Season企画小説
期間限定で別れようと言われたら・8
「貴方と廉様が、恋人同士であることは存知ています」
岩清水は言った。
「ですから、わたくしの気持ちが横恋慕であることも、無茶なお願いであることも、承知の上です」
オレは何て応えたらいい?
手術しなければ、5年生きられるかどうか分からないのだと、岩清水は語った。
手術の成功率だって、低いわけじゃないのだと。
「手術、受けるべきだって。廉様もおっしゃいました。でも……」
100%なんて、ないのだ。
麻酔をかけて、そのまま、もう目が覚めないのかも知れない。
怖い。
手術したくない。渡米したくない。だから。
TVに出てるこの人と恋人になれるなら、行ってもいい、と言ってみた。
まさか叶ってしまうなんて、思ってもみないで。
「もう、後にはひけないのです」
手術しない、という選択肢はなくなった。
周りのみんなが前向きで、だから前に行かされる。
成功して元気になれる可能性の方が、高いのだ、と。
ゆっくり鼓動が停まるのを待つ数年よりも、未来を選ぶべきだと。
死を見るな、と。
だけど、みんなに背中を押されて前に進まされる一方で、怖がる心は置いてきぼりになっていた。
例えば成功率が75%なら……100人の内、25人は助からないのに。
自分がその25人の一人かも知れないと、どうして誰も、考えてくれないのか?
三橋はそれに……気付いてくれた。
分かる、オレも多分怖い。三橋はそんな言葉をくれた。
恐れに凍る心を、三橋が溶かしてくれたのだ、と岩清水は言った。
初めての恋人は期間限定で、でも、想像以上に優しくて、想像以上に温かかった、と。
オレは目を閉じて考える。
怖くて怖くて眠れない夜、三橋がずっと側にいて、震える背中を抱き締めてくれたなら。
いつも三橋のほうが先に寝てしまって……でも、その無防備な寝顔と、規則正しい寝息に、大きな安らぎを感じたら。
できるなら、手術台に載るその時まで、三橋に手をつないでいて欲しい。
でも、それが叶わないのは知っているから………。
せめて。
身体に。
そう思うのは、罪か―――?
9時に塾の事務所に入り、講義と小テストの準備をする。
雑居ビルにチャイムなんて鳴らねーから、時計をしっかり見て、時間きっかりに講義室に入る。9時30分。まずは小テストを配って、解いてる間に、出欠を取る。
1時間講義、10分休憩、1時間講義。
11時半から1時まで休憩。でも、質問に来る生徒もいるから、外食に行くのは順番制だ。
質問があるなら相手してやるが、用も無いのにお喋りしに来る連中もいて、そういうのは大体女子数名の固まりで、今日ばかりはうんざりした。
「先生、今日のお昼なにー?」
「あれー、先生、元気ない?」
「疲れた時には、甘いものがいーよ」
「パフェ食べに行こうよ、先生の奢りで」
「行こう、行こう。奢りで、奢りで」
ふざけんなー、とか怒鳴りてーのを必死で堪えて、冷静に冷静に、心の中で繰り返し、誓う。
「オレは絶対に教職にゃー就かねぇ!」
ダン、と空のジョッキをテーブルに打ち付ける。
目の前に座る花井が、「おうおう」とか「ほうほう」とかスゲー適当に返事する。
オレの愚痴を聞けー、とか言って無理矢理呼び出したんだから、気のねー返事されたって、聞いてくれるだけいいのかも知んねー。
けど、愚痴ったって具体的な事情は何も話せねーし、何か話したくねーし。結局、イマドキの女子中生はどうだとか、この前メスシリンダー割ったとか、どうでもいいような話をぐだぐだ繰り返すしかできねぇ。
「実は、明日は月曜日なんだけど、知ってっか?」
そんな嫌味な事を言いつつ、一晩中付き合ってくれるつもりらしい。
オレはただ、「今夜はアパートに帰れねぇ」って、それだけしか言わなかったんだけどな。
岩清水には、小さな正方形のアルミパックを一つ、渡しておいた。
これを三橋に見せろ、そしたら分かる。オレはあの女にそう言って、家を出た。
岩清水は、それが「何か」も分からねぇ様子で、きょとんとして受け取った。
初めて見るんだろう。予備知識もねーんだろう。とんだ28歳がいたもんだ。やっぱり魔女だ。
でも……三橋には、それが「何か」分かると思う。
オレ達がいつも使ってる、ゴムの小袋。
あいつが着けてくれることもあるんだから、多分一目見て、分かるだろう。
オレが渡したって、分かるだろう。
ケータイの電源は、切ったままだ。
三橋の顔を見るまでは、もう着歴も見ない。
「花井、てめー、飲んでねーじゃん」
「オレぁ車だっつの」
車か。車だったら、いっそどっか、電波の届かねーくれー遠くまで連れてってくれねーかな。
そう言うと、花井はスゲー微妙な顔をして、オレの背中をバンと叩いた。
「その前に、風呂行こう、風呂」
風呂、ね。
オレは花井と一緒に居酒屋を出ながら、苦く笑った。
(続く)
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