Season企画小説
Jの襲来・2
三橋が新しい隣人と顔を合わせたのは、その翌日のことだった。
いつもよりゆっくりな時間に家を出て、出勤しようとした時――隣の部屋のドアがカチャッと開いて、日本人らしい青年が姿を見せた。
「はよっす」
「あっ、お、おはようござい、ます」
日本語で挨拶されて、とっさに返すと、目が合った。
「あっ……昨日の人と違う。同居してるんスか?」
昨日の人、というのは阿部だろうか。
男同士での同居を、変に指摘されたらイヤだな、と、三橋は一瞬身構えた。何しろ日本では、ゲイはあまり歓迎されない。
けれど……。
「へぇー、いいっスねー。ご夫婦っスか?」
屈託なくそう訊かれて、ビックリした。
夫婦、と言われて、カーッと顔が赤くなる。
「ふっ、えっ、あ、の……」
ドモッた上に口ごもった三橋を見て、青年は面白そうにくくくっと笑った。
初対面でどうかと思うような態度だが、あからさまに嫌われるよりは大分いい。
ランドリールームに向かう彼と一緒に、階段をゆっくり降りながら、三橋はたどたどしく会話した。
青年は、高瀬準太と名乗った。三橋や阿部の1つ年上らしい。ということは、榛名と同い年だ。
NYで活躍する大リーグ投手の顔を思い浮かべ、三橋はふひっと微笑んだ。
そう言えば、少し感じが似ているかも知れない。同じように背が高く、気さくで、整った顔をしている。
阿部ほど格好良くはないが……と心の中で呟いて、高瀬に別れを告げ、アパートメントを後にする。
短冊に願う程ではないけれど、これからよい近所付き合いができればいいなぁと思った。
次に高瀬を見かけたのは、職場からの帰り道だった。
三橋の勤める日本人学校は、セントラルパークを挟んだ東、アッパーイーストにある。
高級住宅街として知られる土地で、物価も高く、治安も比較的良いと言われている。教育熱心な街で、日本人も多い。
三橋の住むアッパーウェストより物価は高いが、スーパーの品揃えが少し違う。
それでたまに、仕事帰りに寄り道をするのだが……。
「……では、来月からよろしくお願いします!」
と、前を通りかかったアパートメントの入り口で、ハキハキした日本語を耳にして、つい振り向いてしまった。
日本人が多いと言っても、ストリートで日本語を聞くことは珍しい。
見れば、ビシッと腰を60度に曲げて礼をする、スーツを着た、いかにもな日本人。
その人が顔を上げた瞬間、思わず「あっ」と声を上げてしまったのは、仕方ないだろう。三橋の声を聞いて、その人もこっちを振り向いた。
「あっ、隣の」
そう言われれば、もう無視することはできない。
「こんにち、は」
三橋はためらいながら挨拶をして、高瀬に1歩近付いた。
高瀬はどうやら、仕事関係の挨拶回りをしていたらしい。
この6月末の暑い時期に、きちっとスーツを着込むあたりが日本人らしいと思う。
そういう三橋も、あまりラフな服装はし辛くて、半袖シャツにネクタイ、スラックスに革靴、という格好だ。
給排水設備会社の技術職である阿部が、万年作業服姿なので、高瀬のスーツ姿は新鮮だった。
どちらが格好いいかと訊かれれば、間違いなく「阿部君」と答えてしまう三橋だけれど、今はそれを訊く者はいない。
ともかく、高瀬の挨拶回りも終わったというし、なんとなく成り行きで、そのまま一緒にスーパーに行くことになってしまった。
初めてこちらのスーパーに来たらしい高瀬は、ずっとハイテンションだった。
「何だコレ、面白ぇ!」
何種類もある米や、見慣れない野菜、そして、やたらと色の多い炭酸飲料などに大ウケで、始終陽気にゲラゲラと笑っていた。
阿部もそう寡黙な方ではないのだが、この高瀬ほどテンションは高くない。
ハイテンションの人間の側にいると、三橋の方もつられてテンションが上がり、思いがけず楽しく買い物ができた。
高瀬が買ったのは、現地産のビール数本とピザにサラダ。あまり自炊は得意じゃないそうだ。
1つ年上だと言うこともあって、高瀬はそのうち敬語をやめ、三橋を「お前」と呼び、「三橋」と呼び捨てにし始めたが、そう悪い気はしなかった。
スーパーを出た後も、世間話をしながら帰り道を歩いた。
独立記念日を数日後に控え、アッパーイーストでもやはり、あちこちに星条旗が飾られている。
それらをじっと眺めながら、高瀬がしみじみと言った。
「やっぱ日本とは違うなぁ」
「7月4日が近いです、から」
てっきり国旗の数に驚いての発言だと思い、そう言った三橋だったが、高瀬の感じたのは別のことだったようだ。
「いや、七夕が近いのに、どこにも笹が飾ってねーなと思って」
言われてみれば、日本ではこの時期、あちこちに大きな笹飾りが出現するのだったか。
職場に大きい笹飾りはあるものの、それ以外ではあまり見かけなくて、日本を遠く感じる瞬間だ。
「よ、かったら笹、分けましょう、か? 樹脂製のです、けど」
学校で生徒全員に配った、50cmサイズの製品を思い浮かべ、三橋はおずおずと高瀬に言った。
念のため余分に買ってあるので、確か数個余ったハズだ。貰い手が無ければ捨てるだけなので、引き取ってくれるならありがたい。
そう言うと、「おっ、貰う貰う」と高瀬は笑顔でうなずいた。
とはいえ、今から来た道を戻るのも面倒なことだ。
笹は明日三橋が持ち帰り、高瀬の部屋まで届けることに決めて、2人はそのままセントラルパークの中に入った。
アパートメントのあるアッパーウェストに戻るのには、公園を突っ切っていくのが近道だ。
日差しはキツイが、パーク内は木陰も多い。
舗装された道をそのまま通り抜けようとすると、途中、いい感じのベンチがあって――。
「ちょっと休憩して行かねー?」
高瀬がそう言って、レジ袋からビールを2本取り出したので、慌てた。
「だ、だ、ダメ、です!」
ドモリまくりながら叫んで、高瀬からビールを引ったくる。
NYはそううるさくはないけれど、一応、公園での飲酒は禁止だった。
(続く)
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