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Season企画小説
初悪夢・後編
「……くん、阿部君」

 肩を掴まれ、揺さぶられて、ゆっくり意識が浮上した。
 まぶたが鉛のように重い。
 ノドが張り付くくらいに乾いてて、喋んのも辛い。
「水……」
 スゲーしわがれた声でそう言うと、「もう!」と呆れたように文句を言われた。
「飲み過ぎだ、よっ」
 よく知ったその声に、信じらんねぇって思いが募る。
 なんで? 「さよなら」つったんじゃなかったか? 戻って来てくれたんだろうか?
「三橋!?」

 慌てて身を起こした瞬間、ぐるんと視界が回って倒れ込む。
 オレはスウェットの上下っつうーラフな格好で、リビングのラグの上に横たわってた。
「あれ? 服は……?」
 いつの間に着替えたんだ?
 つーか、ここは? なんでうちに戻ってんだ?
「式は?」
「式、って?」
 オレの問いに、三橋が不思議そうに聞き返した。
 水の入ったコップをぐいっと差し出され、「はい、水」って口元に寄せられる。

 めまいを耐えて口をつけると、冷たい水がノドを通ってちょっと頭も冷やしてくれた。
 ちょっとずつ現実が戻ってきて、そうか夢か、とホッとする。
 だよな、夢だよな? 夢に決まってる。
 けど、一体どこから夢なんだ? 酒漬けになった脳を巡らせ、記憶を1個ずつ確かめる。
 結婚式は……夢だよな?
 つーか、あれ、「誰」と結婚するんだったって?
 考えて見りゃ、女の名前も顔も全く分かんなくて、丸っきり架空の存在だったと思い出した。
 浮気したって設定だったことも、マジ心外で、ぞっとする。

 夢って願望が現れるとか聞いたことあるけど、いやいや、オレに浮気願望なんか断じてねーし。女を抱きてぇとか思ったこともねぇ。
 仰々しい結婚式披露宴だって望んでねーし、そもそも結婚願望もねぇ。
 三橋が結婚したがってたのは……事実だけど……。
 はあ、とため息をついて、眉間を揉む。
 夢だと分かっても後味悪くて、朝から胸がムカついた。
「……吐き気する」
 苦々しくそう言うと、横から焦ったように「うおっ」って言われた。
 焦点の定まらねぇ目をそっちに向けると、空のコップをテーブルに置いて、三橋がじっとオレを見てる。

 夢じゃねぇ、本物の三橋だ。
 呆れてるような顔してんのは、オレが浮気したから? いや、浮気なんかマジ、身に覚えねーし、マジやってねーんだけど。なんであんな夢見たのか分かんねぇ。
 はあ、とため息をつく。
「うなされてた、ね。どんな夢?」
 そう訊かれても答えようがなくて、「ちょっと……」しか言えねぇ。だって、他の女と結婚式挙げる夢だった、とか、恋人に言えるか?
 気まずさを忘れたくて、三橋を引き寄せて抱き締める。
「胃薬、いる?」
 温かい手が優しく背中を撫でてくれて、心配されてんのが伝わった。

「花井君たち、もう帰ったよー。『阿部によろしく』って」
 ふひっと笑う三橋の吐息が耳元をくすぐって、気持ちよくて苦笑する。
 花井、栄口、水谷、巣山……昨日の宴会のメンバーを思い出して、また頭の中で夢と現実がごっちゃになった。いや別に、よってたかって責められた訳じゃなかったけど。
 体に掛けられてた毛布を押しのけ、ソファの上にドカッと座る。
 目の前のローテーブルには結婚情報誌が置かれてて、またあの悪夢の、なんともいえねぇ感情がよみがえった。
 これか、と思う。
『アメリカで式、挙げない?』
 そう訊かれたのはつい最近のこと、で。
 その結婚情報誌の表紙には、「ひそかに人気の同性婚プラン」って見出しが、赤と金の文字で書かれてた。

 三橋のその申し出を、「バカ言うな」って突っぱねたのも、そういや現実のことだった。
 夢ん中で、三橋と結婚しておけば……って後悔したのを思い出す。
 じゃああの夢は、このままじゃああなるぞ、って警告か?
 でも――三橋はプロ1軍の選手だし、オレは一般人のサラリーマンだし、アメリカで挙式つったって、言うほど簡単じゃねーだろ、と思う。
 夢ん中でもそう思った。
 けど、ここでもし、このまま三橋の願いを蹴り続けてたら……夢で見たようになっちまうのかな?
 三橋は美女との噂を流され続けて。
 オレはそれ見て嫉妬に狂って、ヤケ酒飲んで……? いや、それでもやっぱ、浮気も魔が差しも有り得ねぇとは思うけど。

 ローテーブルの上に置かれた結婚情報誌を、ぱらっとめくる。
 ただの夢だと思うのに、どうにも気になって仕方ねーのは、あれが今年の初夢だからだ。
 悪夢って縁起がいーんだっけ? それともまんま、悪ぃんだっけ?
 ことん、とコーヒーカップを2つ置いて、向かい側に座った三橋を見る。

「お前はさ、同性結婚するって世間に知られても平気な訳?」
 ぼそっと訊くと、「うん」ってスゲー簡単にうなずかれた。
 そのあまりの迷いのなさが、逆に真剣みがなくて怪しい。ちゃんと考えてんのか、と思う。
 そりゃ、もう付き合いは随分長ぇんだし、コイツが時々スゲー大胆で男前だってのは知ってっけどさ。何も考えてなさそうで怖ぇ。
 マジか? マジちゃんと考えたのか? メリット・デメリット、ちゃんと天秤にかけたのか?
「ホントかよ?」
 思いっきり不信を込めて聞き直すと、またキッパリうなずかれた。

「今更、だよっ」
 三橋は真顔でそう言って、それからにへっと顔を緩めた。
「も、もう大体バレてる、よ。『三橋廉/ホモ』でぐぐると、いっぱい出る」
 自信満々で言ってっけど、それはちょっとヤバくねーか?
「球団にも報告済み、だ」
 って。
「し、シーズンオフに、内々でするように、って言われた、よー」
 って。
 誰に何て言われたって? シーズンオフに何を? 聞き捨てなんねぇけど、聞きたくねぇような気もする。

 ちょっと待て、今まだ寝起きで、頭が十分働いてねぇ。
 外堀を埋められてる気がすんのは気のせいか?
 結婚するんなら三橋以外とはイヤだし、もう二度とあんな悪夢は見たくねーし、正夢にするつもりも勿論ねーけど。
「昨日もその話、したよ」
 って。悪夢の原因は絶対それに間違いなくて、けど夢ん中でサイテーだったのはオレで、怒るに怒れなかった。
 つーか、昨日みんなとどんな話したのか、ほとんど記憶にねーんだけど。
 二日酔いの胃に、コーヒーの苦みが染み渡る。

「で、でもね。阿部君が嫌なら、いいんだ、よ?」
 眉を下げて、にへっと笑って見せる三橋が可愛くて、じわっと腹の中が熱くなる。
 夢ん中で抱いても、ちっとも喘がなかった姿を思い出す。
 いや、あれは夢だ。夢だけど。
『さよ、なら』
 そう言われたのは事実で、ぶるっと震えた。
 あんな思いはマジ、ごめんだ。

 ……こっちが現実、だよな?
 確かめたくて「手ぇ握ってみろ」って右手を出したら、思いっ切り握られた。
「痛っ……!」
 悲鳴を上げて、手を取り戻しながら三橋を見る。
 現役プロ投手の握力は半端なくて、それもこれも三橋の努力の証拠でもあって、スゲー痛いけど誇らしい。
 やっぱずっと側にいてぇ。コイツの一番近くにいてぇ。そう考えたら、悩むまでもなく、答えはもう決まってて。

「……指輪、買いに行くか」
 ぎゅっと抱き締めて囁くと、三橋は「ふおっ」と色気のねぇ声を上げた後、幸せそうにうなずいた。

   (終)

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あきゅろす。
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