても、とっさには思い浮かばねぇ。誰の逸話だったか、「I love you」の訳し方がどうって話だったような、と、思い出したのはそんだけだった。 けど、多分三橋だって、本気で訊いてる訳じゃねーんだろう。月を見てるようで見ていねぇ、ぼんやりした横顔をそっと眺める。 目元がちょっと赤いのは、酔いのせいかどうか。飲み始めから一緒にいた訳じゃねーから、それもオレには分かんなかった。 「ほぼ満月だな」 上空をアゴで差しながら呟くと、隣でふひっと笑う音が響く。 「ほぼ?」 三橋のツッコミに、オレも鼻で笑いながら、カクテルをごくりと飲む。ふわっと香るライムの風味。キツ目の炭酸が爽やかで、ため息が出た。 「いいんじゃねぇ? ほぼで」 意味のあるような無いような会話。 からんと涼やかな音を立てながら、互いの酒が減っていく。 なんでオレを呼んだのか? 訊きたかったけど、なんとなく訊けねーでいた。 しつこく訊くのはガラじゃねーし、言いたくねーならそれでいい。何も語らず、愚痴もこぼさず、静かに飲みたい時だってあるだろう。 それに何となく、オレが割とそういうの根ほり葉ほり訊かねータチだから、敢えて呼んだんじゃねーかとも思えた。 何があった? ――胸に浮かんだ疑問を飲み込み、代わりにどうでもいいことを尋ねる。 「その酒、なに?」 三橋は「んー?」と甘えたような声を上げて、丸い氷の浮かんだグラスを揺らした。球状のアイスボールはグラスにぴったりと収まって、琥珀色の酒に浸ってる。 三橋の髪の色にも目の色にも似た酒。それに溺れる氷のボールに、よく分かんねーけどドキッとした。 「デュワーズ。これね、阿部君が好きだった、んだ」 三橋が小さく笑って、カランとグラスを揺らした。 デュワーズが何なのかは知らねーが、阿部のことは知ってる。三橋の想い人の名だ。オレと三橋と共に、甲子園で戦ったチームメイト。 「……へぇ。なんか、らしくねーな」 どっちが、とは言わなかった。敢えて言うならどっちもだけど、別に言わなくてもいいから、黙っとく。 元々、意味のねぇ会話だと三橋も分かってんだろう。 「そう、かな?」 ふひっと笑う顔は、ぼうっと窓の外に向けられたままで。月も夜景も見てそうになかった。 バーテンダーに手を挙げて、他の酒を頼む。 「カルーアウーロン」 フルーツ系以外で、ちょっと甘みが欲しかった。辛いのも酸っぱいのも、似合わねーし御免だ。ドロドロも御免だ。 三橋はもう、お代わりを頼まなかった。 グラスを揺らして酒を飲み、カウンターに突いたヒジにもたれる。 ゆっくりと顔を伏せながら、ぽつりと呟かれる言葉。 「会いたい、な……」 誰に向けた訳でもねーけど、月がどうとか言うよりも、よっぽど「I love you」の意味に聞こえた。 カルーアウーロンを飲み干す頃、三橋もグラスを空にした。 大きなあくびをしながら、ふらっとイスから立ち上がる。気のせいかちょっとよろめいてて、酔ってんな、と思った。 「おー、帰れそうか? 電車?」 肩を叩くと、三橋は懐からカードキーを取り出して、にへっと笑った。 「部屋、取ってあるから」 「マジ?」 驚いて訊き返すと、「変な意味じゃない、よ?」って。分かってるっつの。その会話はさっきもしただろ。 「バカだな、お前」 くくっと笑いながら、ゴツンと軽くゲンコツを落とす。 三橋は機嫌よく笑って、レジ前で財布を出した。 「驕るよ。巣山君誕生日、でしょ。おめでとう、ありがとう」 「自分で礼言ってどうすんだ」 苦笑しながらツッコむと、三橋が首を横に振った。 「違う、よ。愚痴聞いてくれた、から」 って。愚痴なんか、何も言ってなかっただろっつの。言いたくねーなら言わなくていいけど、聞いて欲しいならいくらだって聞くのに。遠慮してどうすんだ? バカか? 「来月はオレが奢る」 オレの誘いに、三橋は「うん」とうなずいた。目元がやっぱ赤いけど、酔ってるせいなのかどうなのか、オレにはよく分かんねぇ。 そのままバカ話続けながら、部屋の前まで送ってったのは、三橋がふらついてたからっつーより、部屋番号を見る為だ。 「じゃーな、三橋」 406、と金文字の貼られた焦げ茶色のドアに、三橋が消えるのを見届けて、オレはケータイのアドレス帳を開いた。 あ行の名前は、探すまでもなく見付かって……。 ――406号室。月がキレイだってよ―― ホテルの名前と共に送信しながら、エレベーターに1人乗り込む。 地上からはビルが邪魔で、あのほぼ丸い月はよく見えなかったけど。 ――分かった―― すぐに短いメールが返って来たから、オレは当分、ネオンだけでいいかと思った。 (終) [*前へ][次へ#] [戻る] |