Season企画小説
Over the Moon・後編
三橋の成績は、田島もだけど、3年間ずっと中の下レベルから上がることはなかった。
赤点は回避してたけど、いつも平均点を下げる側だった。
それでも良しとしてきたのは、野球第一だってのもあったけど、何よりコイツと田島なら、推薦でどっか行けるだろうってのもあったからだ。
甲子園優勝はできなかったけど、ベスト8には残れた。
大学だけじゃなくて、プロからも注目されてもいいと思う。そんだけの実力を、今の三橋は身につけてた。
だから、今更「勉強を見て欲しい」なんて言ってきたのが不思議だった。
勉強、得意じゃねーだろ? つーか、好きじゃねーだろ。なのに、なんでだ?
「マジでさ、お前ならどっか推薦で行けんじゃねぇ? つーか、スカウトの話、来てねーの?」
もっかい訊いても、三橋は曖昧にうなずくだけだった。
「ス、カウト、うん」
って。どっちだっつの。
色素の薄いデカい瞳が、天井のライトを写して光る。
勉強の理由を教えるつもりはねぇらしい。いや、それとも、特に理由はねーのかも?
……月に帰るからか? って、イヤ、あれは夢の話だ。けど。
じゃあ……群馬か?
そう思った瞬間、ドキッとした。
仲違いしてた三星の連中と、三橋が和解したのは2年半も前のことだ。
『帰って来いよ』
畠のセリフを聞いて、鳥肌がたったのを思い出す。
帰らねぇって言ってくれ。オレはそう、心の中で祈って――。
あの時は、「理想の投手」を手放したくねぇ一心だった。じゃあ、今のこの気持ちは何なんだ?
「群馬、帰んのか?」
カラカラのノドを潤すように、ぬるくなった麦茶をゴクッと飲む。
三橋はそれに眉を下げ、「どう、だろ」と曖昧に笑った。
「迷ってんのか?」
「ま……うん」
曖昧な、つーか適当な返事。
どっちでもいーし関係ねーけど、でも何か、イラッとした。
黙ってると、今度は三橋の方が訊いて来た。
「あ、阿部君、は? 行きたいトコ、ある、の?」
「関係ねーだろ」
苛立ちに任せてバッサリ切るように言ってやると、三橋はぐっと言葉に詰まって、「でもっ」と反論しながらうつむいた。
「でも、知りたいんだ」
「なんで?」
オレの問いに、三橋は答える代わりに真っ赤になった。
なんで――そんな顔してんだよ? とっさにからかおうとしたのに、言葉がうまく出て来ねぇ。
三橋はっつーと、頭のてっぺんまで真っ赤にして、オレをちらちら覗いてる。口をひし形にして、はくはくと開けたり閉じたりを続けてる。
やがて沈黙を破ったのは、三橋だった。
「ご、めん。勉強、見て欲しい、て言ったの、ウソ、だ」
「はあっ!?」
驚いたように声を上げつつ、心ん中ではやっぱりな、と思った。だって、今更勉強なんておかしな話だ。定期テストだって、まだ先なのに。
「2人きりで話、したく、て。でも阿部君を誘う、のに、もう野球は、理由にならない、気がした、んだ。それで、勉強……」
三橋はごにょごにょと言い訳して、それからキッとオレにデカい目を向けた。
まだ顔は赤いままだけど、何か妙な迫力があった。
『阿部君、月が満ちた』
夢の中の三橋が、頭ん中で満月を指さす。
『お別れの日が来る、よ』
夢ん中でアイツがどう言ったのか、もうハッキリは思い出せねぇ。ただ、あん時と同じ目をしてて、胸がぎゅっと苦しくなった。
「阿部君」
聞き慣れた穏やかな高めの声が、しんとした部屋の中に響く。
月に帰る、と、言われた訳じゃねーけど――。
「好きだ」
短い告白は、ぐさっとオレの胸に突き刺さった。
帰り道、モヤモヤを吹き飛ばすように自転車を漕ぐオレの後ろを、ずっと白い月が追いかけて来た。
漕いでも漕いでも離れてくんなくて、じっと見つめられてるみたいでゾッとする。
角を曲がっても、信号で止まっても、当たり前だけど振り払えねぇ。
当たり前のことを怖がってんのは、責められてる気がするからだ。やましいから。自分でもスッキリしねぇと思うから。
告白の後、ぐっと言葉に詰まったオレを見て、三橋はもっかい「ごめん」と言った。
泣いてはなかったけど無表情で、笑ってもキョドってもなくて、心臓が跳ねた。
「勉強、もういい、から。帰ってくれ」
そう言われてオレは、何も言い返さずに階段を下りた。玄関を出た後は、走って自転車のとこまで行って、それから思いっ切り漕ぎ出した。
怖くて後ろを振り向けなかった。
三橋は追いかけて来なかったけど、代わりに月がついて来る。
勇気を振り絞って振り向くと、鏡みてーにオレを照らしてんのは、いびつな形の下弦の月だ。
『Cの月』
三橋の言葉がよみがえり、それもグサッと胸を刺した、
「まだCじゃねーよ」
まだ半月にもなってねぇ。でも、アイツの言う通りCの形になんのは、もう時間の問題で――。
三橋が月に、いや群馬に、帰るかも知んねーのもまた、時間の問題だと思った。
群馬に帰らねぇで欲しいと思う。
まだ終わりにしたくねぇ。三星の連中に、やっぱ渡したくねぇ。
月に帰ってからじゃ遅い。
満月を見るたびに、後悔したくねぇ。
あの告白に、オレはまだ答えを持ってねーけど。でも、だからって月に返していい訳じゃねぇ。
だったら、そう言わねーといけねーんじゃねーのか?
戻るのは正直、怖ぇ。
泣いてる三橋にほだされそうで、同情に心が揺らぎそうで怖ぇ。けど、誤解されたまま避けられて、そんでそれっきりになっちまうのは、もっと怖ぇ。
「怖ぇ、よな」
口に出すと、ますます怖くなった。
居ても立ってもいらんなくて、自転車の首を返して元来た道を走り出す。
今度は正面に来た月を、ひたすら漕いで追いかける。
追いつくことはできねーけど、追い越すくらいの勢いで。漕いで漕いで、漕ぎまくった。
三橋んちについてすぐ、庭に明かりが点いてんのに気付いた。
ズザッ、バシッ。ズザッ、バシッ。鈍い音が聞こえてきて、三橋が投げてんだと当たり前のように理解する。
泣きながら投げてんのかな?
そう思うと、胸がじわっと痛んだけど、同情で優しくしてやんのも違うと思うし。泣いてんのは見て見ぬふりで、接してやんなきゃいけねーだろう。
何て声かけてやるべきだ? 「ナイピッチ」? それとも、「ほどほどにしとけよ」みてーな、いつも通りの注意だろうか?
けど――。
ガサッと木立をかき分け、投球練習所に近付いたオレに、三橋は。
「うえっ、阿部君?」
いつも通りの調子で振り向き、いつも通りにふにゃっと笑った。
泣いてなんかいねぇ。もう、そんな弱いヤツじゃねぇ。分かってたのに分かってなくて、言葉に詰まってうろたえた。
「どう、した? 何か、忘れ物?」
青のロンTの袖で、額の汗を拭きながら、三橋がゆっくりオレに近付く。
『阿部君……』
夢の中の三橋が、月に向けた指でオレを差す。
さっき、ぐさっと心臓を刺した何かが、温かい思いに溶けて行く。
勝手だけど三橋には、月より団子、団子より野球を選んで欲しい。そしてその野球では、ずっとオレを見て欲しい。
その気持ちが何なのか、まだ言葉にはできそうにねーけど。
「そーだな、デカい忘れ物した」
オレはそう言って、目の前の忘れ物を抱き締めた。
(終)
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