Season企画小説
後悔してる訳じゃない・2
「三橋……」
思わず呟いた名前を、連れの男は聞き漏らさなかったらしい。
「あっ、知ってる? こいつ」
と、率直に訊かれた。
知ってるなんてもんじゃねぇ。懐かしさと甘酸っぱさとほんの少しの独占欲が、一気に沸き上がって胸を満たす。
けど、ホントのことなんか他人にペラペラ喋れねぇし。三橋はもう、オレの恋人でも何でもねぇ。
「……オレ、西浦なんで」
曖昧にそんだけ言って、オレは両手に持ってたHotの缶を、上着のポケットに突っ込んだ。
「あー、西浦かぁ。へぇー」
隣の隣の部屋の男が言ったのは、そんだけだった。
男とは反対側から三橋を支え、愛した右腕を大事にオレの右肩にかける。
三橋からは酒のニオイがぷんとして、未成年のくせに、と心ん中で舌打ちした。
「酒、飲んでんですね。こいつ19ですよ?」
責めるように言うと、「1杯だけだって」って疲れたように言われた。
「こんなに弱いとは思わなかったんだよ。つーか、酔いつぶれてるっつーより、寝ちまってる感じじゃねぇ?」
確かに言われてみれば、そういう感じかも知んねぇ。三橋は高1の頃から、試合の後、電池が切れたように寝ることもあった。
セックスの最中に寝堕ちることもしょっちゅうで――。
じわっ、と胸の奥が熱くなり、オレは慌てて首を振った。
よみがえりかけた感情を、息を詰めて振り散らす。
別れたことを後悔してる訳じゃねぇ。こんなのは、ただの感傷だ。そう思うけど、無防備な三橋の寝顔を目の前にして、とても平静ではいられなかった。
オレの沈黙をよそに、隣の隣の部屋の男は、三橋を連れて来た理由を語り続けてる。
「コイツ寮だろ。寮は結構厳しいからなー、やっぱこんな状態だと、連れて行けねーじゃん……」
こんな状態にしたのは自分のくせに、と、内心で責めても仕方ねェ。オレは「そうっスね」と相槌を打って、三橋の寝顔に目をやった。
相変わらず、球児とは思えねェ白い顔をしてる。
デカいつり目は閉じられてて、意外に長いまつ毛が目立つ。
薄い唇は少し緩んで開いてて、安らかな寝息を漏らしてた。
こんな無防備な状態の三橋を、自分の部屋に連れ込んで……この男は一体、どうするつもりだ?
とんだ邪推かも知んねーけど、その疑念は部屋が近付くにつれ、ますます強く大きくなって、とうとう我慢できなくなった。
「あの、コイツ、オレんちで引き取りますから」
突然のオレの申し出に、男は「はあ!?」つって目を見開いた。オレだって、自分でも何言ってんだって思ったから、そりゃ驚くだろうと思う。
「いや、ちょっと待て。よく知らねぇヤツんちに、大事な後輩預けらんねーし……」
確かにそうだ。けど、一旦口に出しちまうと、もうどうにも引っ込みがつかねぇ。
イヤなものはイヤで、どうしようもなかった。
三橋はもう、オレの恋人じゃねーけど――。
「オレは阿部です。三橋と高校時代、3年間バッテリーを組んでた、西浦の正捕手の阿部隆也です」
オレはそう言って、三橋の連れの男を見た。
男は、「阿部、ね……」と言って、ふっと笑った。
三橋と付き合い始めたのは、高1の秋だった。
2年半足らずの交際期間っつーのは、客観的に考えると、結構長い方じゃねーかと思う。
最初は男同士、色々飾んなくて楽だった。
オレも三橋も初恋同士で、免疫がなかった分、溺れんのも早かったし。性欲も……飾らず、求め合うままに抱き合えた。
キスして肌に触れ、互いに触り合い抜き合う内に、セックスしようってなんのも当然の流れで。普通の男女交際より、肉体関係ができんのは早かったかも知んねぇ。
三橋にはかなり負担があったと思うけど――そんでも、繰り返す内に甘い声で啼くようになったし。相性は良かったと思う。
そんでも別れようと思ったのは、限界が見えたからだ。
最初から別れんの前提で付き合ってた訳じゃねーけど、「一生」ってつもりでもなかったし。やっぱ2年半経つと、色々見えてくるもんもある。
親に紹介できねェ、周りにも打ち明けらんねェ。外で堂々と手ぇ繋ぐ訳にもいかねーし、そうそう一緒にもいらんねぇ。
三橋に対して不満はなくても、やっぱふと冷静に考える時があって。
そのたびに、「いつまでかな」って思いが頭ん中をよぎってた。
決定的だったのは、高3の冬だ。
『ヤドリギの下でキス、すると、幸せになれるんだ、って。ヤドリギ、って何、かな?』
デートの最中、作り物のデカいツリーを見上げながら、三橋がそう言って首をかしげた。
ヤドリギってのはモミやカシなんかに寄生する半寄生の植物だ。作りモンのツリーなんか見上げたって、見つかる訳がねぇ。
可愛い無知を笑いながら、三橋にそっと顔を寄せた。
『んなモンなくたって、どこででもキスすりゃいーだろ』
そう言って、キスしようとした時――他人の話し声が近付いて来て、オレはとっさに身を離した。
まず思ったのは、「危ねぇ」って感情。
「うっかりしてた」って。「バレたらヤベェ」って。
どこででもキスなんて、オレらにはできねぇ。そう思い知った瞬間、ガラガラと世界が崩れ落ちるようなショックを覚えた。
分かってたハズなのに、分かってなかった。
オレらには未来がねぇ。
他人の目なんて気にしねーでキスするだけの、度胸も覚悟もオレにはなかった。
「小舅みてーだな、お前」
そんな意味深な一言を残し、結局隣の隣の部屋の男は、オレに三橋を預けてくれた。
どういう意味だと思ったけど、どっちにしろ、譲られたことには変わりねェ。あんま、「勝った」って気はしなかった。
シングルベッドに三橋を寝かし、コートとマフラーを奪い取る。
9か月ぶりに見た三橋は、髪が短くなっていて――コートもマフラーも、その下のセーターも、見覚えのあるものは何もなかった。
(続く)
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