Season企画小説
初悪夢・中編 (R15)
水谷の次は、花井だ。
「なぁ阿部、お前なんでさっさと結婚しとかなかったんだ?」
我等がキャプテンは眉を寄せ、呆れたような同情するような、何とも言えねぇ顔で指摘した。
「三橋は結婚したがってたんだろ?」
って。んなコト今言われたってどうしようもねーだろ、っつの。
「そーだな……」
ほろ苦く笑って、グラスのビールをぐいっとあおる。
『アメリカで、式、挙げようか?』
三橋にそう言われたのは……あれは、いつだっただろう?
つい最近だったような気がして、でもそんなハズはなくて、胸の奥がじくんと痛む。
オレはあん時、『バカ言うな』って取り合ってやんなかった。だって、現実的じゃねーだろ?
男同士、そりゃ最近は国内でもそういうのやってるって聞くけど、まだまだ少数派だろうし。世間の目は冷てぇだろ。
サラリーマンのオレはともかく、三橋はプロ選手だし。
そのプロ選手が男と挙式なんて、大ニュースだろ。これで成績下がったら、バッシングされちまう。
それに第一、そうやって危険を冒して結婚式を挙げたとしても――日本じゃ何の法的保障もねぇ。
実際に「配偶者」として認められる訳じゃねぇ。
ああ、けど、三橋と式さえ挙げてたら、少なくとも今、こんな風にはなってなかったんだろうか?
三橋が美女とスクープ写真撮られることもなく、オレがヤケ酒飲むこともなく、女に嵌められることもなく……こんな結婚することにもならなかったのか。
「……もう遅ぇよ」
ぽつりと言うと、花井は何も言わねーまま、ぐいっとビール瓶を突き出した。
空にしたグラスに、琥珀色の炭酸がなみなみと注がれる。
三橋の髪の色にも目の色にも似てて、あいつの流した涙のようにも思えて、飲み干す時にノドが詰まった。
「もう飲めねぇ」
そう言ったオレに、「飲め」と固い声で言ったのは巣山だ。
「飲め。三橋の分まで飲め」
三橋の分まで――。
「あいつはお前の分まで泣いてっぞ」
叱るような言葉に、ぐうの音も出なくて。オレはそのまま、苦い液体を何度も何度も飲み干すしかなかった。
お色直しに、と言われて立ち上がった時は、もうすでに酔いが回っちまってた。
各テーブルに視線を巡らす余裕もねぇ。出口までまっすぐ歩けたかも分かんねぇ。ウェディングドレスを着た女が隣にいたか、後ろにいたかも気にしてなかった。
気が付いたらどっかの狭い控室の中で、床に寝転がっていた。
「30分ほどお休みください」
スタッフの誰かがそう言って、パタンとドアが閉められる。
目を閉じるとめまいがした。
30分と言わず、式が終わるまでここで眠らせて欲しい。どうせオレのための式じゃねーんだ。オレがいなくたっていいだろう。
つーか、もう一生、寝て過ごしてぇ。
「三橋……」
失くした恋人の名前を呼んで、目を覆う。
オレに泣く資格なんかねーけど、多分この先、笑うことも一生ねーんじゃねーかと思った。
うとうととした頃、コンコンと控えめなノックの音が響いた。
返事すんのも面倒で放置してたら、キィッとドアが勝手に開いて、誰かが中に入って来た。
誰だ、と思ったけど、起きてやるつもりはなかった。勝手に入ってきた時点で、親か女かに決まってる。
オレはそのまま寝たフリを続けて。
けど――。
『阿部君』
懐かしい、耳に穏やかな声を聞いて、ハッと目を覚まし、起き上がった。
「三橋、三橋っ……!」
夢中で抱き締めて名前を呼ぶと、戸惑ったように抱き返される。
夢か? 現実か?
三橋は純白のタキシードを着てて、それをゆっくり脱いでいく。
「オレを奪いに来てくれたんか?」
情けねぇ問いに首を振って、三橋は静かに『違うよ』と笑う。
笑いながら上着を脱ぎ、タイを外し、カマーベストもシャツも脱いで、白い裸身をオレに晒す。
それを見た瞬間、理性も何もかも吹き飛んで、オレは自分の黒タキシードを引きちぎるように脱ぎ捨てた。半裸の三橋を押し倒して組み敷き、顔を寄せて唇を重ねる。
すべらかな肌の感触を楽しみ、筋肉質の胸を、腹を愛撫する。
夢にまで見た、愛する人を抱いてんのに、その感覚がひどく遠い。
酔い過ぎたせい? それともやっぱ夢なのか?
貫いても、揺さぶっても、三橋はじっとオレの顔を見るだけで、喘ぎ声1つあげることはなかった。
「三橋、好きだ、三橋」
胸の中が愛おしさで満たされる。
「お前だけだ。一生、お前だけ」
そう告げても、三橋は眉を下げて悲しそうに、キレイに微笑むしかしねぇ。
オレにされるがままに身をゆだねて、でも心はちっともくれねーで、オレの背中に縋ることもなかった。
「好きだ」
もっかい告げると、ますます三橋の眉が下がる。
『オレも好きだった、よ。阿部君』
過去形で言われてグサッと胸がえぐられたけど、文句なんか言える訳ねぇ。
まったく記憶にないことだけど、どう言おうと裏切ったのはオレ、で。
『さよ、なら』
そんな言葉とともに優しくキスを贈られて、引き止めることもできなかった。
コンコンコン、と遠慮のねぇノックの音とともに、ドアが大きく開けられた。
「阿部さん、お時間でーす」
肩をパンパンと叩かれて、重いまぶたをゆっくりと上げる。
「三橋?」
問いかけると、黒スーツを着たスタッフの男は、「は?」と不思議そうに首をかしげた。
短く切り揃った黒髪は、どう見ても三橋のモンじゃねぇ。
「三橋、三橋は?」
スタッフを押しのけて起き上がると、ぐるんと視界が回って揺れる。
オレは黒タキシードをキッチリと着たまま、で。部屋には情事の痕跡も三橋の気配も何もなくて、一瞬、意味が分かんなかった。
「三橋は? どこ行ったんだ? 追い返したのか!?」
大声で怒鳴っても、求める答えは得られねぇ。
「あの、どうかされましたか?」
困ったように尋ねるスタッフの顔には、「この酔っ払いが」って書いてある。
夢――?
「ウソ、だろ?」
呆然と呟いても、誰も「ホントだよ」なんて優しく教えてはくれなかった。
そもそも三橋が今日、こんな会場になんて顔を出す訳がねぇ。
白いタキシードを着てるハズもねぇ。
夢だ。
あー、そうか、夢だ。
泣く資格なんてねぇのに、熱い涙が止まらねぇ。
「そろそろお支度よろしいでしょうか?」
スタッフの事務的なセリフを聞きながら、オレは緩く首を振った。
こっちが夢ならいいのにと思った。
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