Season企画小説 エース&エース・後編 周りの様子を油断なく伺いながら、書店の前に戻ると、あのガラの悪い2人組の姿は見えなかった。 ついでに言えば秋丸もいないが、ああ見えて意外に丈夫だし。逃げ足は速いし、したたかでもあるので、まあ大丈夫だろうと予想する。 書店に停めてあった自転車に荷物を載せてふと見ると――三橋はちらちらと、窓から書店の中を覗いていた。 「タカヤ探してんのか?」 単刀直入に訊くと、三橋は飛び上がる程驚いて、パッと榛名の顔を見た。 「しっ……」 大きなつり目の縁が、ほんのりと赤くなっている。 絶句しているが、知ってたのかと問いたいのだろう。 「あー、悪ぃ、見ちまった」 榛名はできるだけ軽い口調でそう言って、目線を逸らしながら三橋の頭をぼふんと撫でた。 「まあ、失恋の1回や2回でくじけんな。お前のイイトコ分かってくれるヤツも、どこかにいるって」 榛名は励ましたつもりだったが、三橋はますます顔をこわばらせてうつむいている。 そんなに――あの女のことが好きだったのだろうか? 三橋にとってそんなに大切な女なら、なぜ阿部は気付かなかったのだろうか? この小柄なエースに心酔してそうだった阿部が、エースのメンタルをないがしろにしてまで、色恋を優先させるとは思えない。 何か誤解があるんじゃないか? 書店の窓から中を覗く。 そこには、もう阿部の姿はない。女がいるかどうかはよく分からなかったが……三橋の様子を見ると、いないのだろう。 「ほら、もういねーんだから仕方ねーだろ。行くぞ」 榛名は強引にそう言って、三橋に移動を促した。 阿部のことだけではない。さっきのチンピラが、まだ周辺をうろついてるかも知れないからだ。 甲子園を目指す者同士、君子危うきに近寄らず、である。 榛名に強く促されれば、三橋も「は、い」と従った。 「ケーキ食うだろ? お前、イチゴとチョコとどっちが好き?」 務めて明るい声を出し、さっさと話題を他へと変える。辛気臭いのは御免だった。 マンションの駐輪場に自転車を停めさせ、エントランスでロックを外す。 エレベーターを待ってる間も、6階まで昇ってる間も、三橋は一言も喋らなかった。 緊張しているのだろうか、きょどきょどと視線を揺らしている。 「んな緊張すんなよ。取って食いやしねーよ」 頭一つ分低い位置に見える猫毛の茶髪は、ふわふわと頼りなくて柔らかそうだ。 「ほらほら、入った入った」 強引に背中を押し、玄関をくぐらせる。 「たでーまー、客一人連れて来たー」 大声でそう言いながら靴を脱ぐと、三橋が小さな声で「お、じゃましま、す」と呟いた。 奥から母親が、のれんをかき分けながら顔を出す。 「お帰りー、秋丸君も……」 いらっしゃい、という言葉を呑み込んで、母親が言った。 「あら、珍しい。後輩連れて来たの?」 後輩、と言われて三橋を見る。 ラフなTシャツにジーンズ姿の彼が通う西浦は、そういえば私服校なのだったか。 「あー……」 同じ高校の後輩だと誤解されてるのは確実だったが、1学年下なのには変わりないし、後輩と言えば後輩だ。 何より、もう説明が面倒臭くて、榛名は「んー」とだけ返事した。 キッチンから半分ぶんどって来たホールケーキを、さらに半分にして三橋の皿に置いてやりながら、榛名は何の気なしに訊いた。 「タカヤんちに行ったりはしねーの?」 すると三橋ははじけたように顔を上げ、「あ、ある!」と答えた。 そしてなぜか、顔をほんのりと赤らめた。 捕手の家に行ったかどうかを聴いたのに、どうして三橋が赤面したのか、意味が分からなかった。 ただ、三橋は――女と阿部とを見て泣いていたにも関わらず、阿部を嫌ってしまった訳ではないようだ。少なくとも、それだけは分かった。 ならば、自分にできることは1つだ。 榛名は素早く、阿部にメールを打った。 ――お前が書店で女とイチャついてた時、お前んのとこのエースはその書店の前で、アブネー目にあってたぞ―― 具体的にどんな危ない目だったのかは、敢えて教えてやらなかった。 カホゴなくせに目ぇ離すなっつの、と心の中で言っておく。 少しは心配して、反省すればいい。 女との付き合いと、エースとの付き合いと、どちらが大事なのか分からない阿部ではないだろう。 案の定、ものの数分もかからないうちに三橋のケータイに着信があったが……三橋はちらりと相手の名前を確認し、泣きそうな顔で無視をした。 続いて榛名の方にも電話が来たが、勿論無視だ。 代わりにケータイで、三橋と写真を撮って送っておく。 それからは阿部のことなど思い出さなくてもいいように、2人でARCや千朶の試合ビデオを見て、感想を言い合い盛り上がった。 そうする内に秋丸も戻って来た。 「もうー、榛名ひどいよ〜」 秋丸は泣き言を言っていたが、疲れていたものの、無傷だ。 追われて、相当走り回ったらしい。 けれど、日頃ぼんやりとでも鍛えていれば、それなりに身に着くもののようだ。 「いいロードになったじゃねーか」 冗談でもなくそう言うと、「はあ!?」と凄まれた。 「大変だったんだから!」 半ばマジで怒る秋丸の話を「はいはいはい」と聞き流しながら、榛名も三橋も、笑って楽しく食事した。 帰り際、ようやく三橋から祝いの言葉が貰えた。 「お、誕生日、おめでとうござい、ます」 今更か、と思ったが、素直に嬉しかったので「おー、サンキュ」と礼を言う。 「今度は試合でな」 榛名がそう言うと、三橋は一瞬、ピリッと引き締まった顔になった。 「はい、ありがとう、ございまし、た!」 ああ、やはりコイツもエースだ。 当たり前のことを、ちらっと思う。 そのエースが秋丸と共に、エレベーターに乗り込む姿を見送って――そこまでが、榛名の知る全てだ。 秋丸が気を利かせて自転車置き場まで三橋を見送ったことも、そこに息を切らした阿部が迎えに来ていたことも、榛名は知らない。 三橋の涙の訳も、それが結局誤解だったことも。 秋丸を巻き込んで、自転車置き場で言い争いをした他校のエースと正捕手が――その後どういう関係になったのか、と言うことも。 榛名は何も知らないまま、18の誕生日の残りを過ごした。 (終) [*前へ][次へ#] [戻る] |