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Season企画小説
我がままの言える日・後編
 オレはパッと目を逸らした。
 入り口のスターなんか、興味の無いって顔で、ジョッキをあおる。
「お、三橋? 試合観てたよ」
「勝利投手、おめでとう」
「ナイピッチ」
「応援してるよ」
 ざわついた店内。三橋を賞賛する声を、聞きたくなくても耳が拾う。
 その中に混じって、懐かしい声が聞こえた。

「え、今なんて、元希さん?」

 相変わらず、つっかえながらの喋り方。
 無意識に、全神経かけて聞き取ろうとする自分が、情けねぇ。
 5年前、別れを告げたのはオレの方なのに。何でオレが、泣きそうになってんだ?

「だから、隆也だって。ほら、あそこ」
「え、誰って……?」

 榛名の遠慮のない喋り方は相変わらずだが、三橋の方も「元希さん」とか呼んで、随分仲良くなったんだな、と思う。
 今となっては同じチームで、同じ先発投手で……誰もが不思議に思わないんだろうけど、5年前は違ったもんな。
 三橋が長くファームにいたのに比べ、榛名は入団後すぐ1軍入りして活躍してた。
「榛名さんは、すごいなぁ」
 三橋は当時、よくそう言ってた。

 「お前も頑張ってるよ」って……言ってやった事が、あったかな?
 「あー、そうだな」って、聞き流してなかったか?
 「榛名の話はもういーよ」って、イヤな顔してなかったか?

 ……ごめんな。

 オレは三橋から顔を隠すように、メニューを大きく広げ持った。
 すると、榛名が大声で叫んだ。
「隆也! てめぇ。こっち来いよ! 無視してんじゃねぇっつの! 隆也! 廉もいるんだぞ!」
 三橋がいるからこそ、行きたくねぇのに……そういうとこ、まるでお構い無しなの、相変わらずだよな。

「隆也! いい加減にしろよ! こっち来い! 顔上げろ!」
 榛名がまた叫んだ。
 勘弁してくれ、目立ちたくねぇ。
 いい加減にすんのはお前だよ……と、心の中だけで言ってみる。

「なになに、榛名は何て言ってんの?」
「誰かねー、知り合いがいるんじゃねーの?」
「タカヤって、誰? どいつ?」
 座敷に座ってる客が、ぼそぼそと喋り出した。
 その内、酔いも手伝って、お節介を始める奴が出る。
「タカヤー。エース榛名が呼んでっぞー」
「タカヤさーん。どなたですかー」


 やめてくれ。
 オレを呼ぶのはやめてくれ。
 このままこうして隠れさせてくれ。
 大きく広げたメニューの影で、じっと黙ってうつむいていると――いきなり、視界が明るくなった。
 オレからメニューを奪い取ったのは、榛名だ。

「てめぇ。いい根性だな! ……と、悪ぃ」

 榛名はオレの顔を見て、小さく謝り、メニューをオレの頭に被せた。
「……んだよ、オレが泣かせたみてーじゃねーか」
 オレは何も反論できず、下を向いた。
 横に座ってた得意先の部長が、こっそりオレの背中をつつく。
「あ、阿部君、榛名と知り合いなの?」
 オレはゆるく首を振ったが、代わりに榛名が大声で応えた。

「こいつは廉のキャッチャーっすよ。中学ン時は、オレの球も受けてた。なあ、隆也」

 周りがざわめく。
 一緒にいた得意先の連中が、「ホントかね」とか聞いて来る。
「廉って、三橋?」
「三橋のキャッチャー? いつの? 甲子園?」
 オレは何も応えられねぇ。
 辛い。耳を塞ぎたい。だってオレは、「三橋のキャッチャー」を放棄した!


「オレと廉に、何か言う事あんじゃねーの?」

 オレは首を振った。
 言いたいことはあるけど、言う資格はねぇ。
 すると、榛名がもう一度言った。

「何か言う事あんだろ、コラ!」
「わわわ、榛名、さん。暴れない、で、下さい」

 三橋の声が、近くに聞こえる。
 優しい口調で、オレを呼ぶ。
「あべくん」
 オレの喉がひっ、と鳴った。みっともねぇ。肩が揺れる。

「……ごめん」

 うつむいたままそう言うと、榛名が「チッゲーだろ!」と叫んだ。
 ごめんじゃなかったら、何だ?
 でも、ごめんしかねーんだけど。
「お前といたら疲れる、つって、ごめん」

「はー? 何言ってんの、お前?」
 榛名が呆れたように言う。
 何を言ってんのか、オレだって分からねぇ。何を求められているのかも。

「あーもー」
 榛名はガリガリと頭を掻き、「おい、廉」と言った。
「お前、今日はオレの言う事、何でも聞くっつったよなー?」
「う、え?」
 そそそそ、そこまでは言ってません。
 三橋が、どもりながら反論してるが、お構い無しで榛名が言った。
「じゃー命令。今すぐ隆也連れて撤収!」
「え、で、でも」

「でもじゃねー。オリャー、こんな隆也も、笑わねーお前も、うんざりだっての! 仲直りしろ! んで、明日からちゃんと笑え! いいな?」

 隆也連れてってもいいっスよね? と、榛名はオレの連れ……得意先の社員に言った。サインと交換なら、と部長が笑いながら応えてる。
「ほらほら、阿部君。今度ゆっくり話、聞くから」
 誰かにぐいぐいと背中を押され、鞄を持たされ、促されるまま靴を用意された。

「あの、でも、今日は……」
 三橋の戸惑う声がする。
「おー、今日は1年で1度、堂々と我がまま言える日だろ? だから言ってんの。命令! 撤収! 仲直り! そして、明日からは、普通の笑顔だ!」
 
 オレはうつむいたままだった。
 何で榛名が、こんな事言い出したのか分からなかった。ただ榛名も……三橋の笑顔がヘンテコなんだと、よく分かってるようだった。
 三橋がオレの横で、ふひっと笑った。

「榛名君、こっちもサイン貰えますか」
「こっちも」
「私も」
 次々に差し出される色紙に、榛名が次々に応じてる。
「写真、一緒にいいですか?」
「握手してください」
「応援してます」
 榛名が、人の波に取り囲まれていく。

 三橋に軽く腕を引かれ、オレはようやく顔を上げた。
 居酒屋の照明が、濡れた瞳に明るく映る。その下に、大勢のファンを従えて、榛名が堂々と立っている。
 エースの風格だ。

「元希さん」
 まだちょっと掠れた声で、オレは言った。
「誕生日、おめでとうございます」

 居酒屋中が、どうっと沸いた。
「榛名、誕生日か!」
「おめでとう」
「よし、奢るぞ」
「いや、オレの奢りだ」
「乾杯しよう、乾杯」
「おめでとう、今年も頼むよ」
 口々に祝われて、榛名は笑い……オレに軽く手を振った。

「廉にも言っとけよ」

 そしてもう、こっちを振り返らなかった。

  (終)

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